2005/12/22
幼い子どもたちと私の詩 永瀬清子
私には息子と娘が2人ずつ、計4人いますので、子どもとの生活に経験が乏しいとは言えませんが、その子どもたちの小さかったとき、私は子どものためにも生活の上でもあまりに息せき切って緊張していた上に、戦争のための大きな苦労もふりかかり、いわば無我夢中で暮らしていました。しかし今、孫は(一緒に暮らしてはいませんが)、7人いて、大きい子はもう高校生になりましたが、その子らの生まれ育っていく上で、とりかえ引きかえ私の前に人間の子どものおもしろさを展開してくれ、私の、子どもというものに対する親しみと愛は急に深まりました。
つまりそれは彼らに接する私の方が若いときより目が開かれ理解がましてきたことでもあり、生活に落ちつきが生じたことでもありましょう。今一つ、年とるにしたがい、この世の全体が残り惜しくなって、愛着を感じる念がいっそう強くなるということも、たしかにあるように思います。(世の中の定石どおりに)
「人間の子のおもしろさ」などと言ったら、あるいはふまじめにあたるかもしれませんが、大人の忘れている生(き)のままの姿や、人生への幼い問いかけや、自然に対する驚き、共感などが、私ども大人をハッとさせるような新鮮な発言、発想になってあらわれてくるのです。でも、緊張しすぎている場合にはついそれを受けとらずに走りすぎてしまいます。ですから私はこの年になってはじめてそれらに耳傾け、教えられ、そして書きとめたり、私も子どもと同じような気持ちで書いたりしたのが、この1冊の本になったのです。つまり私と子どもたちの合作の詩集であるとも言えます。
編んでもらうスェーターの色を、「日に光っているすすきの色」と注文したり、あるいは地球の引力のことで兄弟げんかしたりしたのは、私には全く思いがけないみずみずしい出来事でした。大人が日常のうちにもう慣れすぎてしまっている物事を、子どもはまるで生まれたときのままの気持ちで受けとったり反発したりしているのでした。また、相手が生命のない物であっても、まるで自分と同じ仲間であるかのように思っているときもあります。かわいがっているうさぎの人形の事や、自転車に対しての感じ方がそうです。
それらはまるで荒唐無稽でばからしいと大人は気にとめなくても、かえって相手の気持ちを思いやる大事な心の要素になっています。また空想力というものが一人の人間にとっても大きな勉強の一つで、小さいときにそれをのばすかのばさないかで、一生が変わってくるとさえ思われます。学校ではこのことをあまり重きを置かないようなのでなおさらです。
若いお母さま方が、私の書きとめたこれらの詩を見て、おや、うちの子もこうだわ、とか、たしかにあんなこともあった、と思われたら、私はたいへんうれしく思います。
また、いちばん心配なのは、子どもたちがどのようにこれらの詩を受けとってくれるだろうか、ということですが、自分たちの世界と同じものをここに見たり、共通の夢の幅をひろげたりして楽しんでくれることを心から願っています。つまり楽しいことがいちばん身になり心に残るのですから。
また、私の希望をいれて堀内誠一氏が絵をおかきくださったこともたいへんうれしいことでした。たぶん私にはじめてのこの絵本は、今年一番のプレゼントになるでしょう。
(「こどものとも」1981年1月号『ひでちゃんのにっき』折込付録より再録)
永瀬清子(ながせ きよこ)
1906年、岡山県に生まれた。愛知県立第一高等女学校卒業。そのころより同人雑誌「詩之家」「磁場」「麺麭」等の同人に順次参加。東京で深尾須磨子らと交流の後、1949年、郷里岡山に帰り、「黄薔薇」(1952年)、「女人随筆」(1969年)を主宰した。詩集に『永瀬清子詩集』、『あけがたにくる人よ』(以上、思潮社)などがある。宮沢賢治を生前から高く評価した数少ない詩人の一人。1995年逝去。
12月 22, 2005 エッセイ1980年 | Permalink
|
| トラックバック (0)
1980(昭和55)年度にあったこと
1億円拾得事件:東京の銀座3丁目の昭和通りで通行人が風呂敷包みに入った現金1億円を拾得。警察に届けたが落とし主は現れず、最終的に拾い主のものになった。(4月)
衆議院、大平内閣不信任決議案を全野党賛成、自民党非主流派欠席で可決。衆議院解散。(5月)
韓国、光州市で民主化を求める市民・学生のデモ隊を戒厳軍が武力で制圧し死者多数を出す。(光州事件)(5月)
張本勲が22年間で日本初の3000本安打達成。(5月)
総選挙中に大平首相が心筋梗塞で急死。衆・参同日選挙で、自民党、安定多数を獲得し圧勝。(6月)
第22回オリンピック・モスクワ大会が開催されるが、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する米国・日本・中国などがボイコットしたため81ヵ国の参加にとどまった。(7月)
富士山の9合目付近で大規模な岩崩れが発生。8合目から6合目にいた登山客12人が死亡し、31人が重軽傷を負った。(8月)
静岡駅前地下街でガス漏れによる大爆発事故。15人死亡、233人重軽傷。(8月)
ポーランド、グダニスクの造船所で自由化を求める労働者16000人参加のスト。自主管理労組「連帯」の結成、スト権の保障の獲得へと発展。(8月)
富士見産婦人科病院乱診事件:埼玉県所沢市の富士見産婦人科病院での無免許診療や不必要な子宮、卵巣の摘出手術などで、理事長と院長逮捕。被害者は約900人におよんだ。(9月)
イラン・イラク、国境問題・シーア派スンニ派対立などから全面戦争に突入。(9月)
出版物の新再販制度がスタート。出版社の意志で新刊書の値引き販売が可能となる。(10月)
山口百恵、武道館でのコンサートを最後に引退。(10月)
米国大統領選挙、共和党のレーガンがカーター現大統領を大差で破る。(11月)
栃木県川治温泉で「プリンスホテル雅苑」全焼。45人死亡。(11月)
ジョン・レノンがニューヨークで射殺される。(12月)
ローマ法皇ヨハネ・パウロ2世が初来日。(2月)
ピンク・レディーの「さよならコンサート」が後楽園球場でおこなわれ約3万人が集まる。(3月)
主なベストセラー:『シルクロード』NHK取材班他(日本放送出版協会)、『項羽と劉邦』司馬遼太郎(新潮社)、『ノストラダムスの大予言2』五島勉(祥伝社)、『蒼い時』山口百恵(集英社)
テレビ:『お笑いスター誕生!』(NTV)、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)、『NHK特集−シルクロード』(NHK)、『ドラマ人間模様・夢千代日記』(主演 吉永小百合・NHK)など放送開始。
新商品:スポーツドリンク「ポカリスエット」(大塚製薬)、温水洗浄便座「ウォシュレット」(東陶機器)、立体パズル「ルービック・キューブ」(ツクダオリジナル)、湯沸かし機能付きポット「わきたて」(タイガー魔法瓶)、
ヒット曲:『ダンシング・オールナイト』もんた&ブラザーズ、『異邦人』久保田早紀、『大都会』クリスタルキング
この年に登場したもの:「降水確率予報」(気象庁)、「コレクトコール・サービス」(電電公社)、「宙返りコースター」(向ケ丘遊園地)
福音館書店では:「幼児絵本シリーズ」(「年少版こどものとも」の傑作集)刊行開始。『どうすればいいのかな』『いただきまあす』『こんにちは』(6月)
12月 22, 2005 1980年そのころあったこと | Permalink
|
| トラックバック (0)
ひとりぼっちの りんごのき
1980年4月号

三原佐知子 さく なかのひろたか え
ある農家のそばに生えている小さなリンゴの木は、大きなリンゴの木でいっぱいのリンゴ園にいきたくてしかたありません。春、まっ白に咲いた花に集まったミツバチにたのんでも、秋、赤く実った実を食べにきたカラスにたのんでも、リンゴ園にいくのは無理でした。でも、冬が過ぎ、翌年の春、小さなリンゴの木は、自分のまわりに新しいリンゴの木の芽が顔を出しているのに気づきました。
「こどものとも」289号
26×19cm 32ページ 当時の定価200円
12月 22, 2005 1980年「こどものとも」バックナンバー | Permalink
|
| トラックバック (0)
せかいいちの おんどり
1980年5月号

松野正子 さく 太田大八 え
メンドリとアヒルとイヌが仲良く暮らしていた庭に、1羽のりっぱなオンドリがやってきました。みんなが仲良くしようとしても、オンドリは、自分は世界一りっぱなオンドリだといって、いばってばかり。メンドリもアヒルもイヌもだまってひっそりと暮らすようになりました。ところが夏の暑い日、オンドリはアヒルのまねをして池に入って溺れてしまいます……。
「こどものとも」290号
26×19cm 32ページ 当時の定価200円
12月 22, 2005 1980年「こどものとも」バックナンバー | Permalink
|
| トラックバック (0)
こじかのつよし
1980年6月号

西山登志雄 さく みねむらかつこ え
開園準備中の動物園にやってきたシカの中に、生まれたばかりの子ジカがいました。「つよし」と名付けられた弱々しい子ジカを、園長さんの一家と飼育員たちは、毛布にくるんで暖めたり、哺乳瓶でミルクを飲ませたり、親身になって育てます。元気に大きくなったつよしは、庭に出され、やがてシカの群れにもどされることに……。実話をもとに動物園の園長さんが書いたお話です。
「こどものとも」291号
26×19cm 32ページ 当時の定価200円
12月 22, 2005 1980年「こどものとも」バックナンバー | Permalink
|
| トラックバック (0)
くらやみえんのたんけん
1980年7月号

石川ミツ子 さく 二俣英五郎 え
夕方、お母さんのお迎えを待っていたつとむとたくは、先生が明日の誕生会の準備で台所にいっているあいだ、部屋の電気を消して、暗くなった子ども園の探険を始めました。シーツをかぶってお化けのまねをした二人が歩いていくと、廊下の隅にはオレンジ色の二つの光がまたたき、階段ではカーテンがふわりとめくれあがり、玄関はぎぎいと鳴って黒い二つの影が……。
「こどものとも」292号
26×19cm 32ページ 当時の定価200円
12月 22, 2005 1980年「こどものとも」バックナンバー | Permalink
|
| トラックバック (1)
とおい みなみのしま
1980年8月号

加納 登 さく・え
海に囲まれた小さな南の島で、ある日、隣の島へいくため人々は飛行機に乗りました。おみやげのニワトリやブタをもったおじさんや、自分の守り神の白いヘビをつれたおばあさんもいます。しかし、空の上で飛行機は急にエンジンが止まって海に不時着し、みんなはゴムボートで漂流をはじめました。お腹がへってきたので、ニワトリやブタを食べ……。おおらかなお話と絵が魅力の絵本です。
「こどものとも」293号
26×19cm 32ページ 当時の定価200円
12月 22, 2005 1980年「こどものとも」バックナンバー | Permalink
|
| トラックバック (0)
おみせ
1980年9月号

五十嵐豊子 え
あげたてのコロッケを売り、ケースに精肉やハムが並ぶ肉屋。白いタイルの台の上にさまざまな魚や切り身がびっしりと並ぶ魚屋。竹ぼうきやシュロのほうきが立てかけられた荒物屋。傘屋、本屋、呉服屋、菓子屋、たたみ屋……。全国各地に取材したスケッチにより、昔ながらの町並みを現在まで伝えてきたたくさんの店が登場する、文字のない絵本。『えんにち』に続く、五十嵐豊子の第2作。
「こどものとも」294号
19×26cm 32ページ 当時の定価200円
12月 22, 2005 1980年「こどものとも」バックナンバー | Permalink
|
| トラックバック (0)
そばがらじさまと まめじさま
1980年10月号

日本の民話 小林輝子 再話 赤羽末吉 画
ある日、川に魚をとりにいった2人のじさまのところに、1匹のイヌが流れてきました。そばがらじさまは川の中に投げ捨てましたが、まめじさまは助けあげて育てることにしました。大きくなったイヌを連れて、まめじさまが狩りにいくと、イヌはアオジシ(カモシカ)を次々つかまえました。それをうらやんだそばがらじさまは……。「花咲かじい」の原型といわれる「雁取りじい」の昔話。
「こどものとも」295号
19×26cm 32ページ 当時の定価200円
12月 22, 2005 1980年「こどものとも」バックナンバー | Permalink
|
| トラックバック (0)
きつねきいちと いたちきょろきょろの おはなし
1980年11月号

とみたふさえ さく はまなかのぶひさ え
ユグーさんはニワトリのぴいよがいなくなったので、キツネのきいちとイタチのきょろきょろに、見つけてくれたらあぶらげとイワナをお礼にあげるという看板を出しました。看板を見た2匹はそれぞれぴいよを探しますが、森の中で出会って、自分が先に見つけようと大げんか。そのとき落ち葉にくるまって寝ていたぴいよを見つけて……。病床にあった画家とその妻が共同制作した絵本。
「こどものとも」296号
26×19cm 32ページ 当時の定価200円
12月 22, 2005 1980年「こどものとも」バックナンバー | Permalink
|
| トラックバック (0)
てっちゃん けんちゃんと ゆきだるま
1980年12月号

おくやまたえこ さく・え
てっちゃんとけんちゃんが山に遊びにいくと、雪の野原の中に、つららの柵に囲まれた雪の家がありました。入ってみるとそこは雪だるまの家でした。2人はつららをくべた囲炉裏のまわりでかき氷をごちそうになったり、外に出て雪だるまの子たちとすもうをとって、汗だくになって遊びました。でも暖かくなると、雪だるまの子たちは元気がなくなって……。『66このたまご』の作者の第3作。
「こどものとも」297号
19×26cm 32ページ 当時の定価200円
12月 22, 2005 1980年「こどものとも」バックナンバー | Permalink
|
| トラックバック (0)
ひでちゃんの にっき
1981年1月号

永瀬清子 さく 堀内誠一 え
お正月のごちそうのなかのしっぽのあるまるいもの。小人の洗濯物みたいな春の梅の花。鉄棒から落ちてしまったのは遠い雲の底。はじめてリールで釣りをしてかかった小さな赤いうれしいタイ。山で見た、露をつけたクモの巣のハンモック。ほしいのは日に光るススキの色のセーター……。ひでちゃんという子どもの視点を借りて詩人永瀬清子が15編の詩を書き、堀内誠一が絵日記の体裁で絵をつけました。
「こどものとも」298号
19×26cm 32ページ 当時の定価200円
作者永瀬清子さんのエッセイはこちらをご覧ください。
12月 22, 2005 1980年「こどものとも」バックナンバー | Permalink
|
| トラックバック (0)
マフィンおばさんのぱんや
1981年2月号

竹林亜紀 さく 河本祥子 え
マフィンおばさんのパン屋で手伝いをしていた男の子アノダッテは、ある夜、自分ひとりでパンをつくってみようと思いました。ふだん見て覚えたとおりのやり方で、町のみんなに食べてもらおうと大きなパンだねをこね、かまどいっぱいに押し込んで焼き出すと、パンはどんどんふくらんで、家の屋根裏までいっぱいに……。香ばしいパンのにおいがただよってくるような絵本です。
「こどものとも」299号
19×26cm 32ページ 当時の定価200円
この絵本は1996年に「こどものとも傑作集」の1冊として刊行され、現在も販売されています。
12月 22, 2005 1980年「こどものとも」バックナンバー | Permalink
|
| トラックバック (0)
らいおん はしった
1981年3月号

工藤直子 さく 中谷千代子 え
ライオンはみんなとあいさつや話をしたくて近づくだけなのに、いつもみんなは逃げたり、助けを求めて叫んだりします。それがくやしくてライオンはそんな動物たちを食べていました。ところがある日出会った1匹のシマウマは、初めてライオンにあいさつをしてくれ、ゆっくり話を聞いてくれたのです。2匹は友だちになりました。柔らかい色調の絵が、心にしみる物語を彩ります。
「こどものとも」300号
26×19cm 32ページ 当時の定価200円
12月 22, 2005 1980年「こどものとも」バックナンバー | Permalink
|
| トラックバック (0)