2006/01/27

あのころのこと  福井恵樹

 「こどものとも」が創刊されてから、この3月号で600号になり、あらためてこれまでの全リストを見て、一度も欠けることなく毎月1冊の絵本が出つづけているのは、当たり前といえばそうだけれど、実際にそのなかで本作りをしてきたものとしては、ときに奇跡的なことにすら思えます。本作りの途中で、病気になる方がいらっしゃいました。それどころか、お亡くなりになった方さえいらっしゃいました。ですから、「奇跡的」という言葉を使っても、あながち誇張した言い方ではないのです。
 わたしが「こどものとも」にたずさわっていたのは、'70年代のなかばから'80年代のなかば過ぎまでの10年間ほどです。
 毎月、変わらず絵本を出しつづけていることでは、いまもあのころとなんら変わりはありません。でも、ずいぶん変わったなと思うことも多々あります。
 あのころ、多くの著者の方々が、ふらりとよく編集部にすがたを見せていらっしゃいました。

 たとえば、わたしたちに子どもの本のあるべきすがたを示し、向かう先に明かりを点してくださっていた瀬田貞二さんを思い出します。いま、わたしたちの会社は「おばあちゃんの原宿」ともいわれる巣鴨にありますが、そのころ、神保町のほど近いところにありました。肩から布製の頭陀袋を下げ、風呂敷を手にした瀬田さんが、いつものような、いくぶんはにかんだような笑顔で編集部を訪ねては、「今日は、神保町の古本屋でこんな本を手に入れてきましたよ」と言って、うれしそうに、頭陀袋から、また風呂敷から何冊もの本を取り出されました。そして、1冊ごとに、ページを繰りながら、「いいでしょう!」とうれしそうにその本について語られるのです。まだまだ編集部の人数も少なくて、いつのまにか、多くのものが瀬田さんを囲んで、瀬田さんの語りに耳を傾けていました。瀬田さんの語りは、本の魅力を伝えて余すところがありませんでしたから、だれもがその本を好きにならずにはいられませんでした。ときには、夕方になって、そのままお酒の席に場を移して、さらにそれがつづくことさえありました。

 堀内誠一さんは、もっとも頻繁に編集部を訪ねてくださった著者のおひとりでした。堀内さんは1974年から、パリ郊外に居を移されていました。ですから、そんなことはありえないのに、わたしには、ほとんど毎日堀内さんは編集部に来てくださっていたと思えてならないのです。それは、ひとつには、頻繁に堀内さんからの絵入りのエアログラムが編集部あてに届いたせいかもしれません。まだ、それほど海外に出ることがふつうではなかったころでしたから、エアログラムに描かれる絵入りの文面は、それだけでもわたしたちを刺激し、次にくるエアログラムを心待ちにしていました。また、年に何回か帰国なさると必ず編集部に足を運んでくださいました。エアログラムの堀内さんは雄弁ですが、実際にお会いしたときには、むしろ無口で、ときに取り付く島もない感じを受けることすらありました。でも、堀内さんがぼそぼそとつぶやく言葉のどれひとつもが新鮮で、わたしたちは聞き逃すまいと耳を傾けていました。堀内さんだったらどう思うだろうと、パリの堀内さんにあてて読み終わった本を送ったりしました。そして、同じような評価を述べられたエアロメールがくると、自分の評価が正当化されたようにうれしかったものです。

 それにしても、あのころ、どうしていろんな著者の方々があれほど頻繁に編集部を訪ねてきてくださったのだろう? 
 いまでは、原画は原寸で描く人のほうが多いのですが、あのころは、少し大きめに描いて縮小することも少なくありませんでした。縮小、拡大が自在にできる便利なコピー器などない時代です。最先端の道具といえば、計算尺ぐらいでした。多くの編集者が三角定規2本を使い、平行移動しながら、当たりをつけて縮小の目安にしたものです。
 一方、電話があってもファックスを持っている著者は少なかった、ましてやパソコンなどまだまだ普及していませんでした。原稿といえば、何度も書き直しのあとの残る原稿用紙に書かれたものでした。メールでやりとりするなどできもしなかった。
 編集者が著者のお宅に出かけたり、著者が会社まで原稿を持参してくださったり、編集者と著者との関係はうんと密だったように思うのです。

福井恵樹(ふくい しげき)
1943年、佐賀県唐津市に生まれた。慶応義塾大学文学部英文科を卒業後、冨山房を経て、1969年福音館書店入社。1975年より「こどものとも」の編集に携わり、1983年から85年まで編集長を務める。月刊「たくさんのふしぎ」編集部を経て2006年退職。翻訳に中南米の昔話『ふしぎなサンダル』(ほるぷ出版)、絵本『ぼくのぼうし』(ブックグローブ社)などがある。神奈川県在住。

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1984(昭和59)年度にあったこと

レーガン米国大統領、米中国交回復後現職大統領として初の中国訪問。(4月)
マルティナ・ナブラチロワが、テニス全仏オープンに優勝し、女子として3人目のグランドスラム(1年で全英、全米、全豪、全仏の4大会優勝)達成。(6月)
からし蓮根中毒事件:熊本の土産物として知られる「からし蓮根」でボツリヌス菌による食中毒がおき、死者11人を出すに至った。(6月)
安倍晋太郎外相、中国人・韓国人の名称を現地読みするよう外務省に指示。(7月)
第23回オリンピック・ロサンゼルス大会開催。ソ連を初め東側14ヵ国が不参加。アメリカのカール・ルイスが陸上100m・200m・400mリレー・走り幅跳びの4冠達成。日本は男子体操個人総合で具志堅、柔道無差別級で山下優勝など金10・銀8・銅14。(7月)
東京地裁、指紋押捺拒否の在日韓国人に初の有罪判決。(8月)
全斗煥韓国大統領、初来日して中曽根首相らと会談。(9月)
「長野県西部地震」が長野県西部を襲う(M 6.9)。木曽王滝村を震源とする直下型の地震で死者・行方不明29人などの被害をもたらした。(9月)

阪急のブーマーが外国人初の三冠王となる。(10月)
ゴルフ全英女子オープンで岡本綾子が優勝。(10月)
神奈川県逗子市長選挙で米軍住宅建設反対派の富野暉一郎候補が当選する。(11月)
東京都世田谷区で地下通信ケーブル火災。電話回線、銀行オンラインシステムなどが不通となり大混乱。(11月)
横綱北の湖が引退。通算951勝など史上1位の記録を多数残した。(1月)
茨城県筑波研究学園都市で、「科学万博−つくば’85」が開幕(3月) 
画家マルク・シャガール、南フランスのリビエラの自宅で老衰のため97歳で死去。(3月)


主なベストセラー:『愛のごとく』渡辺淳一(新潮社)、『天璋院篤姫』宮尾登美子(講談社)、『伝われ、愛』中島みゆき(新潮社)
テレビ:『北斗の拳』(フジテレビ)、『スクール・ウォーズ』(TBS)など放送開始。
新商品:「禁煙パイポ」(アルマン)、「カラムーチョ」(湖池屋)、「シャウエッセン」(日本ハム)
ヒット曲:『もしも明日が…』わらべ、『ワインレッドの心』安全地帯、『Rock'n Rouge』松田聖子、『涙のリクエスト』チェッカーズ
この年に登場したもの:「チケットぴあ」(首都圏・ぴあ)、「プランタン銀座」(東京・銀座)、「ハーゲンダッツ・ジャパン」(東京・青山)

福音館書店では:本社、文京区本駒込に移転。(1月)

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からすの せっけん

1984年4月号
030337

むらやまけいこ さく やまわきゆりこ え

森の外で拾った白くて丸くていいにおいのものが、せっけんという体を洗うのに使うものだと知ったカラスは、森の広場の池で体をきれいにして、とてもいい気持ちになり、森の仲間にもせっけんを貸してあげることにしました。最初はネズミが、次にリスが、やがてウサギ、サル、クマと森の仲間が次々やってきて、ゾウが使ったあとにはとうとうせっけんは、なくなってしまいました……。

こどものとも337号
26×19cm 32ページ 当時の定価250円

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あめふり

1984年5月号
030338

さとうわきこ さく・え

ずっと雨の日ばかり続くので、ばばばあちゃんは空に向かって、雨を降らすのを休んでほしいと叫びました。ところが雲の中からは「やなこった」という声がして、ますますひどく雨が降ってきます。ばばばあちゃんは怒り心頭、暖炉やストーブに胡椒と唐辛子をくべ、辛い辛い煙をだしました。すると雷たちはみんな「ハックショーン」。雲がちぎれて、雷たちは空から落ちてきます。

こどものとも338号
19×26cm 32ページ 当時の定価250円

この絵本は1987年に「こどものとも傑作集」の1冊として刊行され、現在も販売されています。

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おとうさん

1984年6月号
030339

秋山とも子 さく

お父さんは、朝、手をふる子どもに見送られ、住宅街の家をでて、団地の前のバス停に並び、駅で満員電車に乗ります。繁華街をとおって会社に着くと……。夜帰ってくるまでのお父さんの1日を、町や駅の風景、そこにいるさまざまな人々の様子とともに、描いていきます。お父さんは、毎日、どこで何をしているのでしょう。絵さがしの楽しみもたっぷりの、字のない絵本です。

こどものとも339号
26×19cm 32ページ 当時の定価250円

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さんねんごい

1984年7月号
030340

菊池日出夫 さく・え

「さかなすくいにいかっちょ」暑い夏のある日、ひでは友だちと、田んぼの中を魚捕りに出かけます。山裾の滝のところで魚を追いたてると、大きなコイがかかりました。それから畑の野菜をもいではしゃいでいると、おじさんに見つかって大目玉。夕方、お寺の鐘が鳴るまでいっしょに遊びます。細部まで描き込んだ山あいの農村風景の中に、子どもたちのいきいきした会話が響く絵本です。

こどものとも340号
19×26cm 32ページ 当時の定価250円

この絵本は1991年に「こどものとも傑作集」の1冊として刊行され、現在も販売されています。

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石のししのものがたり

1984年8月号
030341

チベットの民話 大塚勇三 再話 秋野亥左牟 画

欲ばりでりこうな兄に家から追い出された、気は優しいけれどぼんやりした弟は、母親といっしょに丘のふもとで空き家を見つけ、薪を売って暮らしはじめました。ある日、弟が丘のかげで石の獅子を見つけ、山の守り神としてていねいにお祈りをすると、石の獅子は口から金をはき出し、弟と母は豊かな暮らしができるようになりました。兄はその話を聞き、まねをしますが……。

こどものとも341号
19×26cm 32ページ 当時の定価250円

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ふりむけばねこ

1984年9月号
030342

井上洋介 さく・え

角の食堂にネコがいて、傘屋さんにもネコがいて、時計屋さんにもネコがいて、布団屋さん、畳屋さん、煙草屋さん……、この町の店先にはどこもネコがいる。そして、ふと振り向けば、そこは猫町マタタビ通り。なつかしい古い店の佇まいを、手彩色の木版画で描いた美しい絵本です。

こどものとも342号
26×19cm 32ページ 当時の定価250円

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おっこちた せいようなし

1984年10月号
030343

エドゥアルト・ペチシュカ さく 千野栄一 やく 森 茂子 え

トニークは西洋ナシが大好きでした。ある時あらしがやってきて、庭のナシの木から実が次々落ちて、梢にひとつだけ大きな実が残りました。やがておいしそうに実ったので、トニークがそのナシをとろうと木をゆすると、実は落ちて草のあいだに転がり、見えなくなってしまいました。トニークは、イヌやネコに助けてもらって……。『もぐらとずぼん』などの作者ペチュシカの書いたお話です。

こどものとも343号
26×19cm 32ページ 当時の定価250円

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とらのゆめ

1984年11月号
030344

タイガー立石 さく・え

とらきちは夢の世界を歩いています。池で遊んでぬれた体をお日さまで乾かすと丸めた体はだるまさんに変身。だるまさんがひもをつかんでくるくるっと振りまわすと、縞模様のとらきちが再出現。やがて迷路に入ってでてくると、今度はたくさんの虎が現れますが……。絵画、レリーフ、漫画など、ジャンルを越えてユニークな創作活動を展開していたタイガー立石が幻想的な世界を描きます。

こどものとも344号
26×19cm 32ページ 当時の定価250円

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あやちゃんのうまれたひ

1984年12月号
030345

浜田桂子 さく・え

あやちゃんはもうすぐ6才の誕生日。お母さんはあやちゃんが生まれた時のことを話してくれます。生まれる予定の日が過ぎて、お父さんもおばあちゃんもおじいちゃんも待ちきれなくなっていた、ある寒い寒い晩のこと、お腹の中で赤ちゃんの生まれる気配がして、お母さんは病院に向かい、あやちゃんを産んだのです。赤ちゃん誕生をめぐる家族の期待、喜び、感動を、しみじみと温かく描きます。

こどものとも345号
26×19cm 32ページ 当時の定価250円

この絵本は1999年に「こどものとも傑作集」の1冊として刊行され、現在も販売されています。

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ガラスめだまときんのつののヤギ

1985年1月号
030346

白ロシア民話 田中かな子 訳 スズキコージ 画

おばあさんは麦を蒔き、丹誠こめて大きくしていましたが、1ぴきのヤギがやってきて、畑を荒らし居すわってしまいました。おばあさんが追い出そうとしても出ていかないので、クマやオオカミやキツネに頼みますが、みんなこのヤギのガラス目玉と金の角に怯えて退散してしまいます。そんなヤギを追い出したのは、1ぴきの小さなハチでした……。コラージュの手法で豪快に描いた絵本です。

こどものとも346号
19×26cm 32ページ 当時の定価250円

この絵本は、判型を大きくして「日本傑作絵本シリーズ」から1988年に刊行され、現在も販売されています。

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こぐまのむっく

1985年2月号
030347

小野かおる さく・え

冬が近づいて母さんグマと2ひきの子グマはほらあなの家の中で眠って暮らすことになりました。でも、「寝てるのなんてごめんだーい」と子グマのむっくはひとりで春を探しに出かけます。リスや大きなクマのおじさんの忠告も聞かずに山の中をいくと、やがて積もってきた雪の中に埋もれてしまいますが、山小屋のおじさんに助けられ……。厳しい冬の後に春を迎える喜びがあふれる絵本です。

こどものとも347号
26×19cm 32ページ 当時の定価250円

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ハハハのがくたい

1985年3月号
030348

長谷川四郎 作「アラフラの女王」より たかはしゆうじ ぶん やぎゅうげんいちろう え

ハハハの島にざっくざっくと砂をふんでやってきた7人組は、楽器を持たずに体だけで演奏するへんてこな楽隊でした。島に雇われ、赤ん坊の誕生や人の葬式に駆けつけては音楽を演奏します。半年ほどして、城の金庫からメロンくらいの大きさの真珠「アラフラの女王」が盗まれてしまいました。なんとこの楽隊、怪盗だったのです。新聞記事風の場面も取り入れて愉快な物語が展開します。

こどものとも348号
19×26cm 32ページ 当時の定価250円

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3びきの こどものひつじ

1984年4月号
041018

上沢謙二 さく なかのひろたか え

おなかがすいた3びきの子ヒツジが、とっととっとと歩いていきました。たくさん草の生えた原っぱで、むしゃむしゃ草を食べ、のどがかわいたので、またどんどん歩き、川で水をおなかいっぱい飲みました。こんどは眠るところをさがしてゆっくり歩き、子ヒツジは大きな木の下でぐうぐう眠りました。夕方になって、またとっとっとと、もとのところへ帰っていきました。満足感たっぷりの絵本。

普及版こどものとも1984年4月号
19×26cm 28ページ 当時の定価220円

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あきちゃんとかみなり

1984年7月号
041019

木村晃彦 さく・え

あきちゃんは弱虫ですぐ泣いてしまいます。ある日泣き虫小僧のおへそが大好物のかみなりが、泣いているあきちゃんのへそを取りにやってきました。あきちゃんがへそのかわりにへそ饅頭をあげると、かみなりは饅頭がすっかり気に入り、食べすぎて虫歯になってしまいました。歯が痛くて泣きながらやってきたかみなりを、あきちゃんは歯医者さんへつれていきます。

普及版こどものとも1984年7月号
26×19cm 28ページ 当時の定価220円

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あたごの浦

1984年9月号
041020

讃岐のおはなし 脇 和子・脇 明子 再話 大道あや 画

お月さまのきれいな晩、大きなタコが浜にあがって畑のナスを食べていると、タイがやってきて、月がきれいだから魚を集めて演芸会をしようといいます。魚たちが集まって、にぎやかに歌い踊り、宴もたけなわになったところで、かくし芸を披露することになりました。タイは松の木にのぼり「松にお日さん、これどうじゃ」、魚たちは「妙々々々々々」と大喝采。おおらかな昔話の絵本です。

普及版こどものとも1984年9月号
26×19cm 28ページ 当時の定価220円

この絵本は1993年に「こどものとも傑作集」の1冊として刊行され、現在も販売されています。

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もんぐり むんぐり よねばあさん

1984年11月号
041021

わたなべふみよ さく 梶山俊夫 え

山んばが出るという山の麓でひとり暮らししているよねばあさんの家に、ヒヨたんはよく遊びにいっていました。よねばあさんは歯がないので、おせんべいを食べるときも手で割ってむんぐりもんぐり口を動かします。ところが、しばらくよねばあさんの姿が見えなくなったある夜、よねばあさんの家から、がりっ、ばりっという音がします。ヒヨたんは山んばが出たかと……。

普及版こどものとも1984年11月号
26×19cm 28ページ 当時の定価220円

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マトリョーシカちゃん

1984年12月号
041022

加古里子 ぶん・え ヴェ・ヴィクトロフ/イ・ベロポーリスカヤ 原作

人形のマトリョーシカちゃんはみんなに遊びにきてほしくて、招待状を家の前にはりだしました。「ドナーシャも、クラーシャも、ダーシャも待っています」するとゆらゆら人形のイワン、ドングリ人形のイリューシャ、おしゃれ人形のアンドリューシャがドナーシャ、クラーシャ、ダーシャをたずねてやってきますが、3人はどこにもいません。「だるまちゃん」の絵本の原点となった物語です。

普及版こどものとも1984年12月号
19×26cm 28ページ 当時の定価220円

この絵本は1992年に「こどものとも傑作集」の1冊として刊行され、現在も販売されています。

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もりへいった こねこ

1985年2月号
041023

イワン・ベルィシェフ さく うちだりさこ やく さいとゆふじ え

女の子に飼われていた子ネコは、いうことをきかずに森へ散歩に出かけ、迷子になってしまいました。ぴょんぴょんはねられるならウサギの子だといわれて、ウサギの家に連れていかれますが、キャベツが食べられません。木登りできるならリスの子だといわれてリスの家に行っても、どんぐりは食べられません。家を転々として……。「こどものとも」111号のお話を新たな画家が描いた新版です。

普及版こどものとも1985年2月号
26×19cm 28ページ 当時の定価220円

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