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2005/11/18

<作家インタビュー>『ごろごろにゃーん』が生まれた日   長新太

 猫は、ふだんから鳥とか見ていて、「空を飛んでみたいなあ」と思ってるんですよ。同志を集めて。飛行機も、彼らのイメージだから魚っぽいんですね。手が出てくるページがあるでしょ。「どういう意味だかわからない」って、よく抗議を受けるんですが、いってみれば心象風景なんです。猫は、その辺にいても、いつも恐怖にさらされているわけでしょ、人間の。だから、空を自由に飛んでいろんなものを見てみたい、という気持ちは、ふだん猫が考えていることなんですよ。(笑)
 
 猫の声と飛行機の音をかけて「ごろごろ」なんです。医者に行って、「おなかが痛い」っていうと、「どういうふうに痛いか」と聞かれるんですが、それを具体的にいうのは難しい。僕が行ってる医者は、わざと人を試そうと聞くときがあるんですね。「どう痛いのか、うまく表現してください」って。こっちも「しくしくしてて、そこにちょっとちくちくが入って、しくちく」「ちくちくまではいかないから、ちーくちーく、ぐらいかな」とか答えて。
 言葉はおもしろくて難しい。猫が歩いてくるのと、犬が歩いてくるのでもちがうはず。それを音にあらわすとき、いろいろ考えなきゃ。絵本の文章は、いつも神経を使います。『ごろごろにゃーん』は、どのページも文章が一緒だから、「手抜きだ」「いい加減だ」って怒られちゃうんだけど。(笑)

 大人はどうしても、理屈の通ったものでないと信用しない、という面が強いですね。もちろん、「ためになる絵本」もあっていいんだけど、「意味はないけれどもすごくおもしろい、ユーモアがあって子どもが本当に喜んで笑っちゃう」、そういう本も重要だと思うんです。どうしても笑いとかユーモアが軽んじられ、生真面目なものが最高、という考えがある。そうなると、大人のところでストップされてしまって、子どもの手もとに届かないんですよ、僕の絵本。
 僕は40年くらい、この仕事をしているんだけど、ずっとそういうことで悩んできたような気がします。あんまり悩んでも健康によくないけど。(笑)

 日本にも昔から「笑い」の文化があったし、僕の子どもの頃、昭和ひとけたの話だけど、「少年倶楽部」で「冒険ダン吉」や「のらくろ」が圧倒的な人気を博している一方で、「長靴三銃士」なんていう漫画があって、頭に長靴くっつけてるのが三人出てきて、絵にしてもお話にしても、前衛的でおもしろかった。僕にとってはそういうのが印象的で、今でも覚えている。どこかにそういうのが残ってて、原動力みたいになって、ずうーっと動いている、という感じがありますね。

 小さな子どもの視点はすごい。僕はそういう人たちを相手に本を描いている。僭越な気がします。言ってみれば、先生に対して自分の絵を見せているような。だから、子どものすごいところ、エッセンスを、全部自分の中に集めちゃって、そこからまた、ぐわっと出して創作しよう、という気持ちがあります。ヘンリー・ミラーの画集で『描きたいように描いて、幸せに死ね』というタイトルのがあるんですが、「ああ、それが一番いいんじゃないかなあ」って。人が何といおうと、自分で好きなものを描いて、それに子どもが共感を持ってくれたら、一番幸せ。

(「こどものとも年中向き」2000年7月号折込付録より一部を省略して再構成しました)

長 新太(ちょう しんた)
1927年、東京に生まれる。東京都立蒲田工業高校卒業。1948年東京日日新聞の連載漫画に採用され、それを機会に1955年まで東京日日新聞の嘱託となる。以後は独立して、絵本、イラストの仕事で大活躍。『新聞ができるまで』(「小学生文庫」小峰書店 1955)が最初の挿絵の仕事で、『がんばれさるのさらんくん』(「こどものとも」24号 福音館書店 1958)が絵本のデビュー作。1959年『おしゃべりなたまごやき』(「こどものとも」35号 福音館書店)で第5回文藝春秋漫画賞、1981年『キャベツくん』(文研出版)で第4回絵本にっぽん賞、1984年『ぞうのたまごのたまごやき』(福音館書店)で第33回小学館絵画賞、など受賞。他にも多数の著作がある。
(福音館書店で現在販売中の作品はこちらからご覧下さい)

11月 18, 2005 エッセイ1975年 |

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