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2005/10/07

「こどものとも」の思い出 編集者として、作者として  荒川 薫

 私が福音館書店編集部で仕事をしていたのは1960〜64年、「こどものとも」の号数でいえば49号から101号の間です。その時期に、たくさんのすばらしい画家や著者の方々に出会い、その作品に触れることができたのは、この上なく幸せなことでした。今、その頃の一冊一冊を見ていくと、思い出も次から次と湧き出てきます。
 私は幼い頃、「コドモアサヒ」という月刊絵本に載っている初山滋先生の絵が大好きでした。その憧れの初山先生に『たなばた』(88号)を描いていただくことになった時は、まさに天にも昇る心地でした。資料をお届けしたりして何度も練馬のお宅へ伺いました。当時、他社の編集者の間では「初山先生は気難しいお方」という風評があったようですが、そんなことはまったくなく、丁稚時代の話などを茶目っ気たっぷりに、愉快そうに話してくださいました。出来上がった『たなばた』の原画の、それは美しかったこと。その感激は忘れられません。

 ちょっと変わった体験として思い出されるのは『しょうぼうじどうしゃ じぷた』(91号)です。資料のためにジープを改造した消防自動車の写真を撮りに、埼玉県の深谷からタクシーでかなり行った小さな消防署を訪ねました。写真を撮り終わり、帰る段になって、さてどうやって帰ろうか。タクシーを呼ぶという才覚もなくまごまごしていたら、消防署員が“じぷた”で深谷駅まで送ってくれました。今では考えられない鷹揚さ(?)ですね。乗っている間は意気揚々でしたが、駅で降りるときは少し恥ずかしかったです。
 退社してから私は3人の息子に恵まれ、子育てに明け暮れていましたが、その頃書いた最初の童話が「ころころだるまさん」です。自分の幼児体験と目の前の幼い息子たちの様子とが重なってできた話です。「母の友」に載って、それだけでもとても嬉しかったのに、なんと在職中『かさじぞう』(58号)『だいくとおにろく』(75号)でお世話になっていた赤羽末吉先生の絵がついて「年少版こどものとも」(1969年7月号)になりました。赤羽先生は「この話は幼年物だから」とおっしゃって、それまでの和紙に筆の絵とは違い、パステルで描いてくださいました。「このパステルはね、フランス製なんだよ」と、買ったばかりのきれいなパステルを見せてくださった赤羽先生の姿を鮮明に思い出します。

荒川 薫(あらかわ かおる)
東京都に生まれる。学習院大学国語国文学科卒業後、福音館書店に4年間勤務。家庭に入ってから、子どもに読み聞かせるお話を書きはじめ、「母の友」その他に掲載。絵本に、『ぼくおおきくなった?』(「年少版こどものとも」1984年1月号)、『てがみをだしに』(「こどものとも年中向き」1987年10月号)、『あしたてんきになあれ』(「こどものとも」1992年10月号)、『ともこのかいすいよく』(「こどものとも」1997年8月号)などがある。現在、全国各地の幼稚園・保育園などで、絵本やわらべうたについての講演を行なっている。神奈川県在住。

10月 7, 2005 エッセイ1969年 |

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コメント

早速拝見いたしました。
ご活躍の様子が垣間見えますね、
今後の更なるご活躍を期待しています。  by Goro

これからも子供たちとお母さんたちの夢を
たくさん与えてください。           by Astuko

投稿: Goro & Atsuko | 2005/11/07 11時59分

荒川先生、今日のご講演本当にありがとうございました。いい講演会だったとつくづく思い、スタッフにお疲れさんを込めメールしたところ、みなさんも大満足なようです。アンケートの内容も大好評のようで、第二弾の講演希望もあったそうです。先生のおっしゃる「自然体」、がとても共感いたしました。近くですので、今後もよろしくお願いいたします。先生からPRしていただき、早速、拝見し、こんな場所でお礼をしてしまい、失礼いたしました。

投稿: 神田地区子ども読書活動推進協議会高橋昇 | 2005/10/18 20時17分

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