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2006/06/09

子どもの頃の「こどものとも」−−編集部座談会(1)

 現在、「こどものとも」編集部には、「こどものとも」を読んで育ってきた人たち、「こどものとも」を読んでやって子どもを育てた人たち、育てている人たち、そんな読者でもあり、作り手でもある人たちがいて、絵本の編集に携わっています。「こどものとも」編集部の人たちの話を聞いてみました。

:ぼくは子どもの時の絵本体験ってほとんどないと思っていたんですけど、会社に入って、「こどものとも」のセクションにきて、バックナンバーをぱらぱら見ていて、一番びっくりしたのは、『ゆうちゃんのみきさーしゃ』を見た時です。最初にかんからが転がって物語に入っていくんですけど、「これ見た! 知ってる!」って、20数年ぶりによみがえった感覚があって、すごくなつかしくて一気に子どもの頃にもどっちゃった感じがしたんです。
 ずうっと20何年も思い出したことなかったけど、知ってるなあっていう感じは、ほかにも『きいたぞきいたぞ』を見た時に、このセリフは知ってるぞとか、あと『うおがしのあさ』で魚がどどーんとでっかく出てくる絵も、「これは見た」っていう感じがしました。実は子どもの時、絵本を全然見てないと思っていたけど、ちょっとずつ幼稚園とかで見ていたんだなあと、その頃の感覚がよみがえったのが、編集部にきて衝撃でした。

B:私は親が別に絵本好きってわけじゃないんですけど、幼稚園にも「こどものとも」がいっぱいあったし、家でもたぶんとっていたんでしょう。小さい時はとっていたっていう感覚はなくって、毎月もらってくるっていうような感じだったのですけど、それをとにかく楽しみに読んでもらっていたんですね。わたしは内容とかも覚えているんですけれども、大きくなって母にいうと「そんなのあったけ」って、意外に読んでくれた人は忘れているのがショックだったんです。
 バックナンバーを見ていると、絵を覚えているものと忘れているものとあって、土方久功さんの『ぶたぶたくんのおかいもの』が大好きで、小さいときはものすごくおもしろいなって思っていたんですけど、大きくなってみると、たぶん一般的には全然かわいくなくて変な絵だなと大人の人は思うと思ったんです。でも、子どもにとってはものすごい「その人がいる」っていう、あの八百屋のお姉さんとかおかし屋のおばあちゃんとか、ほんとに出会ったような感覚で楽しんでましたね。
 丸木俊さんの絵もよく覚えてるんです。目玉がなかったりしてちょっと怖い雰囲気なんですね。話も昔話なんかそうですけど、その雰囲気にすっぽり入り込んで、『こまどりのクリスマス』なんか、ちょっと怖さもあったりしながら、別の国のふしぎな話だな、なんて思いながら聞いていました。
 傑作集としてハードカバーになっていないものもすごくよく覚えています。『ゆびっこ』もすごく面白くて、子どもの時は、指がばらばらになるのも全然ふしぎに思わなくて、読んでいて特に自分が小指になったような気分になってました。小指になるとすごい大きな犬に会うんですけど、それが怖かったなあとか、けっこう、物語に入り込んで読んでました。会社に入ってから、その本を開いた時、わあっと、その時の母親の声とか、読んでもらってた、その時の空気とかが、タイムカプセルみたいによみがえってくるということがありましたね。  
なんか鳥の夫婦がいろいろ訪ねていって「かーっかーっ」ていうがやつ面白かったんですけどって編集部の人に聞いたら、「それは『われたたまご』だよ」っていわれて、「かーっかーっていうんですよ」って一生懸命いったら、みんなわかってくれました。ああいう不思議な、お話にすっぽり入っていって残る言葉、子どもとして読んだときに引っかかるような言葉っていうのが、あるんだなあと思いました。

C:『ぐりとぐら』のような、今でも読み継がれていて 、誰でもが好きみたいな絵本も読んでいた記憶はありますけど、一般には知られていないような作品が好きだったみたい。今は傑作集として手に入らない『はるかぜとぷう』とか『ゆうこのあさごはん』、あと『かばくん』が好きで。あと地味な本なんですが『イカロスのぼうけん』が一番記憶に残っています。 悲しい気分になるんだけど、何度も何度も読んだ記憶があります。年の離れた兄がいるので、自分の年代よりも以前のものから家にはあったんだと思います。今考えると、地味な本が好きだったんですねー。『さかさま』とか『ふしぎなえ』とか、言葉のない本をじーっと見てるのも好きだった。「はい、みんなで読みましょう」って絵本を読んだ記憶はあまりなくて、家で親といっしょに読んでいたような気がします。

D:今でも普通に生活してる中で、「これ前にみたことある!」って思うことがよくあるんです、景色とか。でも、実は絵本だったということがけっこうあります。絵本の世界を自分で見た気になっているんですよね。すごい錯覚なんですけど。ああいうとこ行ったなあ、とか思っていて本当は行ってない。

B:よく『スーホの白い馬』を読んでいて、モンゴルにいくと、ああこれ知ってるって思う人はいるらしいですね。色とか感じとか。印象に残る絵っていうのはどういうのかなって、すごく興味がありますね。その子によってたぶんちがうと思うんですけど。

D:「こどものとも」は、薄いからずっととっておいてもらえて、しまいこまれることもなく、いつも身近にありました。さんざん読んでもらいもしましたが、一人遊びとして自分でぱらぱら見たりすることも多かったです。私の好きな読み方があったんですけど、大人がジャケットを見てレコードを選ぶような感じで、自分で表紙を見て、気分に合わせて選ぶんです。外に遊びに行く前なんかに、今日はこれとこれとこれとこれって、絵本箱から出してきて、誰によんでもらうわけでもなく、一人で一気に見るんです。そうするとすごく落ち着くんですよ。小学校の中学年になってもやっていたと思います。大人だったら音楽をかけて気分を落ち着かせたりするのと同じようなことを、絵本でやっていたんだと思います。「絵本を読みましょう」とかじゃないんです。あれは、自分にとって大事な時間でしたね。精神安定剤みたいな。

:なんかそういうエピソード聞いたことがある。お母さんが留守で留守番してるときに、ひとりで寝るのに、いつも読んでる本を枕元において寝たら寝られた。本を読むんじゃなくて、本自体をそこにおいとくだけで安心する。

:よく知ってる本だと、それを見ただけでその世界に入っていけるというのがあるから。表紙を見るだけでも、けっこうじんわりくるんですよね。
(次回に続く)

6月 9, 2006 エッセイ2002年 |

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