1980年代から90年代にかけての「こどものとも」 川崎 康男
1970年代、日本の絵本をめぐる状況は、「絵本ブーム」と呼ばれるようになっていました。それまでに着実に広がってきていた絵本という表現の場に、作り手が新しい可能性を見出して、これまでにはなかった表現の絵本が生まれてきました。すると、今まで絵本の読者ではなかった大人も、絵本に目を向けるようになりました。この二つの動きがお互いを刺激しあって、絵本の表現は多様化し、出版点数も増えていきました。しかし、「絵本ブーム」は、子どもの絵本にとって、必ずしも手ばなしで喜べることではありませんでした。子どもを置き去りにした「大人の絵本」をもてはやしたり、絵本の絵だけに注目して、物語や言葉を軽く見るような傾向も生まれてきたからです。
80年代に入って、こうした混沌がつづく中で「こどものとも」を編集していた私たちですが、これまでに築かれてきた、子どもの本はかくあるべしという土台の上に立ちつづけることに、迷いはありませんでした。しかし、それだけでよしとするのではなく、この先、もっともっと楽しい絵本を子どもたちに届けていくための推進力として、この時代に生まれてきた多様な表現の中から、子どもの絵本の新しいエネルギーとなるものを見極めて積極的に吸収していくこと、それから、世界各地のお話や絵に目をむけて、表現の幅を広げることが必要だと感じるようになりました。
新しく生まれてきた多様な絵本の表現の中には、その場限りの目新しさだけで終わってしまうものもありました。しかし、新しい表現というのは、作り手自身が、より納得のいく表現ということであって、決して単に新奇なものということではないはずです。当時、瀬川康男さんがおっしゃった、忘れられない一言があります。そのころ「個性的」ともてはやされていた絵本を評して、「あんなものは個性でもなんでもない。癖を顕微鏡で見ているようなものだ」と言われたのです。癖を顕微鏡で……なんという表現でしょう。「新しい表現」を求めて苦しみぬいているからこそ出てきた、重い言葉だと感じました。
子どもに真正面から向き合って、伝えたいことを全精力を傾けて表現する、そういう姿勢の中から生まれてくる、ほんとうの「新しい表現」を「こどものとも」は求めていきました。
70年代の末から90年にかけて、私たちは、瀬田貞二さん、中谷千代子さん、堀内誠一さん、赤羽末吉さんなど、「こどものとも」を中心になって育ててきてくださった方々を失いました。これは、たいへんに淋しく、つらいことでした。しかし、こうした方々が築いてくださった土台の上に、子どもの心を動かすエネルギーをもった、真に個性的な作り手が、つぎつぎに登場してきたのも、この時代でした。
伊藤秀男さん、織茂恭子さん、片山健さん、菊池日出夫さん、佐々木マキさん、さとうわきこさん、スズキコージさん、西村繁男さん、長谷川摂子さん……。今、日本の絵本をリードしている方々の熱い思いを受けとめながら絵本を作ることができたのは、とても幸せなことでした。
もう一つ、この時代に私たちは、世界のいろいろな地域に視野を広げていきました。
現在、「こどものとも」50周年記念として発行している「こどものとも世界昔ばなしの旅」I・IIには、全部で30の、世界各地のお話が入っていますが、そのうちの25冊が1986年以降の「こどものとも」で出版されたものです。特に、86年から94年の9年間に、16冊が集中的に作られています。これらの「世界」のお話の大きな特徴は、アジア、アフリカ、北米、中南米、オセアニアという、これまで日本ではあまり紹介されることのなかった地域のものであることです。この時代までに日本に紹介されてきた「世界」の昔話は、ほぼヨーロッパとロシアのものに限られていました。でも、この地球にはもっといろいろな民族と文化があり、その地域ならではの、魅力的なお話がいっぱいあるのだということに私たちはだんだんと気づいていったのです。
そして、この「世界昔ばなし」のもう一つの特徴は、絵を、その地域の画家、あるいはその地域で生活した経験のある画家に描いてもらったことです。つまり、日本ともヨーロッパとも異なる風土や文化を土台にした、これまでにはない絵の表現がなされているのです。それは、日本やヨーロッパ、そしてアメリカの絵本の、成熟した、しかし一部では袋小路に入りつつもある絵画表現とは違った、子どもの心に訴えかける素朴な力強さをもった表現でした。
このような世界各地のお話と絵は、読者の子どもたちを楽しませるとともに、「こどものとも」に新たなエネルギーを注ぎ込んでくれました。
川崎 康男(かわさき やすお)
1949年、東京に生まれる。東京都立大学人文学部卒業後、福音館書店に勤務。1978年より「こどものとも」の編集に携わり、1985年から94年まで編集長を務める。現在「おおきなポケット」編集部所属。
2月 24, 2006 エッセイ1988年 | Permalink
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