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2006/02/03

<作家インタビュー>『めっきらもっきら どおんどん』が生まれた日  降矢奈々

 美大に入ろうと受験して、2回失敗して、落ちこんでいる頃だったんです。どうしたらいいかわからなくて、先に進めないで鬱々としていた時に、「ある程度作品を作って持ってくるつもりがあるのなら、こどものともの編集者を紹介するよ」といってくれる人がいまして、それがきっかけで、作品を描いて売り込むことを始めたんです。
 絵と、ちょっとお話を作って絵本のようにして編集の方に見ていただきました。アドバイスをいただいて描きなおしたりしたんですけど、それでもなかなか仕事はこなくて、1年たった夏に、「おもしろいテキストがあるんですが」と、この『めっきらもっきら どおんどん』のお話をいただいたんです。そうしたら、それはとびつきますよね。すごくやりたくて待ってたんだから。それが長谷川摂子さんの文章だったんです。

 文章の雰囲気などから「日本のお話だ」と感じて、出てくるのも日本のおばけにしようと、図書館にいっておばけの絵や日本画をいろいろ見ました。風神雷神とか獅子の絵とか。それで獅子の髪を見て、“しっかかもっかか”の髪はこういうふうにやろうとか、“もんもんびゃっこ”の服は浮世絵の中の船頭さんが着ていたのを参考にさせてもらったりしました。
 そうしてラフスケッチとおばけのイメージを作って、初めて長谷川さんにお会いしたんです。その時、印象的なことがありました。“もんもんびゃっこ”は、最初、“ぎっことんこ”という名前で、「手足が長くてなわとびをする」と書いてあった。私は狐が好きなものですから、狐のお面をして頬被りをしたおばけを描いていったんです。そうしたら編集者にも長谷川さんにも、「お面を被っていると、子どもは、どんな顔をしているんだろう? と想像して怖くなっちゃう。答えが本で最後まで出なくて、不安になる。思い切ってお面じゃなくて狐のおばけにしたら」といわれました。
 それで狐のおばけを描いたら、長谷川さんが「狐、おもしろいわ。これだったら、おばけの名前、変えましょう」と、“ぎっことんこ”を“もんもんびゃっこ”にしてくれたんです。まさか、作家さんがそんなふうに新人の画家の絵を見て自分の文章を変えるなんて思わなかった。絵本は一緒に作っていく、新人だろうが何だろうが関係ない、それで作品がおもしろくなるんだったら、自分の文章も変えてしまう。長谷川さんのそういう姿勢と、そうやって絵本を作っていくという初めての体験に、感動しましたね。

 この絵本で苦労したのは、主人公の男の子を描くことです。今は自分に娘がいるようになって、子どもを描くことに対する緊張感とか怖れがずいぶんやわらいだんですけど、やっぱりこの時は、子どもを描くことのリアリティーがなくて。子どもを描くことの怖れが、この『めっきらもっきら どおんどん』の本の中にはあるんです。それはこの後も結構ずーっと続くんですけど(笑)。
 漫画のようなパターン化した子どもを描くことはできると思うんですよ、ある意味で記号になってるから。そうじゃない、子どものやわらかさとか表情とかしぐさとか、動きによる体の表情を描くというのは本当に難しいと思います。あんまりしっかり表情を描きすぎても、気持ち悪くなるし。幸いなことに、私には今、子どもがいて、そうすると否が応でも毎日毎日子どもと顔を合わせなくちゃならない。さわる時間も他人とは比べものにならないくらい増えてくる。その時間のおかげで、子どもを描いていて「あらっ」て、ずいぶん息をぬいて描ける感じになった。今でももちろん、自由自在にはならないですけど、ありがたいなと思います。
 (「こどものとも年中向き」2003年1月号折込付録より一部省略して再録)

降矢奈々(ふりや なな)
1961年、東京生まれ。スロヴァキア共和国ブラチスラヴァ美術大学にて石版画を学ぶ。月刊「母の友」表紙(福音館書店発行1998年度分12枚連作/P・ウフナール氏と共作)にて、1999年ベオグラード・イラストビエンナーレ「黄金のペン賞」受賞。絵本の絵の仕事に、『めっきらもっきら どおんどん』『きょだいな きょだいな』『おっきょちゃんとかっぱ』『あいうえおうた』『まゆとおに』(以上、福音館書店)、「おれたち、ともだち!」シリーズ(偕成社)など。自作の絵本に、『ちょろりんのすてきなセーター』、童話のさし絵に『やまんば山のモッコたち』(以上、福音館書店)などがある。スロヴァキア共和国ペジノック市在住。

2月 3, 2006 エッセイ1985年 |

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