夫・土方久功の思い出 土方敬子
(このエッセイは「普及版こどものとも(現在の「こどものとも年中向き」)」1979年7月号の折込付録より再録しました)
土方久功は変わった一生を送った人でした。美術学校の彫刻科を卒業したのですが、個展を1回してから29才のとき南洋パラオ島へ渡りました。原始彫刻へのあこがれもあったのですが、かねてから興味を持っていた南方の土俗研究も目的の一つでした。パラオ島から奥の、日本人のひとりもいないサテワヌ島に移り、島民とともに暮らしました。食物もみな島の人と同じ物を食べて、島の人になりきって7年過ごしました。そして言葉を覚えてから、島の長老たちからいろいろのお話を聞きました。そうして調べた資料で、日本へ帰ってから『サテワヌ島民話』や『パラオの神話伝説』、『流木』などの本をかきました。
太平洋戦争が始まり、日本に帰ってからは、南洋でのスケッチをもとにして彫刻に取り組みました。病気をしてからは水彩を主にかきました。死ぬまで南洋を彫りつづけ、南洋をかきつづけました。
絵本をかき始めたのは『おおきなかぬー』のさし絵をかいたのが縁で福音館からおすすめがあり『ゆかいなさんぽ』が出来上がりました。
終戦後、弟夫婦と一緒に住んでいたときに生まれた姪の邦子がオジチャンにべったりで、絵をかいてもらったり、お話をしてもらったりしていました。そのとき自分でお話を作りながら、聞かせていたのを思い出して『ゆかいなさんぽ』をかきました。
土方おじさんは子どもが好きでした。私たちには子どもがありませんでしたが、近所の子どもたちと仲良しでした。外に出ると子どもたちが寄ってくるので、からかいながら一緒に遊んでいました。その中の一人のやんちゃ坊やが「やんたくん」となって「母の友」に連載(1972年4月号〜12月号)した話の主人公になりました。
若いときからの詩人で、死ぬまでたくさんの詩をかきつづけました。その中の一編に「蟇帖(がまちょう)」があります。この蟇もおじさんの愛する友だちで、庭の花壇の中からノソノソ歩いてくる小さい蟇大きい蟇を見て喜んでいました。心の中で蟇とお話していたのでしょう。
今日も朝 窓の戸繰れば
はいはい ここですよと
蟇の子 にっこり
◇
もの言はぬ蟇の子なれど
もの言ひたげな眼(まなこ)あり
その奥に心も見えて
◇
蟇の子に言ってやりたきことあれど
蟇の子も
何か問ひたげな顔すれど
◇
蟇の子よ私がお前を愛してる
お前も私を愛しゐるようだ
だがお互の間に言葉があったら
お互の間がこんな風で続くかどうか
家が豪徳寺に近いので鳥がたくさん飛んできました。この鳥も愛して毎日パンをちぎってはまいていました。その根気のよさと愛情に感心していました。
土方久功(ひじかた ひさかつ)(1900-1977)
1900年、東京に生まれた。1924年、東京美術学校彫刻科卒業。1929年に南洋パラオ島に渡り、さらに1931年にヤップ離島のサテワヌ島へ渡って、島民と生活をともにしながら、彫刻の制作と島の民俗学的な研究を行った。戦後は1951年から数回個展を開催し、毎年新樹会展に出品する。民俗学の研究家としても知られており、著書に『流木』『ミクロネシア・サテワヌ島民族誌』(以上、未来社)、「土方久功著作集」(三一書房)、詩集『青蜥蜴の夢』『土方久功遺稿詩集』(以上、草原社)、絵本に『おおきなかぬー』『ゆかいなさんぽ』『ぶたぶたくんのおかいもの』『おによりつよいおれまーい』(以上、福音館書店)などがある。
10月 14, 2005 エッセイ1970年 | Permalink
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