「こどものとも」との出会い はせがわせつこ
毎月やってくる「こどものとも」にいつ出会ったのだろう。今や、無数の「こどものとも」は記憶の宇宙塵のなか、30光年の彼方の星々となってさまざまな色に明滅している。どれがいつのものやら……これは望遠鏡が必要だ、と担当の人に編年体のリストを送っていただいたら、見えた、見えた。私が自分と2歳の長男のために「こどものとも」をとり始めたのは1974年だ。『あらいぐまとねずみたち』、『クリーナおばさんとカミナリおばさん』、『しちめんちょうおばさんのこどもたち』、『ちいさなたいこ』、『くずのはやまのきつね』、『つつみがみっつ』、『おおきなひばのき』、『こうしとむくどり』と、懐かしい絵本の一等星が軒並み輝いているではないか。ここだ、と私は確信した。
本箱の前に立って、背表紙の半壊した古そうなのをひっぱり出すと、あった、あった、4人のわが子が入れ代わりに読んでよれよれになった『あらいぐまとねずみたち』が。そっと開くと、たちまち子どもたちの幼い声が聞こえてきた。森の中のギョロ目のふくろうを指さして「ホー、ホー」と、言っていた2歳の息子の声。保育園の行き帰り、裸の柱が林立する建築中の家を見るたびに、一緒に歌ったあの歌。「とんかん とんかん とんかん かん/あかんぼたちにゃ よつゆは どくだ/やねが できたら よつゆに ぬれぬ」
長女はこの絵本に出てくるねずみの新築の家の断面図が好きで、一人でじっと見入っていた。今でもその背中を思い出す。三つ子の魂何とやら、彼女はいまだにドール・ハウスの熱烈なファンである。
1冊の「こどものとも」を開くと、時間の井戸の底から立ち上ってくる子どもたちの声。それは私にはどんなアルバムの写真よりも生ま生ましい。幼い子の息がふっと首にかかる気がして一瞬、背中が熱くなってしまう。たくさんの「こどものとも」に子どもたちの笑い声やため息や歌声がたたみこまれていく。絵本はそうやって成長するのだ。我が家の本棚の「こどものとも」たちはわが子だけでなく私の読み聞かせの会「おはなしくらぶ」に通ってきた、たくさんの子どもたちの声声を吸い取って豊かに育っている。「こどものとも」が来ると、まるで絵本の赤ちゃんが来たみたいだ、と思う。大きく育ってほしいと思う。そして、どうしても捨てられない「こどものとも」で我が家の本棚はいつも満員になってしまうのだ。
長谷川摂子(はせがわ せつこ)
絵本、童話作家。1944年、島根県平田市生まれ。東京外国語大学でフランス語を専攻。東京大学大学院哲学科を中退後、保育士として6年勤務。現在は「赤門こども文庫」「おはなしくらぶ」をひらいて、子どもたちと絵本や詩、わらべうたを楽しんでいる。絵本に『みず』『めっきらもっきら どおんどん』『きょだいな きょだいな』(いずれも福音館書店)、「てのひらむかしばなし」シリーズ(岩波書店)など。読み物に『人形の旅立ち』(福音館書店/第19回坪田譲治文学賞ほか受賞)、評論に『子どもたちと絵本』(福音館書店)がある。埼玉県在住。
11月 11, 2005 エッセイ1974年 | Permalink
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