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2006/03/31

『ジャリおじさん』顛末記   澤田精一

 月刊絵本「こどものとも」の担当になったのは、中年になってからの43才のことでした。それまでは黒インク1色、活字で組んだ児童文学評論誌「子どもの館」を編集したことがあって、全ページオールカラー、1冊が1作品というのは初めてでした。ですからベテランの作家とまず仕事をして絵本の編集を学ぼうと思っていたら、新人作家を捜しなさいという編集長のお言葉。それで新人作家を捜しましたが、なかなかこうだと思える人に出会えません。図書館、画廊、美術館をうろうろしながら、どうしたものかと悩みました。
 結局、外であれこれ捜すよりは、自分の裡に記憶されている作家とやろうと思い定まるまで、いささか時間がかかりました。となると大竹伸朗さん。でも、第一線で活躍している現代美術作家が絵本を描きたいというのだろうか。描くか、描かないかわからないのに、遠く愛媛県宇和島までの出張が許されるのだろうかというのが、すぐさま次の悩みとなりました。
 でも、そこはよくしたもので、ほどなく西武・池袋で、大竹さんの個展(大竹伸朗の仕事ECHOES 55-91)があり、会うことができたのです。その時の大竹さんは30代。黒ずくめの服、感受性が全身にびりびりとみなぎっていて、一瞬ひるみました。おそるおそる絵本のことを話すと、なんと、やってみたいという返事なのです。そして宇和島にずっといるのではなくて、何度も上京していると聞き、それからというもの月に一度はあれやこれや絵本について話すことができました。長新太さんの絵本が好きだということも、その時わかりました。
 そうして半年ばかり経過したとき、「できました」という電話を受けとったのです。私は鉛筆で簡単に描いた絵に文章がついたラフがあがったのかと思ったら、原画がすっかり仕上がっていました。そして後になって聞いたのですが、この原画を仕上げるまでに、なんと100枚以上のスケッチやらエスキスを油絵で描いていたのです。(原画はペンとインク、色鉛筆なのに、どうしてエスキスは油絵なのかと質問したら、油絵のほうが手になじんでいるということでした。)

 文章はその後、何度もなおしながら仕上げていくことになります。
 1993年に8月号として刊行。さっそく西武・池袋で原画展、それから新聞、雑誌、さまざまなメディアでもとりあげられました。翌年、小学館絵画賞受賞。翌々年、BIB(ブラチスラバ世界絵本原画展)金杯受賞。それよりも感動したのは、『ジャリおじさん』を読んで、これなら自分でも描けるのではないかということで、何人もの人が絵本を持ち込んできたことです。
 出版当時、読者だった子どもたちは、今では大人となり、今度は大竹さんの個展に出向いて、小さい頃『ジャリおじさん』を読みましたという話を何度も聞いたことがあります。絵本というのは、いつの間にか、自然にそこにあるものになっていくんですね。
 さて、今年、10月14日から2ヵ月間、東京都現代美術館で大規模な回顧展「大竹伸朗 全景 1955-2006」が開催されます。3フロアー使っての展示は、日本人としては初めてだそうです。『ジャリおじさん』の原画も全点展示されるようです。あの宝石のような絵に10数年の時を経て再会できると思うと、今からわくわくしています。

澤田精一(さわた せいいち)
1948年、千葉県に生まれる。1973年福音館書店入社。「子どもの館」「こどものとも」「こどものとも年少版」「かがくのとも」各誌を担当。

3月 31, 2006 エッセイ1993年 |

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» 今夜の「情熱大陸」は大竹伸朗氏 トラックバック ちょっと絵えほん♪
今朝、新聞のテレビ欄を見ていて気付いたんですが、今夜の「情熱大陸」(TBS系23時放送)は、画家の大竹伸朗(おおたけ・しんろう)さんです。大竹さんといえば、あの [続きを読む]

受信: 2007/09/09 14:33:53

コメント

大竹伸朗さんの「じゃりおじさん」に私も背中を押された一人です。あの、絵が心にしみるように心に届いたのは本当に未だかつて無いことだったと記憶しています。
 くまさんがいて、ウサギさんがいて…今までの王道的絵本でなく、ロードムービーのような展開に心を鷲掴みにされました。
 そして澤田さんのような編集者が、私が生まれ読み続けてきた、あの福音館にだからこそ、おられるのだと思い、日本の絵本の世界は明るいと思っています。
 これからのご活躍を心から期待し応援したいです!

投稿: 三枝三七子 | 2006/04/09 23時42分

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