« 1972(昭和47)年度にあったこと | トップページ | ぼくのはね »

2005/10/28

「こどものとも」200号を越えて   征矢 清

 わたしが「こどものとも」の編集を担当したのは4年とちょっとでしたが、「こどものとも」の流れのなかで大きな節目の時期であったと思います。企画から関わったのは1971年の4月号『るるのたんじょうび』(181号)から1975年4月号の『ねこのごんごん』(229号)までですが、その間に200号記念という「こどものとも」の歩みをふり返らせてくれる行事がありました。「こどものとも」が生まれて最初の10年ほどに、ほとんどの傑作が並んでしまっていて、そのあとを受け継ぐ者にとっては大変なプレッシャーを感じさせてくれるものでした。新しい時代の絵本の開拓はどうやったらできるのか、これからを生きる子どもたちの心をゆすぶる絵本とはどんなものなのだろうか。200号という記念すべきお祭りは、わたしにとってずっとあとまで重い課題を残してくれたと同時に、子どもの本の編集者として成長するためのはじめの種を植えつけてくれたように思います。

 そしてもう一つ、これは世の中の動きとも関連したことでしょうが、「こどものとも」の本の体裁が変わることになりました。それまで「こどものとも」は13場面で構成されていたのですが、205号から2場面増ページになり15場面で構成されることになったのです。用紙もいままでの上質紙からアート紙系の用紙になって、判型は変わらないものの、つやのある紙に変わって、見た目にはかなり変わることになりました。この用紙が変わったことは画家の方にとっても、絵本を楽しむ子どもたちにとっても、よかったと思います。きれいな原画が、印刷した絵本としてもそのまま生きるようになったからです。しかし、増えた2場面は大きな課題でした。13場面でたくさんの傑作が生まれていたのに、それに2場面がつけ加えられるというのはどういうことなのか。わたしの心配したとおり、はじめは13場面を15場面にするためにただつけ加えただけのような、間のびした作品になりがちでした。15場面なら15場面なりの最初からの構成がなくては絶対に緊張感を持った作品は生まれてこないということがわかって、はじめて新しい方向が見えてきたように思いました。
 いまふり返ってみると、絵本を作ることをもう少し楽しんでできたら、もっといいものを生みだせたろうにと思います。しかしそれは年とってはじめてわかること、わたしも絵本の仕事を楽しんでできるようになったのは、ずっとあとのことでした。しかし、「こどものとも」の編集にたずさわっていたあの時期は、わたしの子どもの本へのかかわりを深めてくれた最初のときだったのだろうと思います。

征矢 清(そや きよし)
1935年、長野県に生まれる。早稲田大学第二文学部露文科を卒業後、児童書の編集にたずさわるかたわら、絵本・童話の創作活動をおこなってきた。2002年、童話『ガラスのうま』(偕成社)で、新美南吉児童文学賞、野間児童文芸賞を受賞。絵本の作品に『かさもっておむかえ』『はっぱのおうち』、童話に『ゆうきのおにたいじ』(以上、福音館書店)などがある。長野県在住。

10月 28, 2005 エッセイ1972年 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「こどものとも」200号を越えて   征矢 清:

コメント

コメントを書く