幼い子どもたちと私の詩 永瀬清子
私には息子と娘が2人ずつ、計4人いますので、子どもとの生活に経験が乏しいとは言えませんが、その子どもたちの小さかったとき、私は子どものためにも生活の上でもあまりに息せき切って緊張していた上に、戦争のための大きな苦労もふりかかり、いわば無我夢中で暮らしていました。しかし今、孫は(一緒に暮らしてはいませんが)、7人いて、大きい子はもう高校生になりましたが、その子らの生まれ育っていく上で、とりかえ引きかえ私の前に人間の子どものおもしろさを展開してくれ、私の、子どもというものに対する親しみと愛は急に深まりました。
つまりそれは彼らに接する私の方が若いときより目が開かれ理解がましてきたことでもあり、生活に落ちつきが生じたことでもありましょう。今一つ、年とるにしたがい、この世の全体が残り惜しくなって、愛着を感じる念がいっそう強くなるということも、たしかにあるように思います。(世の中の定石どおりに)
「人間の子のおもしろさ」などと言ったら、あるいはふまじめにあたるかもしれませんが、大人の忘れている生(き)のままの姿や、人生への幼い問いかけや、自然に対する驚き、共感などが、私ども大人をハッとさせるような新鮮な発言、発想になってあらわれてくるのです。でも、緊張しすぎている場合にはついそれを受けとらずに走りすぎてしまいます。ですから私はこの年になってはじめてそれらに耳傾け、教えられ、そして書きとめたり、私も子どもと同じような気持ちで書いたりしたのが、この1冊の本になったのです。つまり私と子どもたちの合作の詩集であるとも言えます。
編んでもらうスェーターの色を、「日に光っているすすきの色」と注文したり、あるいは地球の引力のことで兄弟げんかしたりしたのは、私には全く思いがけないみずみずしい出来事でした。大人が日常のうちにもう慣れすぎてしまっている物事を、子どもはまるで生まれたときのままの気持ちで受けとったり反発したりしているのでした。また、相手が生命のない物であっても、まるで自分と同じ仲間であるかのように思っているときもあります。かわいがっているうさぎの人形の事や、自転車に対しての感じ方がそうです。
それらはまるで荒唐無稽でばからしいと大人は気にとめなくても、かえって相手の気持ちを思いやる大事な心の要素になっています。また空想力というものが一人の人間にとっても大きな勉強の一つで、小さいときにそれをのばすかのばさないかで、一生が変わってくるとさえ思われます。学校ではこのことをあまり重きを置かないようなのでなおさらです。
若いお母さま方が、私の書きとめたこれらの詩を見て、おや、うちの子もこうだわ、とか、たしかにあんなこともあった、と思われたら、私はたいへんうれしく思います。
また、いちばん心配なのは、子どもたちがどのようにこれらの詩を受けとってくれるだろうか、ということですが、自分たちの世界と同じものをここに見たり、共通の夢の幅をひろげたりして楽しんでくれることを心から願っています。つまり楽しいことがいちばん身になり心に残るのですから。
また、私の希望をいれて堀内誠一氏が絵をおかきくださったこともたいへんうれしいことでした。たぶん私にはじめてのこの絵本は、今年一番のプレゼントになるでしょう。
(「こどものとも」1981年1月号『ひでちゃんのにっき』折込付録より再録)
永瀬清子(ながせ きよこ)
1906年、岡山県に生まれた。愛知県立第一高等女学校卒業。そのころより同人雑誌「詩之家」「磁場」「麺麭」等の同人に順次参加。東京で深尾須磨子らと交流の後、1949年、郷里岡山に帰り、「黄薔薇」(1952年)、「女人随筆」(1969年)を主宰した。詩集に『永瀬清子詩集』、『あけがたにくる人よ』(以上、思潮社)などがある。宮沢賢治を生前から高く評価した数少ない詩人の一人。1995年逝去。
12月 22, 2005 エッセイ1980年 | Permalink
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コメント
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投稿: kurashiki-keiko | 2006/08/25 02時46分