2011年12月28日 (水)
絵本作家のアトリエ・瀬川康男の仕事
すっかり更新が滞ってしまいました、すみません!
好評連載「絵本作家のアトリエ」。2月号は、2010年2月に惜しまれながら亡くなった、瀬川康男さんの仕事です。
『ふしぎなたけのこ』『いないいないばあ』『ことばあそびうた』など、世代を超えて愛される絵本を手がけた瀬川さん。
変容を続ける画風で、孤高の絵師とも呼ばれた画家の足跡を生前の声をもとにたどります。
瀬川康男さんは、1932年愛知県岡崎市に生まれた。
とにかく早熟なひとだった。子どものころから優等生、みなに慕われ、自然とまとめ役を任された。
学校では全校生徒を指揮し、けんかが起きれば仲裁に入る。
家では南画(文人画)を好む父が購読する美術雑誌「南画鑑賞」に幼少期より触れて東西の美術に親しみ、絵を描かせれば父をしのいだが、小学校の写生大会では教師に評価されないという、早熟さゆえの悲哀も味わった。
勉強も得意だった瀬川さんが本気で画家を志したのは、13歳で終戦を迎えたときだ。
理由は、空襲が「病気になるほど」怖かったから。
「爆撃で火事になって、その光景が焼きついちゃったのね。
空襲がこわいってことは、軍国少年にとってはものすごい屈辱的なことだったわけよ。(中略)
おれはこのままでは生きていけないなっていう。
どん底まで追い詰められて、そのときに鼻紙に絵を描きはじめた。(中略)
絵をつかまえて生きようと思ったんだね。うん、そう思う」。
そんな折、町で「門人募集」の看板を目にする。
しわだらけの新聞紙でくるんだするめが、額の中に入っている、と不思議に思って近づくと、それは絵だった。
「すごい腕だと思ってね。即日、入門した」。
入門先は日本画家、山本恵川。
言われるまま描いた絵が激賞され、一年ほど日本画の手ほどきを受けた。
中学一年生のときのことだ。
池大雅、浦上玉堂といった日本画家を尊敬する一方、このころ洋画にも目覚めていく。
「ドーミエの、むちゃくちゃに線を重ねたようなデッサン、あれにいたく感動してね(中略)。
ああいうやつをかきたいなと思って、洋画の勉強をし始めたの。
洋の東西を問わず、そういうふうに、(奥にあるものを)つかみ取って来る人が好きなの」。
こうして南画に始まり日本画、洋画と吸収を続ける瀬川さんの旺盛な好奇心と知識欲は、学制改革により移った新制高校でも衰えることがなく、美術部の仲間たちを刺激し、引っ張っていく。
*この続きは、本誌でお読みください。
(写真・伊藤修)
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2011年9月 6日 (火)
絵本作家のアトリエ・平山和子さん
10月号の「絵本作家のアトリエ」には、『くだもの』や『たんぽぽ』など、植物を題材に、新しい絵本の世界を開いてきた平山和子さんが登場です。
長野県黒姫のアトリエで、たっぷりお話をうかがいました。
取材依頼の電話をすると、「大した物は用意できませんが、うちでお昼を一緒に食べましょう」とお誘いを受けた。
当日、黒姫駅に着くと、『ぽとんぽとんはなんのおと』など同じく絵本を描いている、お連れ合いの英三さんが、助手の方と一緒に車で迎えに来てくれていた。
新緑がきれいな山々を車窓から見ながら十分ほど行くと、林の中に、自宅兼アトリエが見えてきた。
木で組んだ二階建ての家。
鳥の鳴き声が聞こえ、庭のあちこちに花が植えられている。
食卓を囲みながら
「遠いところいらしてくださって、ありがたおうございます」。
玄関の外で出迎えてくれた平山さんの後について、まずは家の中を案内してもらってから、お昼ご飯になった。
みんなで食卓を囲みながら、話題は自然と食べ物と絵本のことに。
――『おにぎり』だけは、和子さんじゃなくて、英三さんが文章を書いていらっしゃるんですね。
「ええ、あの絵本はもともと、当時平山(英三さんのこと)が”子ども技術史”という発想で考えていた絵本の一つでした。
それで文章が彼になっているんです。
子どもが生きていくために獲得していく技術、身近に見る技術とは何だろうと、二人でよく話してまして、”手を使う”ことを表現したいと思ったのです。
それから、締切間際になって、私が猫に手を噛まれて絵を仕上げるのに苦労したのも思い出しますね。
彼には『聞き手を噛まれるとは、プロ意識が足りないね』と言われました。古い話ですね(笑)」。
英三さんも笑っている――。
昼食後、あらためて平山さんご自身にじっくり話を伺うことにした。
「私、要領よくお話しできなくて、いつも枝葉のふにいっちゃうの(笑)。
だから、どんどん質問してくださいね」。
土になじんで
平山和子さんが生まれたのは、1943年、東京・杉並の郊外。中央線が通り、バス通りも舗装されていたが、それ以外は砂利道で、畑や森などの緑も多く残っていた。
そんな中を、二つ上の兄にくっついて男の子たちと森や原っぱ、川ばたで遊んでいたのが5,6歳ころの記憶だという。
「箱庭を作るのも好きだったんです。
空き箱に土をしいて、それを定着させるための苔を入れ、山に見せるために木を植えるの。
それから、瓦をうまく利用して水を流し、めだかやおたまじゃくしを放して、いかにも川みたいにして。
自分の思い通りの世界を作って楽しんでいました」。
小学生のとき、戦争で食糧事情が次第に悪化していった。
戦後、母親は庭や道ばたに畑を作り、カボチャなどを植える。
そんな母親を手伝ううちに、平山さんは植物の世話をすることに楽しみを見つけていった。
*この続きは、本誌でどうぞ。
(写真・長島有里枝)
9月 6, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2011年8月 5日 (金)
絵本作家のアトリエ・佐藤忠良さんの仕事
9月号の「絵本作家のアトリエ」は、今年3月に98歳で逝去された彫刻家、佐藤忠良さんの仕事を振り返る、番外編です。
佐藤さんは、日本を代表する彫刻家であり、美術界で多くの後進を育てた優れた教育者であり、そして何より子どもたちに愛されつづける『おおきなかぶ』などたくさんの絵本を生み出した方でした。
その足跡には、今、子どもを育てるすべての人に触れていただきたい珠玉の言葉がいっぱいです。
貧しさのなかで
「うんとこしょ、どっこいしょ」。
かけ声とともに巨大なかぶを引き抜こうとがんばるおじいさんたち。
何度も何度も失敗するけれど、くじけず挑戦し続け、ついに……。
絵本『おおきなかぶ』は訳者、内田莉莎子さんのリズム感あふれる文章と、横長の画面を見事に活かした力強い絵で刊行から半世紀を経た今も子どもたちに愛されている。
その絵を手がけたのが、佐藤忠良さんだ。
佐藤さんは1912年、宮城県に生まれた。
しかし、6歳のときに農学校の教師をしていた父を亡くし、母の郷里である北海道、夕張に移る。
小学校では、絵を描くことに夢中になった。
”画家”という職業があることも知らなかったそうだが、図工の時間が楽しみだった。
教師も佐藤さんの画力を認め、算数の授業中にひとりだけ絵を描いていてもしかることはなかった。
さらに作品を札幌の展覧会に送ってくれたという。
その結果は見事、入賞。
佐藤さんは次第に美術の道へ進むことにあこがれを抱き始める。
暮らし向きは決して楽ではなかった。
佐藤さんも「小学校を出たら、丁稚奉公でも行くよりほかしかたないかと思っていた」*Aほど家計は苦しかった。
しかし、母親は中学への進学を勧める。
当時のことを佐藤さんは後にこう書いている。
「母は、毎夜、3時間か4時間ぐらいしか、寝なかったかもしれない。ちかくの坑夫長屋の娘さんたちを相手に裁縫を教えながら、夜は遅くまで針仕事」*B。
「(中学に通うため)私も弟も、母と別れて札幌へでた。夜なべしながら運ぶ母のはり目を、一つずつ、かいなく抜いてゆくようなせつなさがふっと少年の日の私を襲うことがあった。それにもかかわらず、私はもう、美術家になろうという夢を描き始めていたのである。この上また、いつまでも苦労しなければならない娘がかわいそうと気をもむ祖父母に、母は『好きなことをさせます』と、おし通してくれた」*B。
”群馬の人”との出会い
1925年、13歳でひとり札幌に出た佐藤さんが、あるとき植物園の草むらに寝ころんでいると、若い男が話しかけてきた。
不思議と話がはずみ、母が苦労して育ててくれた話をすると、「いっしょに自炊しないか」と言う。
生活費を助けよう、という申し出だ。
生年は佐藤さんの母親に手紙を書いた。
すると「(母が夕張から)4時間かけて会いに来て『お願いします』と頼んでくれた。見ず知らずの人にですよ。度胸のいい人だよね」*C。
その若者は、北海道大学の畜産家に助手として勤めている群馬県出身の人だった。
引用元
A「こどものとも」539号『木』折り込みふろくより
B「母の友」1956年7月号、「『おふくろ』のこと」おり。*仮名づかいを変えています。
C『若き芸術家たちへ ねがいは「普通」』安野光雅との共著、中公文庫
*この続きは、本誌をお読みください。
(写真・山本尚明)
8月 5, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2011年7月12日 (火)
絵本作家の書斎・稲田和子さん
8月号の「絵本作家の書斎」は、長年、昔話の研究や再話に取り組み、数々の昔話絵本の文章を手がけてきた稲田和子さんです。
昔話を「再話」するとはどういうことか、稲田さんがどのようにして、昔話の世界に魅せられていったのか、たっぷりうかがいました。
昔話絵本『くわずにょうぼう』と聞いて、赤羽末吉の迫力ある絵を思い出す人もいるかもしれない。
では、お話を書いたのは誰だろうと表紙を見ると、そこに稲田和子さんの名前がある。
しかし、「作」ではなく、「再話」と。
「再話って何のこと?」「そもそも昔話とは?」
あらためて考えるとよくわからない。
そんな素朴な疑問を胸に、4月中旬、岡山県に稲田さんを訪ねた。
岡山駅からタクシーで10分ほどのところで降り、家の呼び鈴をならすと、稲田さんご本人が出てきて「遠いところをわざわざお越しくださいました」と、丁寧に居間に案内してくれた。
書棚には日本の昔話に関するたくさんの資料があり、さすが研究者の家と、少し緊張しながら机の上に目をやる。
と、ほっかむりをした穏やかそうなおばあさんの写真が目に入った。
その隣にはお城の模様の入った絣。
「めずらしい柄でしょう、この絣」。
途端に稲田さんの目が輝く。
「この写真のおばあさんが機で織ったのをもらったの。
福井雪江さんいうて、私が短大に勤めはじめた1972年に、広島県の上下町で昔話の調査をしたときに出会ったんです。
ほんとにいい語り手でした。
のちに有名になり、彼女の語りがレコードになったくらい。それからね……」と、流れるように語り出した――。
文学好きの一家だった
語り手への思いを熱く語る稲田さん。
「ご自身も、子どものころお家でたくさん昔話を聞いて育ったのですか?」と尋ねると、すぐに「いいえ」という声が返ってきた。
稲田さんは1932年、岡山県里庄町生まれ。
母親がたまに”ありふれた”桃太郎を聞かせたぐらいで、特別、昔話を聞いて育ったわけではない。
家は農家で、兄2人、弟2人の5人きょうだいのまんなか。
本をよく読む文学好きの一家だったそうだ。
「母は、石川啄木の短歌が大好きでね。
あるとき、父の畑仕事に私と弟でついていったけど、なにしろ退屈で。
それで、弟に啄木の歌を聞かせてたら、父が『もういっぺん今のを聞かせてくれ』と頼むので、『はたらけど はたらけどなほ わが生活 楽にならざり ぢつと手を見る』と聞かせると、『啄木はええのを言うのお』言いよりました。
父も俳句雑誌に投稿したりしてました」。
*この続きは、本誌でどうぞ!
(写真・山本尚明)
7月 12, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2011年6月20日 (月)
絵本作家のアトリエ・大竹伸朗さん
更新がすっかり遅れてしまいました……。
好評発売中の7月号、「絵本作家のアトリエ」は大竹伸朗さんです!
現代美術家として知られる大竹さんの(作・絵ともが)唯一の絵本が『ジャリおじさん』。
鼻からひげの生えたふしぎなおじさんがじゃりじゃり言いながら黄色い道を旅するお話です。
愛媛県宇和島市のアトリエを訪ね、創作について、絵本について、たっぷりうかがいました。
油絵を中心に、コラージュ、立体、絵本、印刷物など、表現方法も多彩なら、作品数も桁違い。
どこまでも鋭く過剰な人――それが現代美術家、大竹伸朗の印象だったから、『ジャリおじさん』はすこし不思議だった。
ナンセンスでへんちくりんで平和で、どこかあたたかい世界。
そしてそれが彼の唯一の絵本だというのだ。
はじまりはドラマチック
3月初め、機内からは瀬戸内海に浮かぶ島々を、松山発特急列車からは菜の花の咲く里の春を楽しむあっという間の4時間の旅の末、列車は11時半、終着駅に到着した。
約束は午後2時。まずは街を歩いて昼食をとろうと、ぼんやり向かった改札口には、なんとすでに黒いキャップを後ろ前に被った革ジャン姿のひげ面男性(作家本人)が待っていた。
「いらっしゃい。昼飯、まだだろ?」。
地元の人たちで賑わう麺どころに入り、小さめのテーブルをぎゅっと囲む。
「ここ、昔は丼物もやってたんだけど、いつのまにか麺だけになったよな」と言いながら、作家はラーメンをすすった。
店を出て、アトリエに向かっていたときだ。
車が交差点で突然急停車、通りを歩いていた少女がそれに気づいて、こちらにかけてきた。
紅潮した頬でなにやら会話を交わしたかと思うと、自宅まで送っていくことに。
昆布座席に乗り込んできたその少女は、昨日高校を卒業したばかりの大竹さんの次女の同級生。
耳にピアスの穴を開けた帰りに歯科医院で検査をしたら、誤って奥歯に穴を開けられてしまったという。
事情を話し始めた純な18歳少女の目からは、ショックと痛さで涙がぽろぽろこぼれている。
どうやって励まそう、と身を固くしていると、前席から声がした。
「なおちゃんももう高校卒業だもんなあ、ほんと早いよ」。
とても優しい、お父さんの声だ。
アトリエか、巨大倉庫か
少女を自宅前で降ろし、車は山の奥へと上っていく。
13年前に建てたというアトリエは、倉庫のように、斜面にそびえていた。でかい。
「描いたものはその瞬間忘れ去って次を描くっていう感じだから、どこに何があるか覚えてないんだよね」。
棚から無造作に一枚、青い風景がを引き出す。
「この絵とか、7年ぶりにみるけど、当時の気持ちが出てる。
今だったらこういうふうにならないんじゃないかな。
人の感情って、喜怒哀楽っていうよりもっと複雑。
言葉や態度で表現できない気持ちっていうのが、絵とか音楽に近いと思う。
自分にとって創作は、ずっと微熱が続く感じというか、そんな状態。
自分の内側の世界が表面に出る、っていうのがハッピーなんだけど、出ちゃうと終わる。
そうするとまた次。
それを延々と繰り返しているだけで。」
*この続きは、本誌でお読みください。
(写真・浅田政志)
6月 20, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2011年5月12日 (木)
絵本作家のアトリエ・辻村益朗さん
好評連載「絵本作家のアトリエ」も、6月号で45回目を迎えました。
海外編、特別編などを合わせると、すでに50人以上の作家のアトリエをお訪ねしてきたことになります。
編集部にとっても、この連載は仕事場におじゃまして、長い時間お話を聞かせていただける貴重な機会。
毎回取材に行くのを楽しみにしているコーナーの一つです。
さて、今回お訪ねしたのは、ブックデザイナーとしても小社刊行物を長い間支えてくださっている、辻村益朗さんです。
デザインを手がけた本は、なんと1000冊以上! 福音館書店の本だけでも、「エルマー」や、「タンタン」、古典シリーズや福音館文庫などがあり、皆さんもきっと手にしたことがおありでしょう。
電子書籍が出現した今、改めて「本」とはいったい何なのかを考えなければ。
そんなことを頭の隅に置きながら、東京都内の高層マンションにある、辻村さんのお宅を訪ねました。
決まったことでなく、自分の気に入るように
午後の陽が注ぐ明るい仕事場で、辻村さんがにこやかに迎えてくれました。
家具や小物が整然と配置されています。
「4年前に一軒家からこちらに越しまして、そのときに膨大な資料を手放したんですね。
自分が装丁した本だけでも相当数ありましたから。
書庫や暗室もあったのですが、全部本で埋まっていて」。
えっ、暗室があったのですか?
「私がデザインを始めた40数年前は、活字の時代。
それから写真植字になったのですが、平体や長体、斜体をかけるにも、写植屋さんでは決まったことしかできない。
文字を自分の気に入るように加工するには、暗室で自分で作るほかなかったんです。
それに、自分でやったほうが速い! 急ぎの仕事が多かったですから」。
嗅覚から絵画へ
辻村さんは1934年、愛知県岡崎市で生まれました。
「父方は街道筋の宿屋の家系。祖父は隠居して古道具が好きでした。
宿屋だから、宿場に流れてきたおかしなものがたくさんあったんです。偽物の掛け軸とか。
家計に無頓着な道具好きの血は、私も祖父から受け継いでいますね。
母は和装の師匠をしておりまして、お弟子さんに教えながら、自分で袴を仕立てたりもしていた。
職人気質で、できあがったものを見て、気に入らないとまた全部ほどいてやり直す。
あまりもうけにならない仕事でしたね。
今思うと、私もその気質を引いている。
仕事で、他の人が気にならないところが妙に気になってやり直す。
そういうところがあります」。
*この続きは、本誌でどうぞ!
(写真・吉原朱美)
5月 12, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2011年5月10日 (火)
母と娘のあいだには
わが子はかわいい、でもときに苦しさを感じる瞬間がある……。
その一瞬の苦しさは、もしかしたら自分自身が母親から受け取っていたものと関係があるかもしれません。
「母」として子育てに頑張るあなたは、同時に「娘」でもあるのです。
6月号の特集「母と娘のあいだには」は、そんな微妙な母と娘の関係に、真正面から向き合う試みです。
自分に正直に、見つめ直してみませんか、あなたとお母さんとのこと。
今回の特集の案内人、岩城範枝さんは、現在60代。
母親の介護をきっかけに、今まで解放されずにきた母親との心の問題に直面している友人をたくさん見てきました。
「母のここがイヤ」と思うことさえ必死に否定して、自分の気持ちを抑え込んだまま精神のバランスを崩したり、ついには老いた母親を虐待してしまったり……。
そこには幼いころから続いてきた母親の影響と、それに抵抗できなかった娘の長い歴史があるのではないか――。
岩城さんはそう語ります。
まずは”怒り”に気づいて
手塚千鶴子
今回まずお話を聞くのは、岩城さんの中学高校時代の同級生であり、自身も母親との葛藤を体験した手塚千鶴子さん。
手塚さんは現在、海外からの留学生たちに日本文化の視点から考える日本人の心理学や異文化コミュニケーションの授業を行っています。
――母親に対するもやもやした気持ちは、どうやら若い世代にもあるようです。
きちんと育ててくれたことに対する感謝の念があるからよけいに、母のここがイヤだと言えない。
そう思う自分に罪悪感を感じてしまうのよね。
臨床心理学的には、そういう罪悪感は”怒り”とつながっているんだと思う。
罪悪感のほうが気づきやすいけれど、その裏側に張り付いている怒りには気づきにくい。
私自身もそうだったから。母に対してネガティブな気持ちをもったり、父を亡くし一人でいる母になかなか会いに行けないことがものすごく大きな罪悪感になっていた。
私もフルタイムで働いていて忙しい。それでも、どうしてきょうだいじゃなく私ばっかり見舞いに行かなくちゃいけないの、という怒りにはならず、行ってあげられない罪悪感のほうが強かった。
自分の中に怒りがあることがわかるようになり、受け入れてからのほうが、罪悪感がなくなっていったという感じがする。
――自分の中に怒りの気持ちがあるということに、まず気づくことが大事なのね。
大事だと思う。
でも気づくのって怖いのよね。イヤなのよ。
気づくと「自分は嫌な娘だなあ」と自分を縛る罪悪感になってしまうから。
全く気づかないでいる人のほうが多いんじゃないかしら。
――手塚さんの研究テーマは「日本人の怒りについて」でしたよね。
そう。それは私自身が怒りに気づけない、怒れない人だったからなの。
自分の怒りを表現したり伝えるすべを知らなかった。
それが留学生を相手に授業をするうちに、これは自分だけでなく多くの日本人の中にあるものなんだ、そして怒るということは意外に大事なんだ、と。
日本人って、怒りや否定的な感情に気づきにくいし、それを表現できない傾向があるでしょう。
留学生の多くが、「なぜ日本人は怒らないんですか?」と不思議がっています。
「怒りも人間の感情で、健康なことじゃないですか」「ニコニコしながら怒っていると、どうしていいかわかりません」って(笑)。
彼らは、意見の食い違いがあってぶつかるからこそ本当の友達になるんじゃないか、それをしないまま別れてしまってはもったいないとも言います。
*この続きは、本誌でお読みください。
てづかちずこ 1946年生まれ。慶應義塾大学日本語・日本文化教育センター非常勤講師。教育心理学博士。専門は多文化間カウンセリング。日本人と留学生が英語で共に学ぶ日本研究講座で、「日本人の心理学」「異文化コミュニケーション」を教える傍ら、留学生や日本人学生のカウンセリングを担当。
5月 10, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2011年4月11日 (月)
絵本作家の書斎・筒井頼子さん
5月号の「絵本作家の書斎」は、絵本『はじめてのおつかい』などで知られる、筒井頼子さんです。
デビュー作『はじめてのおつかい』はどのようにして生まれたのか。
林明子さんら、画家とのやりとりも交えてお話をうかがいました。
幼いころに聞いた話
筒井頼子さんは、1945年2月、東京に生まれた。
まさに東京への空襲が激しさを増したころ。母親は、頼子さんの首が据わった時期を見計らって、上のコたちを連れて故郷の秋田に疎開した。
父親は全国で仕事する電話技師のため、年に数回しか家には戻らない状態。
きょうだいは兄と姉、そして戦後生まれの妹と弟の5人だ。
「幼いころは、母や祖父からたくさんのお話を聞きました。
とくに祖父がよく語ってくれましたね。
私が『昔ばなしを聞かせてけれ』と言うと、いろりの灰をかき回しながら、『むがーしむがしな、あったんだどー』と話してくれるんですよ。
お話を聞いた晩は、夜の闇に物語が映像のようになって映し出される気がしました。
祖父から聞いた『三枚のお札』には鬼が出てくるのですが、話の中で鬼の足が一歩、ズン、ズンと出るたびに、私まで追いかけられているような気がして、本当に怖かった。
怖い話も面白い話も、祖父から聞くのがとても好きでした」。
文化の違いに戸惑った!
一家は、小学校2年の夏休みに埼玉県へと引っ越した。
「新しい所では、周囲の家庭環境や親子関係が、私の家とは全く異なっていて、一歩外に出ると、話が通じない感じがしました」。
当初は、買い物をするのにも困ったという。
秋田なら店に入ったときに「はーえー」と言えば、それが挨拶となり、店の人が応対してくれた。しかし、埼玉では「ちょうだいな」と声をかけなければならなかった。
ところが筒井さんは幼いときから、「『ちょうだい』というのは、ものをねだる下品な言葉だ」と親から教えられ、使うことを感じられていた。
そのため、店の人に声をかけられずに戸惑ったという。
周囲になじめなかったときは、家の近くの林で、木登りをしたり、空想の世界をふくらませて遊んだ。
それは自由で心躍らせる時間でもあった。
*この続きは本誌でお読みください。
(写真・宇井眞紀子)
4月 11, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2011年4月 5日 (火)
青木悦インタビュー「自分は自分、わが子はわが子」
教育ジャーナリストの青木悦さんは、長年、悩める母親たちに接し、その相談に乗ってきました。
若いお母さんたちは、自身が受けてきた教育のゆがみを引きずり、それが現在の子育てに影響してしまっていると語ります。
「自分と子どもを分けて考えること」「まわりと比べずに、目の前の子どもをきちんと見つめること」、そんなふたつの意味での「自分は自分、わが子はわが子」。
5月号の特集は、青木さんのインタビューをお届けします。
温かなメッセージをお聞きください。
[インタビュー]
自分は自分、わが子はわが子
青木 悦
「入園するのは子どもなのに、自分(親)のほうが緊張してしまっている」
「思い出を作らなければ、というプレッシャーから休日は家族で無理に出かけ、疲れ切ってしまう」
「人間関係作りがヘタ」
昨年度まで、4年間にわたって連載したエッセイ「今月のお母さんへ」で、青木悦さんは、現代の母親たちが抱える様々な事象を紹介し、その悩みに寄り添ってきました。
「今の母親の悩みは、自身が子どものときに受けた教育におおもとがある」という青木さんが、その連載について語ってくれました。
自分と子どもを切り離せない
「今月のお母さんへ」、知らない間に長く続いていましたね。
各回のテーマは、若いお母さんからいただく手紙がきっかけになることが多かったです。
手紙が来てすぐ書くわけではなく、どういうことかと考えて、また同じ事例の手紙をいただいて、また考えて、そして初めて原稿に書くのですけれど。
お手紙で多いのは、実は子育ての悩みというより自分のこと。
「自分は友だちがいない。子どもにも友だちができない。子どもは友だちがたくさんいたほうが楽しいはずなのに」といったものが多いんです。
「うちの子はドジねえ」「要領悪いなあ」などと思えるお母さんはまだいいほう。
「私が人間関係作るのヘタだから、うちの子もあんなになったんだわ」と、原因を100%自分に持ってきてしまう。
まずは、「私は私、子どもは子ども」と分けて考えられるようになるといいのですが。
「見てくれ」のためにがんばる
もうひとつ問題なのは、自分の見方よりも、「まわりからどう見られているか」が大きな要素になってしまっていること。
結婚して子どもが生まれるまでは、それほど意識していなかった人が、子どもができたとたん、まわりの目を意識し、子どもがひとつのファッション、評価される対象になってしまうんですね。
また、それが子育てに悪い影響を与えている。
今は、まわりの目も変化しています。
私から見ると、はっきり言って、冷たい。電車の中などで、「子どもにしつけもできないで」「自分はあんなに着飾って、子どもにこんな靴下はかせて」などと聞こえよがしに言う人もいます。
マイナス要素を見つけて露骨に言うんですね。
お母さんたちは気にしているんだろうな、と思います。
*この続きは、本誌でお読みください。
あおきえつ
1946年高知県生まれ。教育ジャーナリスト。「朝日中学生ウイークリー」「婦人民主新聞」記者を経て、フリーランスで活躍。著書に『泣いていいんだよ――母と子の封印された感情』『まだそんなに「まわり」を気にするの?』(以上けやき出版刊)、『幻の子ども像』(坂本鉄平事務所刊)など。
4月 5, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2011年3月10日 (木)
絵本作家のアトリエ・せないけいこさん
4月号の「絵本作家のアトリエ」は、『ねないこだれだ』や『いやだいやだ』などの小さな貼り絵絵本で子どもの心をがっちりつかんできた、せなけいこさん。
『ねないこだれだ』や「めがねうさぎ」シリーズ、「おばけえほん」シリーズなど、おばけの出てくる絵本を数多く手がけているせなさんを訪ね、絵本作家としてデビューするまでのお話をうかがいました。
ボン ボン ボン……夜は眠る時間です。
夜中に遊ぶ子は、おばけになって、おばけの世界に飛んでいけ――。
『ねないこだれだ』は出版以来、40年以上にわたり愛されている絵本です。
柔らかいタッチの貼り絵で描かれるおばけは、ユーモラスだけどどこか怖い。
子どもがおばけの世界につれていかれたまま終わるラストは、ぽーんと突き放されたような印象を残します。
いったいどんな人が、どんな思いでこの絵本を作ったのでしょう?
神奈川県・逗子市に、せなさんのご自宅兼アトリエを訪ねました。
おばけは怖い?
指定されたバス停から歩いていくと、小高い丘の上に二階屋がありました。
家の中を案内してもらって、まず圧倒されたのが本の量! 玄関、居間、2階の寝室兼仕事場の壁際に高い棚があって、本が縦に並び横に積まれ、ぎっしり詰まっています。
「なにしろ、本屋に行っては、いろいろすぐに欲しくなって買うので増える一方。
地下に書庫もあるんだけど、整理が悪いからあちこちにもぐっちゃって、あの本はどこ行ったかなってしょっちゅう探しているんです。
出てこないから、また買い直したり(笑)」。
最近買った本はなんですか、と尋ねると、『妖怪絵巻』(「別冊太陽」)という答えが返ってきました。
なるほど、本棚にも、『本日の水木サン』(水木しげる)、『お化けについてのマジメな話』(平野威馬雄)、『ホラー小説大全』など、妖怪やお化け関係の怖そうな本が多くならんでいます。
やっぱり、おばけが好きなのですね?
「でも、私、もともとは”おばけ党”じゃなかったんですよ。
小さいころは、特におばけが怖い、なんて思ったこともなかったですし。
興味を持ち始めたのは大人になって自分に子どもができてから。
息子が3歳くらいのときに、テレビアニメの『ゲゲゲの鬼太郎』に夢中になったんですよ。
でも、ひとりで見るのは怖いってんで、テレビをつけては『ママ、ここに来て隣に座っててよ』と言うんです。
『そんなに怖いならやめようか』と聞くと、『ううん、ぼく見たいの』って。
子どもはそんなにおばけが好きなのかと、興味を持って調べ始めたらおもしろくて、私のほうがのめり込んでいっちゃってね。
この間も日本の妖怪の研究をしている民俗学者の小松和彦先生の講演を聴きに行きましたよ」。
*この続きは、本誌でごらんください。
(写真・岩崎美里)
3月 10, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2011年2月23日 (水)
中村柾子さんの「ピーターラビットクイズ」
3月号の特集「ピーターラビット解体新書」はいかがでしたか?
保育園でよく「ピーターラビット」シリーズを子どもに読んでいたという中村柾子さんが、お話の中である女の子たちが「あんまり好きなので、クイズを作ってやった」とおっしゃっていたのをご記憶でしょうか?
紙幅の関係で、本誌には掲載できなかったそのオリジナルクイズを、ブログ限定でご紹介いたします。
女の子たちは、「お話には書いていないようなこともきちんと調べてきて、全問正解した子が数人いたんですよ!」とのこと。
ご家庭で、本を片手にどうぞ挑戦してみてください。
(答えは一番下にあります)
ピーターラビット クイズ
お父さんやお母さんたちと一緒に考えてください。
1 ピーターにはフロプシーとモプシーと、もうひとりのきょうだいがいます。だれでしょう。
2 フロプシーは、おおきくなってだれとけっこんしましたか。
3 そのこどもたちは、なんにんでしょう。
4 あるときフロプシーのこどもたちは、マグレガーさんのはたけにいき、ねむってしまいました。なにをたべてねむくなったのでしょう。
5 フロプシーのこどもたちのとじこめられたふくろをかじってたすけてくれたのは、だれですか。
6 ピーターのいとこのベンジャミンのおとうさんのなまえは?
7 ピーターのおかあさんのしごとはなんですか。
8 「こねこのトムのおはなし」より。ねこのタビタおくさんのいえには、なんびきのねこがいますか。
9 そのおとこのこは、あるときやねうらべやで、おおきなねずみにつかまってしまいます。そのねずみのなまえは?
10 トムは、そのねずみのふうふに、あやうくたべられそうになりました。ねずみのふうふは、トムをどんなふうにしてたべようとおもったのでしょう。
11 つぎは「2ひきのわるいねずみのおはなし」です。ルシンダとジェインは、あかいいえにすんでいるにんぎょうたちです。あるときこのいえに2ひきのねずみたちがやってきました。なんというねずみでしょう。
12 そのにんぎょうのいえには、あおいふくをきた…じゅんさ…がいますが、このじゅんさは、ほかのおはなしにもでてきます。なんのおはなしでしょう。(ヒントは、おみせです)
13 そのおみせはとてもはんじょうしていましたが、みせをとじることになってしまいました。どうしてでしょう。
14 つぎは、「あひるのジマイマのおはなし」です。ジマイマは、きつねのこやでたまごをうみます。いくつうんだでしょう。
15 あぶない! ジマイマがあやうくきつねに食べられそうになったとき、ジマイマをたすけてくれたのはだれでしょう。
16 「りすのナトキンのおはなし」より。りすたちがふくろうにもっていったおくりものはなんでしょう。
17 ナトキンは、れいぎしらずだったので、ふくろうをおこらせてしまいます。そのけっか、ナトキンはなにをうしなったでしょう。
18 つぎからは、とてもむずかしいのでほんをみてもいいです。「ピーターラビットのおはなし」にでてくる、しょくぶつのなまえを3ついじょうこたえてください。はなでも、やさいのなまえでもいいです。
19 ピーターのおかあさんのなまえは?(これは、おはなしのなかにはでてきません)
20 ピーターは、けっこんしたでしょうか。(これもこたえはありませんが、えには、それらしくかいてあります。さてどのえでしょう)
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【クイズのこたえ】
1 カトンテール、2 ベンジャミン、3 6にん、4 (とうがたってはなのさいてしまった)れたす、5 トマシナ・チュウチュウ、6 ベンジャミン・バニー氏、7 うさぎの毛の手ぶくろや、そでかざり、せんじぐすりや「うさぎたばこ」を売る仕事、8 3びき(トムとミトンとモペット)、9 ひげのサムエル、10 ねこまきだんご、11 トム・サムとハンカ・マンカ、12 ピクルスとジンジャーやのおはなし、13 かけでうっていてげんきんがなく、3998えんのぜいきんがはらえなかったから、14 9こ、15 ばん犬のケップ、16 ふとったねずみ3びき、ふとったもぐら1ぴき、ふとった小ざかな、ふとったごみむし(すかんぽのはでつつみ、まつ葉でとめたもの)、まるはなばちのみつ、うみたてたまご、17 しっぽ、18 もみの木、くろいちご、れたす、さやいんげん、はつかだいこん、ぱせり、きゅうり、きゃべつ、じゃがいも、すぐり、(ぜらにうむ)、えんどうまめ、いんげんまめ、かみつれ、19 ジョセフィーヌ・バニー、20 けっこんしました。(「フロプシーのこどもたち」参照)
2月 23, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2011年2月16日 (水)
絵本作家のアトリエ・加古里子×松居直
3月号の「絵本作家のアトリエ」は、前号に引き続き、加古里子さんと松居直の特別対談をお届けします。
同じ1926年生まれの2人。2月号では、絵本にこめた思いを加古さんの初期作品の思い出から語り合いました。
今回は、この春出版予定の新作絵本『万里の長城』について。
いま、なぜ「万里の長城」なのか?
お話は、絵本という枠を超えて、日中関係にまで及び……。
すべての方にいま、読んでいただきたい対談です!
なぜ、万里の長城か?
加古 ぼくは『ならの大仏さま』と『ピラミッド』という絵本で建造物をテーマにしながら歴史を語るという試みをしました。
今度はアジアの別の国を舞台に、と思ったのですが、恥ずかしながら、知識がない(笑)。
子供のころは理工ばかりを学んでいたから、東洋史は全然やってこなかった。
こんな面倒くさいものをなぜ勉強しなきゃならんのだと思っていたくらいです。
松居 ぼくは大好きでしたよ、東洋史(笑)。
漢文も好きで、旧制中学のときに『十八史略』や『論語』『孟子』をやりました。
加古 いや、やっぱり違うなあ。私に中国の歴史を学ぶきっかけを与えてくれたのも松居さんです。
20年ほど前に児童文学関係の催しで中国に連れていっていただいて。
松居 日中科学セミナーだったかな。
加古 はい、その後、上海にも連れていってもらいまして、もしぼくが軍隊に入っていたら、一戦交えていたかもしれない方々とお話しする機会にめぐまれました。
あのとき「自分はなんにも知らなかった」という思いを強くしたんです。
それで中国の歴史を調べ始めたのですが、調べれば調べるほど、日本と中国の関係は切っても切れないことがわかってきた。
たとえば、月見の宴はもちろん、ひな祭りや、端午の節句、いろいろな行事は中国が発祥なんですね。
これはおもしろい。ぜひ子どもさんたちにも、変なこだわりなく、中国の歴史を伝えたいと思いました。
それには、万里の長城を主題にするのが一番いいだろうな、と考えていたある日、松居さんがお一人で我が家にいらっしゃった。
そのときぼくが口を滑らせて、長城の話をしたら、すばらしい、絵本にすべきです、と大変乗り気のようなことをおっしゃって。
松居 はい、言いましたね。
加古 でも、きっと「ぼくをはげますために外交辞令を言ってくださったんだろうな」と思っていたんです。
ところが、しばらくしたら、中国出身の編集部員の唐亜明さんと一緒にやって来られて、具体的なお話が始まった。3
うわーっと、もう舞い上がるような気持ちでした。
我らの仕事
松居 加古さんは『地球』や『海』といった絵本を描いていらっしゃいますでしょう。
あれを見てぼくは本当に感心したんです。
単なる図鑑じゃない。知識をただ載せているのではなく、ちゃんと子どもに語りかけている。
そういう新しい姿のかがく絵本を作ってくださった。
ですから万里の長城と聞いたとき、加古さんならすばらしいものを描いてくださると思ったのです。
*この続きは、本誌でお読みください。
(写真・浅田政志)
2月 16, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2011年2月 3日 (木)
「ピーターラビット」解体新書
「ピーターラビット」と聞いて、何を思い浮かべますか?
キャベツ畑に立つ青い上着のウサギの坊や?
マグレガーさんから必死で逃げるウサギの冒険物語?
今から100年以上も前、イギリスの作家ビアトリクス・ポターが描いたのは、それだけではありません。
美しい絵と上品な造本の陰(?)には、キケンとスリルとユーモアがたっぷり、抱腹絶倒の世界が繰り広げられているのです。
3月号の特集「『ピーターラビット』解体新書」では、日本語版刊行40周年を記念して、これまで語られてこなかった「ピーターラビット」の知られざる”キケンな”魅力を余すところなく徹底解剖します!
魅力を語るのは、熊川哲也(バレエダンサー)、フジモトマサル(イラストレーター)、梨木香歩(作家)、あべ弘士(絵本作家)、中村柾子(元保育士、青山学院女子短期大学非常勤講師)、祖父江慎(ブックデザイナー)という、多方面で活躍する諸氏。どうぞお楽しみください。
*写真の本は1971年小社初版です。
どこかずれがあるような気がしていた。
キャラクターとしては知っている。でもお話は、絵本を読んだことは、と問われると言葉に詰まる──それが日本における「ピーターラビット」の認知状況ではないだろうか。だから昨春イギリスを訪れることになったとき、まず知りたかったのは本国ではどうなのか、ということだった。
出版元のフレデリック・ウォーン社(ペンギングループ)のライセンスディレクター、ニコラ・サンダースさんは開口一番こう言った。
「実は、みんな持ってはいるけれど、全員が読んでいるわけではないようなんです」。
キリスト教徒の多いイギリスでは、ポターの絵本セットは洗礼祝いの定番なのだという。
お話を理解できる年齢のはるか前、生後すぐに贈られるのが一般的だ。
「数年前に市場調査をしたところ、人々は自動的に全巻を買うものの、お話の筋や登場人物を知っている人は多くありませんでした」。
『ビアトリクス・ポター──描き、語り、田園をいつくしんだ人』などの著書があり、ビアトリクス・ポター・ソサエティの会長を長年務めたジュディ・テイラーさんも、「学校では、子どもには言葉が難しすぎると思う先生が多いようですね。富裕層の子どもたちのための本と思われることも。まったくそんなことはないのですが」と残念がる。
もちろん、「ピーターラビットの絵本」は母国の生んだ名作古典絵本として、イギリス人に深く愛されている。
書店をのぞけばかならずコーナーが設けられているし、ロイヤル・バレエ団の仕立てたバレエ劇や映画「ミス・ポター」は大成功を収めた。
しかし一方で、「イギリス人だからといって誰もが読んでいるわけではない」というのも確かなようで、やはりそこにはずれがある。
こんなにも愛されると同時に、ある種、誤解さえされる作品を生んだビアトリクス・ポター(1966~1943)とは、どんな人物だったのだろう?
*この続きは、本誌をご覧ください。
2月 3, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2011年1月 5日 (水)
絵本作家の書斎・ルース・スタイルス・ガネットさん
2月号は「絵本作家のアトリエ」と「絵本作家の書斎」の豪華2本立てでお送りしています。
「書斎」でご紹介するのは、幼年童話の傑作『エルマーのぼうけん』の作者、ルース・スタイルス・ガネットさん です。
1948年にアメリカで出版されたこの本は、以来10カ国語に翻訳され、世界中の子どもたちに読み継がれています。
昨年10月に来日された際、小社にも立ち寄られ、貴重なお話をうかがうことができました。
とにかくかわいらしい方なのです、ぜひお読みください!
一年前、「『エルマー』の作者が来日する」と聞いて、驚いたのを覚えている。
たしかあの本が出たのは、60年以上前のはず……その人が、来る!?
10月の晴れた午後、タクシーから降り立ったルース・スタイルス・ガネットさんは、ジーンズ生地のワンピースに白いハイソックス姿。
小柄だが、87歳には見えない足取りの軽さと人なつっこい笑顔に、思わず「ぴょんぴょこいわ」を飛ぶ姿が浮かんだ。
「私はホンモノよ。ほらここに、まだこうして生きています(笑)」
現在、アメリカ・ニューヨーク州郊外に住むガネットさんにとって、日本は今回が初めて。
娘と孫を連れてのプライベート旅行だが、個人的に3つの目的があったという。1つは、14歳になる一番下の孫との初めての旅行を果たすこと。
2番目は、長年親交のある友人との再会。
そして3つ目が、「こんなに長い間、私の本を持ちこたえさせてくれた日本の方々に、心からの感謝をお伝えすること」。
「出版当初、ほんのちょっと家族を支えられればというだけだったのに! この本のおかがで、私は7人の娘と8人の孫を育てることができました。
そしてわが国が他国に対して犯している様々な悪行を改めさせようとしている人々に、私なりの貢献をすることも。
もちろんですとも、私たちは自分の国が何を冒しているか、自覚していますよ。
人間の横暴さにはほとほと頭にきています。
私の本は、取るに足らないものかもしれない。
でも、私は私のできることをするしかないですからね」。
『エルマーのぼうけん』がアメリカで出版されたのは1948年。
その後スウェーデン後を筆頭に(日本語版は2カ国語目)各国語に次々と翻訳された。
11カ国語目となる中国語版が、2年以内に刊行予定だという。
そう説明した後で、ガネットさんは、こう言った。
「一つ知っておいていただきたいのは、私は作家ではないということです」。
*この続きは、本誌でどうぞ。
(写真:永野雅子)
1月 5, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年12月28日 (火)
ご飯で、つながる。
食の安全や食糧自給率など、食をめぐる問題が指摘されるなか、「シンプルに、ご飯食のよさを見直そう」という動きも出てきています。
2月号の特集「ご飯で、つながる。」は、そんな動きを体現している人たちの試みをレポートします。
向かったのは滋賀県草津市。
炊きたてのご飯のおいしさをわが子に伝えたいとの思いがきっかけでつながりはじめた、お母さんたちの輪と、作る人と食べる人をつなごうと模索する米農家。
2つの物語がつながったとき、見えてくるものがありました。
ご飯のおいしさを広めたい!
──母親サークル「むすび」の会の取り組み
滋賀県草津市に、炊きたてのご飯のおいしさを子どもたちに伝えたい! という思いのもと、「ご飯食を広める」サークルを始めた元気なお母さんたちがいる。
その名も「むすびの会」。
いったいどんな集まりだろう?
どうしてご飯なの?
こんにちは、「むすび」の会
滋賀県南部、草津市内にある一軒の家から、にぎやかな話し声が聞こえてくる。集まっているのは、6人の女性たち。子どもをあやしながら車座になって話しこんでいる。話題は、ご飯のこと。
2009年に立ち上がった「むすび」の会は、近所に住んでいたり、同じ小学校に子どもを通わせたりするお母さんたち10人ほどがメンバーだ。
月に一度、その日都合のつく5、6人が、だれかの家に集まって、「ご飯食のよさ」を広めようとあれこれ作戦を練るのだという。
ご飯に合う簡単なおかずレシピを紹介する「むすび」通信を発行したり、地元農家の協力を得て「田んぼ体験」(田植え、草引き、稲刈り)をしたり。
昨年のはじめには「毎日のご飯どうしてる?」をテーマに「もりもり毎日ごはん座談会」を企画し、地元の自然食レストランのシェフや、有機栽培を手がける農家をゲストスピーカーとして招いた。
するとなんと60人近いお母さんたち(子どもも合わせると100人以上!)が集まった。
「20人も来れば万々歳だと思ってたんです。ところが、ふたをあけたら、えらいことで(笑)」。
そう話すのは、座談会で司会をつとめた綾牧生さん。
参加者の熱気はアンケートの回答からも伝わってくる。
「人数の多さにびっくりでした。やはり子を持つと食への関心が高くなるんだと実感しました」。
「『子育て中のお母さん』という同じ境遇の方々の悩みや工夫などが参考になり、情報だけでなく考え方なども今一度自分自身にも問いただす、よい機会となりました」。
大人数のため、話題が次から次に出て、なかなか議論を深めるというわけにはいかなかったそうだが、「玄米ご飯の炊き方」というテーマでは、圧力鍋でおいしく炊くためのこつなど、たくさんの発言があって、盛り上がったという。
始まりは一人だった
それにしても、なぜ彼女たちはごはん食を広めようと思ったのだろう?
会の「代表のようなもの」を努める佐々木智子さんはこう話す。
「実は、私の娘には、生まれつき心疾患がありまして(現在は根治手術済)、日々、元気に過ごしてもらうには、どうやら食事が大事ではないかと思いいたり、どうしたらよいか家庭でいろいろ頭を悩ませていたんです。
そんなときに、幕内秀夫さんの『こどもおやつ』という本を読んで、目からウロコが落ちるような思いがしました」。
*続きは、本誌でご覧ください!
12月 28, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年12月21日 (火)
絵本作家の書斎・大塚勇三さん
『スーホの白い馬』をはじめ、世界各地の絵本、童話を翻訳し、日本に紹介し続けている大塚勇三さん。
1月号の「絵本作家の書斎」では、「こどものとも」1月号『コマツグミのむねはなぜあかい』で北アメリカ、チペワの人たちの民話を発表したばかりの大塚さんの書斎を訪ねました。
その才能が子どもの本の世界で開花した背景には、あの瀬田貞二さんとのふしぎな縁があったのです。
「大塚勇三さんに会いに行く」と言うと、編集部のみなが印象に残る本に『スーホの白い馬』『長くつ下のピッピ』「アンデルセンの童話」『プンクマインチャ』と別々の言語の翻訳書をあげました。
大塚さんは、いったい何カ国語を操るのだろう? と改めて驚嘆します。
そんな驚きを持ったまま、静岡県の柿畑が点在する静かな町に、大塚さんを訪ねました。
散らかすのが仕事
窓から大きな楠を望むリビングで、大塚さんとお連れ合いの道さんが、にこやかに迎えてくださいました。
もう一方の窓辺には、本棚と小さな机が置かれています。
「書斎とか、仕事場というのは特にないのです。
家じゅうが仕事場のようなもので。
その机に座って原稿を書くのは、仕事の最後の段階に、ほんの少しだけです」。
家じゅうが仕事場? いったいどういうことでしょう?
「翻訳する本の原著を読んで、その辺に寝っ転がって考えて、その本は横ちょに置いて参考文献を読んで、テレビを観てまた考えて……いったい仕事やってるんだか何やってるんだかわからない。
とにかく散らかすだけは散らかすので、それが仕事のようなものです」。
道さんもうなずきます。
「片づけようとすると、『どこに行ったかわからなくなるから手をつけちゃあいけない』と言うんです。
きちんとしたノートはどうでもよくて、小さな紙切れがとても大事だったりするから、うっかり掃除もできない」。
しかしそれも大塚さんには言い分があるようで。
「当人としては一応、了見があって、こっちに原本、そっちに参考文献、こちらには字引……と置いてある。
それに、頭ってのはうまくできているものですね。
中に材料を全部放り込んでおくと、テレビを観ていても、頭の中でいろいろなものを作っているようです。
『うまくいかないな』と思っていたところが、いつの間にかできていて、『ああ、こうすればいいのか』と思う。
何カ月か寝っ転がったりテレビを観たりしていると、頭の中で文章がまとまってきます。
そうしてはじめて字にできる」。
*この続きは、本誌をごらんください。
(写真・吉原朱美)
12月 21, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年12月 6日 (月)
あはは! 笑って暮らそう
経済も政治も先行きの見えない現代日本。でも、こんなときだからこそ、明るく、前向きに日常を生きたいですよね。
そんなときに我々を助けてくれるのが「笑い」です。
なぜ人間は笑うの?
楽しくなくても笑うと気持ちが変わる?
今月の特集「あはは! 笑って暮らそう」では、笑いの不思議について、二人の主婦、くま子とはち子が聞き手役となり、あれこれとお届けします。
まずたずねたのは、脳科学者の池谷裕二さん。
おもしろくなくても笑ってみると、冴えない気分が前向きになってくる、と聞きかじったくま子さん、池谷さんに効いてみました。
ずばり、 「笑い」は「薬」になりますか?
くま子「えっと、私、笑うと脳でホルモンか何かが出て、なにやら体に良いらしいと聞いたのですけど、ほんとですよね?」
池谷「む……なかなか強引な質問ですね。笑いが体に良いか、ですか。さあ、どうでしょう。わかりません。別に意地悪で言っているわけじゃありませんよ。本当にわからないのです。
そもそも、人はどうして笑うのか。
笑いは人間だけがする行為と言われます。犬や猫が笑っているように見えることもありますが、あれは人間が勝手にそう見ているだけで実際は違うんですよ。意識的に笑いを作り出すために必要な筋肉、表情筋を顔面に持っているのは人だけです。
しかし、なぜ人間だけなのだろう。
くま子「それはやっぱり、ご先祖さまが笑ったり泣いたりするために、顔面を鍛えたから発達したんじゃないですか?」
池谷「いや、例えばキリンの首が長いのは、高い場所にある餌をとるために鍛えたから長くなったのでしょうか? 違うと思います。たまたま首が長かったから、高い場所の餌をとれるようになった、という順序だったのではないか。人
類の顔面に毛がなくなった、という要因は大きいと思いますけど、とにかくなぜか表情筋ができた。そして、それをつかってみたら、コミュニケーションに便利だった。それで活用したのだと私は思います。
しかし人間に笑いは本当に必要なのでしょうか。
睡眠はとらないと死んでしまいますが、笑わなくても生きていくことはできます。日常生活の中でも”不必要な笑い”はたくさんある。私がかつてアメリカで生活していたとき、スーパーなどでレジの人はにこりともしませんでした。最初は無愛想だなあと思いましたが、そのうちに慣れてしまう。反対に日本に帰って来たとき、どうしてこんなに店員が笑いかけてくるのだろうと違和感を覚えました。
つまり、そうした類の笑いは、なくても生活に支障はない」
*この続きは、本誌でどうぞ!
12月 6, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年11月16日 (火)
絵本作家のアトリエ・山村浩二さん
12月号の絵本作家のアトリエでお訪ねしたのは、アニメーション作家として世界的に有名な、山村浩二さんです。
石津ちひろさんとのコンビで、『くだものだもの』など、ことばあそびの楽しい絵本も手掛けられています。
今回は、アニメーションと絵本、両方の制作姿勢についてたっぷりうかがいました。
2002年3月。アカデミー賞授賞式を翌日に控えたその日、山村さんは、アメリカ・ハリウッドにいた。
子どもへのおみやげを探すためおもちゃ屋さんに入ると、店のおばさんが話しかけてきた。
「毎年このシーズンは、町中お祭りムードさ。あんたも観光か何かかい?」
「……いや、えっと、ぼくもノミネートされてるんです……」
「やだ、すごいじゃない! ちょっと頑張んなさい、期待してるわ!」
落語を原作にした作品「頭山」で、日本人史上初めてアカデミー短編アニメーション賞にノミネートされた山村さん。
大人数のスタッフが協力して作り上げる長編アニメーションとは違い、ほとんどが個人でこつこつと作っていく短編アニメーションの世界。
「頭山」では、数名のスタッフの力を借りたとはいえ、十分の短編に6年がかりで16000枚もの原画を描いたというから、気の遠くなる作業だ。
惜しくもアカデミー受賞は逃したが、別のいくつもの映画祭でグランプリを受賞するなど、新聞やテレビでも報道され、大きな話題になった。
「緊張とたくさんの取材とで、半分夢の中にいるようでした」。
**
山村さんの自宅兼仕事場は、都内のとある閑静な住宅街にある。
応接間の壁には海外のアニメーション映画祭のポスターが貼られ、棚の上には数々の受賞トロフィーが。
仕事場には、一見どう使うのかよくわからない道具のほか、何枚もの原画や資料写真などがあり、ここでまさにアニメーションが作られていることを感じさせる。
そんな中に、おや、見たことのある絵が。
*この続きは、本誌をご覧ください。
(写真・山本尚明)
11月 16, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年11月 5日 (金)
かがく絵本ってなんだろう? 「かがくのとも」500号
1969年に創刊した月刊絵本「かがくのとも」が、おかげさまでこのたび11月号で500号を迎えました!
これを記念して、12月号ではかがく絵本ってなんだろう?──500号を迎えた「かがくのとも」に見る子どもと科学を特集しました。
初期の「かがくのとも」折り込み付録につづられた、作者のことばの数々から、「かがく絵本」とは何か、その本質を読み解きます。
今読んでもみずみずしいことばの数々! 「かがくのとも」を作ってきてくださった作者の方々がどんな思いで、またどんな考え方に基づいて、子どもたちに「かがく」を伝えようとしてきたか……その一端を垣間見ることができると思います。
ぜひお読みいただき、これからの子どもたちにも「かがくのとも」を手渡していっていただけたら幸いです。
また、創刊500号を記念して、特別ブログも開設中。
こちらもご注目ください!
http://fukuinkan.cocolog-nifty.com/kagakunotomo500/
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2010年11月 4日 (木)
火事から逃げる
寒くなってきましたね。
ここ数日は、空気の乾燥がたいへん進んでいるようです。
空気が乾燥して起きやすくなるもの、といえば、火事。
年間約2000人の火事による死者のうち、半数が12月から3月の4カ月間に集中しているのだとか。
とくに昨冬は、幼い子どもが逃げおくれて犠牲となる火事が相次ぎました。
自分と子どもの命を守るために、私たちはどのように火事から逃げたらいいのでしょう?
発売になった12月号の特集では、火事ではいったいなにが起きているのか、専門家にうかがいました。
逃げられる時間は短いのです
松山賢(東京理科大学総合研究機構火災科学研究センター准教授)
ほとんどが煙で動けなくなる
いざ自宅が火事になっても、比較的余裕をもって逃げられると楽観的に考えている方がほとんどではないでしょうか。
まずはそこから考え直す必要があると思います。
火災による死亡原因は、消防白書によれば、約4割は一酸化炭素中毒・窒息など煙によるもの、もう約4割は火傷、つまり熱によるものです。
しかしその熱による要因も、実のところはまず煙によって動けなくなり、その後、熱にさらされているという説があります。
つまり、火災による死因の8割近くが”煙”による可能性があります。
炎がそれほど大きくならないうちでも煙は思った以上に多く発生し、部屋の中、さらには避難経路となる階段や廊下にも充満していきます。
煙の濃度が高くなれば、視界を奪われることによる心理的圧迫感は相当なもの。
私も無害な白煙の中で実際に非難を体験したのですが、ふつうなら5秒で出られる部屋を出るのに、かなりの時間を要しました。
相当な不安を感じたことを覚えています。
*この続きは、本誌でお読みください。
11月 4, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年10月 7日 (木)
絵本作家のアトリエ・レイモンド・ブリッグズさん
11月号の「絵本作家のアトリエ」は8月号に続き、イギリス編です。
子どもの憧れ、サンタクロースをちょっぴり頑固で不機嫌な、リアルな老人として浮かび上がらせた『さむがりやのサンタ』や、少年の一夜の夢を色鉛筆の淡いタッチで情感豊かに描いた『雪だるま』(スノーマン)……。
独自のコマ割り表現でグラフィック・ノベルというジャンルを切り開き、世界中で愛されてきたレイモンド・ブリッグズさんを、3月下旬、イギリス南部のアトリエに訪ねました。
ロンドンから列車で一時間。
英国南部のサセックス州ハソックス駅には出口が二つあった。
近い方から外へ出る。
タクシーらしき車は見あたらない。
通りで談笑していた男性に地図を見せて尋ねると、驚く答えが返ってきた。
「この住所はレイモンド・ブリッグズのところだね」。
タクシー乗り場は逆の出口とのこと、戻って待つが一向に現れない。
鳥のさえずりを聞きながら十分が経過、いよいよ困って駐車場をくまなく探すと、空っぽのタクシーが。
車体に書かれた電話番号に電話し、ようやく車がやってきた。
なだらかな丘陵地を背景に、石垣に囲まれた牧草地が広がる田舎道をゆく。
細い路地で迷った運転手が、通りがかった郵便配達人に再度道を尋ねた。
「ああ、ブリッグズのとこだろ。すぐそこだ。今本人がいたよ」。
*
白い戸をたたくと、戸の上部が開いて、長身の男性が現れた。
「やあ、いらっしゃい。タクシーで苦労したんじゃないかね?」。
眉間のしわはそのままに、口元をゆるませたその人こそ、かのレイモンド・ブリッグズだった。
赤い壁には所狭しと絵や写真がかかり、デスクや棚はウイットに富んだオブジェや人形が飾られている。
見入っていると、主が紅茶をいれてくれた。
「ロンドンから来たなら、一旦出て駅の下をくぐらなきゃいけなかったろう?
タクシー会社はすぐそこにあるんだが、駅からは見えないし、看板さえないときてる。
まったくどうかしてるよ。やなこった」。
ええ、何とか車がつかまってよかったです。
途中で二度道を聞いたのですが、二人ともあなたの家をよく知っていました。
「ああ、有名人だからね」。
そう言って笑った。
おちゃめな皮肉屋
「東京には一度行ったことがあるよ。
高層ホテルの十一階あたりに泊まったんだ。夜中、ベッドが揺れている気がして目が覚めたけど、地震の夢でも見たんだろうと思った。
ところが翌朝、編集者に『ねえ、地震すごかったわねえ!』と言われたものだから、あれは本物だったんだ! と驚いたよ。
ああいう揺れ、よくあるのかね?」
ええ、年中です。
「なんてこった! 信じられん。恐怖だ」。
地震の頻度、大きさから非常袋や緊急避難所の整備具合まで、具体的に質問してくる。
かと思うと、ふいに小さな声でぶつぶつと。
「ああ、ティーバッグが邪魔だな。
みんなこういうとき、一体どうしてるんだか。
おや、ビスケット食べてないね。
こういう妙なモノは口にあわんかね?」
……どこかで見たなあ、こういう人……。
*この続きは、本誌でどうぞ!
10月 7, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年10月 4日 (月)
こどもに聞かせる1日1話、今年も大充実!
11月号といえば、短編童話集「こどもに聞かせる一日一話」です。
今年もプロ作家による作品と一般公募作品から全30編をぎゅぎゅっと詰めて、お届けします。
1編が見開き2ページに収まる短さですから、寝る前のひととき、お子さんに1日1話読んであげるのにぴったり。
1ヶ月間毎日、違うお話が楽しめます。
今年の作者は、以下の30名。(敬称略、掲載順)
やまもとなるみ ひろいれいこ 宮下奈都 安江リエ しんきみこ つかはらみさ 市川宣子 芝敦子
きたむらえり 堀内ルミ 東直子 桑原亮子 荒川薫 古賀麻衣子 垂石眞子 本田いづみ おおぎやなぎちか 奥原弘美 矢崎明子 中住千春 栃太郎 にし
むらかえ たかどのほうこ 白濱杏子 はやしまき 乗松葉子 中川正文 とうやあや 片山令子 ひのかずなり
お話はもちろん、それぞれについた挿絵にもご注目を。
こんなにたくさんの方々に、すてきな絵をつけていただきました!(敬称略、あいうえお順)
石川えりこ 伊藤知紗 井上洋介 及川賢治(100%ORANGE) 太田大輔 小田扉 小平彩見
金子恵 きたむらえり 佐々木マキ さとうあや 杉原知子 スズキコージ 曽根愛 たかどのほうこ 垂石眞子 寺門孝之 得地直美 沼野正子 なかのひろ
たか にしむらかえ 早川純子 フジモトマサル 最上さちこ 柳生まち子 山内彩子
どうぞたっぷりお楽しみください。
絵・及川賢治(100%ORANGE)
10月 4, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年10月 1日 (金)
ことばとからだを結ぶうた
きっかけは、テレビを見ていたときの素朴な気づきでした。
「ちかごろずいぶん、字幕が多いなあ」。
画面に登場する人の発言が、逐一文字となって字幕状に流れるようになったのはいつからでしょうか。
気がつくと、耳は聞くことをやめ、目から入ったことばは、文字知識としてのみ蓄積されていくのを感じます。
すっかり離れてしまった私たちのことばとからだ。11月号の特集「ことばとからだを結ぶうた」では、それぞれの役割を考え、その2つをあらためて結んでみたいと思います。
思い出してください。ことばはもともと、音、“うた”だったのですから。
[鼎談]ことばとからだをめぐって
別役実×長谷川摂子×小池昌代
ことばを体感するとはどういうことか、今子どもたちのことばとからだに何が起きているのか──。
音としてのことばに向き合いつづけている3人の方に、語り合っていただきました。
ことばになる前の衝動
小池 今回「ことばとからだ」というテーマについて考えようと、長谷川さんの絵本『めっきらもっきらどおんどん』を読み直したら、オノマトペのようなことばが飛び込んできたんです。
こういうのは、どういうところから出てくるんですか?
長谷川 やっぱり子どもがそばにいたからできたんだと思います。わが子が3歳くらいのときに、わらべうたとか、音の楽しさだけですごくからだが弾むのを楽しんでいたものですから、思い切ってイメージ抜きのことば、音とことばの中間みたいなものを作ってみたいなと。
小池 私は詩をずっとやってきたのですが、今現代詩のことばが本当にからだに響かなくて。
黙読もしんどい。ましてや声に出す喜びもない苦しいところに入り込んでしまっているように感じます。
私自身、意味から解放されたいという思いで、こういうオノマトペをもっといっぱい開発したいのですけれど、難しいですね。新しく作り出すのは。
長谷川 私は子どもと一緒に声に出して、いろんなものの言い方をしてみて、その中で子どもが喜んだものを書いているだけなんです。
子どもにぶつけてみるとわかる。
別役 ただ、最近その感覚がね、子どもたちの中にもなくなってきた気がするの。
ぼくも音としてのことばというのを非常に豊かに感じていたし、芝居はとくに音としてのことばで、子どもたちが体感するのにも非常にいいなと思うんですけれど、でも最近の子どもたちがどうも、ことばを文字として吸収しているような、音がそのまま音として伝わらない、体感できていない感じがあるんですよね。
ぼくら劇作家も、脚本を音で書こう、音で書こう、としているんですけれど、つい油断すると、文字で書いていますね。
次の朝読んでみると、「ああ、文字で書いている」と気がつくんです。
そういうときには、宮澤賢治とか中原中也とか、ああいう擬声語の天才の作品を何回か読むと、少し音としてのことばの感覚が戻ってくる。
いったん消毒しないと、どうしても文字で書いちゃうから。
*この続きは、本誌でお読みください。
10月 1, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年9月17日 (金)
絵本作家のアトリエ・山口マオさん
10月号の「絵本作家のアトリエ」に登場するのは、ちょっとシュールな世界観が人気の絵本「わにわに」シリーズの画家、山口マオさんです。
人間みたいな顔の猫キャラクター、マオ猫でのおなじみのマオさん、いったいどんなお方なのでしょう?
なんて親切な
奇妙な天気の一日だった。東京駅から長距離バスに乗ったときは曇り。房総半島の千倉駅に到着し、海沿いを歩くと、吹き飛ばされそうな風におそわれた。
そして天の底が抜けたような雨が降り、夕方には太陽が顔を出して、黄金色の光を注いだ。
この日訪ねた山口マオさんは、「マオ猫」と呼ばれる、ひげもしっぽもない直立二足歩行の猫の絵で知られるイラストレーターだ。
近年は、寡黙なワニ「わにわに」が主人公の絵本画家として人気である。
その絵は、どこか奇妙で、ときに不気味ですらあるのだが、不思議なユーモアと温かみがあり、人の心をとらえて離さない。
ご本人はいったいどんな方なのだろう。
訪問数日前、マオさんから電話をもらった。
「うちへ来るときはバスが便利ですよ!」と元気な声で交通手段を気遣ってくれた。
わざわざ時刻まで調べ、「到着したころ、駅に迎えにいきますね~」。なんと親切な……思わず胸が熱くなった。
時間にのんびり
さて、当日、指定のバスに乗って千倉駅前に着いた。しかし、マオさんの姿がない。
電話をかけると「着きましたね!」とやはり元気な声。「駅の正面に喫茶店があるでしょう。そこでコーヒーを飲んでいてください。そのうち行きます!」。
そのうち? なにはともあれ「カフェ千倉」の扉を開け、コーヒーを注文した。きさくなマスターとの世間話が始まり、ふと山口マオさんをご存じですか、と聞いてみるとマスターの顔がぱっと輝いた。
「もちろんですよ! ああ、今、マオさんを待っているんですね? あの方、時間にのんびりしてらっしゃるからなあ(笑)」。
するとマスターのお連れ合いも現れて、うれしそうに何冊かの小冊子を見せてくれた。
二人の表情から、マオさんの人望がひしひしと伝わってくる。
「この写真はね、”千倉アートフリーマーケット”というマオさんの呼びかけで十年前から始まった催しなんですよ。年々にぎやかになっています」。
ほかにもあれこれと教えてもらっているうち、入口のドアが開いた。
「お待たせしました~」。
にっこり笑った山口マオさんが立っていた。
*この続きは、本誌でどうぞ!
(写真・山本尚明)
9月 17, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年9月15日 (水)
親子のかたちはさまざま──里親家庭の子どもたち
10月号の特集ページでは、フリーライターの内田扶喜子さんによるルポ、「親子のかたちはさまざま──里親家庭の子どもたち」をお送りします。
他人への関心が薄れ、いつのまにか自分さえよければよいという風潮に流されてしまいがちな現代、「里親」に代表される、社会で子どもを育てていくという「社会的養護」の精神がいかに貴重な、また重要なものであることか──。
編集作業を通して、振り返ることしきりでした。
ぜひお読みいただきたいと思います。
[ルポ]親子のかたちはさまざま
里親家庭の子どもたち
内田扶喜子
「里親」という制度が日本にあることをご存じだろうか。保護された子どもを預かり、家庭の温もりの中で育んでいく。ただし、養子制度(法律上の親子として保証され、永続的な関係が築かれる)とは異なり、里親と里子は法的には親子ではない。そのため血縁を重く見る日本では、里親制度の持つ「社会的養護」力への理解が薄く、普及が遅れているのが現状だ。
私はソーシャルワーカーの仕事を通じて、里親制度を知った。そして特に虐待に遭った幼い子どもたちが、里親の親身な愛情によって立ち直り、大人に対する信頼を回復していく姿を見てきた。
子育てをめぐる社会状況が厳しくなる中、苦しみを抱えた親が、子どもを育てられないケースが増えている。実の親の苦悩をくみ取りつつ、傷ついた子どもの心を癒していく──。そんな里親制度が発展していくことが、今、切に望まれている。
血のつながりを超えて、子どもの養育に取り組み、里親制度を進めようとする里親たちを紹介する。
なぜ、いま里親が必要か
津崎哲郎氏に聞く
元児童相談所所長であり、自身も里親として子どもを預かる経験を持つ津崎さんは、「傷ついた子どもの心をよみがえらせる最も優れた仕組みが里親制度だ」と語る。それはなぜか。
また、この制度が日本で広がっていない理由を聞いた。
まず申し上げなくてはならないのは、今、日本社会では、虐待が起きやすい状況がどんどん広がっている、ということです。
主な要因は3つ。「家族の孤立化」「経済的困窮」「親の未熟性」です。
つまり、「トシの集合住宅など隣近所との関わりがない育児環境で生活している」「不況などの影響で生活が苦しい」「子どもとどう関わるかを知らないまま、親になってしまった」ということですね。
今、全体の子どもの数は減っているのに、養護相談は増加しています。この統計結果に、家庭における子育てが極めて難しい状況にあることが表れていると思います。
*この続きは、本誌でお読みください。
9月 15, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年8月 5日 (木)
絵本作家のアトリエ・にしむらあつこさん
好評連載「絵本作家のアトリエ」。
9月号には、「ゆうびんやさんのホネホネさん」シリーズが子どもたちに人気の、にしむらあつこさんが登場です。
絵本作家の両親を持ち、園児の親でもあるにしむらさんに、子どもと暮らしているからこそ、絵本作家として見えてきたこと、またそこでぶつかる悩みについて、お話をうかがいました。
一家そろってお出迎え
ドアを開けた瞬間、ふわっと温かい家庭の香りがしてきました。
「いらっしゃい」と笑顔で迎えてくれたのは、にしむらあつこさん、お連れ合いの元太さんと今年年中さんになる太心くん。
なんだか友だちの家に遊びに来たみたいな居心地のよさに、ふとあつこさんの絵本の世界もこんな感じがするなと思いました。
人が来て、興奮気味の太心くん。
「今日は、取材があると聞いて、園をお休みしちゃったんだよね。太心」と、あつこさん。でも太心くんは、すぐにお父さんと隣の部屋で遊び始めました。
子どもって、人が来るだけでわくわくしちゃいますよねと話しながら、早速、アトリエを案内してもらいました。
「実は、ここなんです」。
案内されたのは、リビングの片隅にある小さな机。
画材も見あたらず、ちょっと本を読むコーナーみたい……。
絵本の制作は、太心くんが保育園にいる間に行っていて、彼が家にいるときは画材をしまっているそうです。
下書き用の紙に太いマジックで輪郭線を黒々と描き、本描きはアルシュというフランス製の版画用紙を上に置いて、下書き線を写し取るように製図用の黒インクとペンで描きます。
色はアクリル絵の具を使うと、印刷したときの色と一番よく合うそうです。
「高価な紙なので、失敗しないように書道家みたいに気迫を込めて一気に描いています(笑)」。
両親が絵本作家の家庭
あつこさんは、絵本作家の西村繁男・いまきみち夫妻の一人娘。
1972年東京都日野市で生まれ、小学二年生のときに山と湖のある藤野(現・神奈川県相模原市みどり区)に引っ越しました。
「それまでは4クラスもあったのに、引っ越したら1クラス。
しかも全員小さいころから一緒だから、その人間関係の濃さにびっくり。
しばらくの間は様子を見て生活しました。
一年ほどして、みんなの中にとけ込めたときは、とても嬉しかった。いまだに彼らとは繋がっているなと思います」。
*この続きは、本誌をどうぞ!
(写真・吉原朱美)
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2010年8月 2日 (月)
おとなりさんは外国人─「多文化共生」ってなんだろう?
あなたの身近に外国人の、あるいは外国にルーツを持つお子さんはいますか?
国籍、職業はさまざま、居住地域にもばらつきがあるものの、日本国内における外国人人口は確実に増え続けており、現在200万人が暮らしているといわれます。
こうした状況の中、園現場や地域で、外国人家庭と日本人の保育者、親の間で「すれ違い」が起きています。
生活習慣や子育ての文化の違いといった「壁」を乗り越えていくためには、私たちはどうしたらよいのでしょう?
9月号の特集では、「多文化共生」をキーワードに、具体的な取り組みをご紹介します。
まずは、「今、多文化保育は外国時だけでなく、園にかかわるすべての人に求められている」という教育社会学者、萩原さんのお話から。
[保育学の立場から]
外国人、日本人、すべての人に
萩原元昭(教育社会学者)
私は近年、日本各地の保育所、幼稚園で外国人、あるいは外国にルーツを持つ子どもたちが増えていることを受け、その実態調査を続けています。
その中でいくつかの「問題」が浮かび上がってきました。まず、園の保育者が感じている「問題」の一部をご紹介しましょう。
●給食時、宗教上の理由で、食べられないものがある子どもがいる
●時間にルーズな保護者がいる
●言葉が通じなくて、コミュニケーションに支障をきたす保護者がいる
●幼児の発熱を知らせても、仕事でいけないと連絡がきたり、日本の保育所についての理解に問題がある保護者がいる
●衛生の観念が異なり、衣服の洗濯、身体の清潔面に理解が得られない保育者がいる
そう、ほとんどが子どもではなく、その親についてのものなんです。
保育所、幼稚園の場合、子どもは新しい文化に柔軟に対応していけることも多いのですが、大人はそう簡単には変われません。
こうした「問題」を解決するために園で実践を期待されているのが「多文化保育」です。
具体的な実践方法は本当にケースバイケースですが、今回は「根っこ」の部分、つまり基本的な考え方をご紹介したいと思います。
まず「相手を変えよう」とする前に、自分たちの保育を見つめ直すことがとても重要だと思います。
ひょっとして、自分たちの「常識」を信じすぎているのではないか。
それを相手に押し付けていないか? 気づかぬうちに「融通のきかない”縦型社会”の園」になっていないだろうか。
こうした疑問を抱くことで見えてくるものがあるはずです。
先に紹介した「問題」を改めて見直してみましょう。
言葉のはしばしに、「自分が上位」と申しますか、例えば「日本語でコミュニケーションするのは”当たり前”なのに、あのお母さんはそれすらできない」という意識が隠れているように思います。
ここは日本ですから、そう思うのは当然かもしれないのですが、その意識にほんのわずかでも疑問を抱いてみてほしい。
それによって相手の気持ちに寄り添うきっかけが生まれると思うのです。
はぎわらもとあき 想像学園大学ソーシャルワーク学部学部長。日本保育学会評議員。著書に『多文化保育論』、『幼児の保育と教育』(いずれも学文社刊)など。
*この続きは、本誌でご覧ください。
8月 2, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年7月 7日 (水)
絵本作家のアトリエ・パット・ハッチンスさん
8月号の「絵本作家のアトリエ」は、海外編です。
訪れたのは、イギリス・ロンドン。
子どもの成長をやさしく見つめる『ティッチ』や、農場の動物たちをユーモラスに描く『ロージーのおさんぽ』など、巧みな構成と生活感にあふれた作品で知られるパット・ハッチンスさんのアトリエを訪ね、作品への思いをうかがいました。
とにかくすてきなアトリエなのです!!
それはイギリスにしてはめずらしくよく晴れた春の日曜日で、盛りを迎えたスイセンやレンギョウの黄色が、ロンドン北部の高級住宅地、ハムステッドの通りを彩っていた。
手みやげは「ティッチ」のズボンと同じオレンジ色のチューリップ。
”ザ・スタジオ”という名の番地に着いて、思わず目をこする。
門の向こうにそびえ立っていたのは、白くて大きな、重たい箱みたいな家。
手の中の花束と見比べて少したじろいだ瞬間、扉が開き、人影が現れた。
「ようこそ。すぐここがわかりましたか?」
落ち着いた低めの声に、ピンクの口紅、ブロンドのショートカット。
「ティッチ」のママかと見まがうその女性が、パット・ハッチンスだった。
*
中に入ると、絵本そのままの鮮やかでポップな世界が広がっていた。
緑の玄関から赤いリビングを横目に廊下を抜け、黄色いダイニング・キッチンでコーヒーをご馳走になった後、二階のアトリエへ通された。
広い。
スカイブルーの壁と高い天井が開放的で、天井まで届く大きな窓からは、午後のやわらかな光がさしこんでいる。
「これだけ光量のあるアトリエを持てるのは、とても幸せだと思うわ」。
ヴィクトリア朝時代の1888年に彫刻家のアトリエとして建てられたこの建物は、もともとは仕切りのない一つの空間だったのだという。
「それで住所が”ザ・スタジオ(=アトリエ)”というわけ。でもイギリスではスタジオというと、ワンルームマンションのような小さな部屋を指すことが多いから、人に言うと、そんな狭いところに住んでいるのかと気の毒そうな顔をされるのよ(笑)」。
弱気な絵本作家?
「夫のローレンスが亡くなってからというもの、描く気力をなくしてしまって、この半年間は何もしなかったわ。
つい先日描き始めたばかりだから、ドローイングにも少し神経質になっているんだけど」。
*この続きは、本誌をご覧ください。
7月 7, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年7月 1日 (木)
「子どもの貧困」と平和を考える
関東はまだ梅雨の最中ですが、はやくも8月号が発売になりました!
「格差」「ワーキングプア」といった大人の“貧困”問題に加え、給食のない夏休みになると体重が減る子や、治療費が払えずケガを治せない子など、子どもにふりかかる貧困問題が今、深刻化しています。
いったい私たちの社会に何が起きているのでしょう?
「平和」とは何か。
足下から見つめ直すために、今年の8月号では、「子どもの貧困」をキーワードに考えます。
まずは……
「貧困」って何だろう?
日本にもある「貧困」
日本の子どもたちの貧困率について「14.2%」(2007年)という数字が報告されているのをご存じですか?
これは、09年の秋に厚生労働省が発表した、18歳未満の子どもたちの相対的貧困率です。
これはおよそ7人に1人の割合で、人数にすると、約300万人もの子どもが貧困にさらされていることになります。
他の国に比べると?
OECD(経済協力開発機構)が2008年に行った国際比較で見ても、日本の子どもの貧困率(04年で13.7%)は、世界の他の国に比べて決して低くはありません。
データが古い国や同じ基準のデータがない国を除いたOECD22カ国中では、上から8番目の高さです。
「相対的貧困」って何?
実は、「貧困」という言葉の定義は、国や機関によって、さまざまです。
その一つ、国連による「絶対的貧困」は、一日1ドルから2ドル以下で暮らしている人たちを指します。
アフリカの難民の子どもなどは、この中に含まれるでしょう。
これに対して、OECDによる「相対的貧困率」は、「世帯所得を世帯人員で調整した値が社会全体の中央値(一番標準的な値)の50%未満の世帯の割合」とされています。
もう少しわかりやすく言うと、全世帯を所得順に並べ、ちょうど真ん中にあたる世帯の所得(中央値)の、半分(貧困線)に満たない所得の世帯割合ということになります。
世帯別ではなく一人当たりの中央値と貧困線についても、それぞれ最新の数字(07年)が、同じく厚労省により発表されています。
それによると、日本の所得の中央値は、年収228万円、貧困線は114万円とされています。
*この続きは、本誌でどうぞ!!
7月 1, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年6月 7日 (月)
絵本作家のアトリエ・得田之久さん
7月号の「絵本作家のアトリエ」は、昆虫絵本で知られる得田之久さんです。
長年、昆虫のくらしを生き生きと描いてきた得田さんは、近年物語の創作にも開眼したといいます。
濃厚な少年の日の思い出とともに、これまでのこと、今夢中になっていることなど、幅広くお話をうかがいました。
神奈川県茅ヶ崎市。地図で確認すると、海岸が近くて、少し驚く。
得田さんといえば、昆虫の絵本、海よりは山の人だと持っていたからだ。
辻堂駅から車で数分、マンションの最上階にアトリエ兼自宅はあった。
広い玄関からリビングに入ると、らせん階段が目に入る。無駄な物がなく、どこもすっきりと片づいている。
「いつかホテルみたいな暮らしがしたいね、と夫婦で言っていたんだよね」。
インタビューは2階で、ということでらせん階段を上り、扉を開けると……そこはアトリエというより、書斎だった。
十畳ほどの部屋の壁一面が、本で埋まっている。
児童文学や絵本論はもちろん、哲学、思想、人類学など美しく分類された書棚に絵本は見あたらない(実は別の棚にずらりとあった)。
驚きを隠せずにいると、得田さんがさらに意外な一言を放った。
「悪いね、ぼくもう絵は描いていないんだ」。
「もともと書くほうが好きだったの」
得田之久さんは1940年、茅ヶ崎生まれ。
海沿いのこの地で過ごしたのは、尋常じゃないほど豊かな少年時代。
「もう本当にすごかったのよ。
ギンヤンマを捕まえようと夢中で畑の横走り回って肥だめに落ちたり、みんなで組んだ筏が沈んだり、お稲荷さんの地下に秘密基地を作ろうと穴掘ってたら、崩れてきたり。
木の上から落っこちて大けがした子もいたし。
そんなことばっかり」。
朝起きるたびに今日は何をしようとわくわくするほど、刺激的な毎日だったという。
その後明治学院大学に入学すると、当時(1960年代初頭)全盛だったヌーヴェルヴァーグにあこがれて、仲間と映画のシナリオ作りに熱中した。
しかし大学生活も終わりに近づき、就職を考えなくてはならなくなって、得田さんは困った。
「子ども時代のわくわく感、喜びを持って大人になりたい」とずっと思っていた。
サラリーマンにだけはなりたくない。
そんなある日、父親を亡くして消沈している高校の同級生を慰める会を開くため、友人らと案内のハガキを作ることになった。
必要な文面を書くと、ハガキに不格好な空きができた。
「得田くん、何か絵を描きなよ」と友人。
しかし、絵描きの兄を避ける気持ちもあって、生まれてこのかた絵など描いたこともない。
*この続きは、本誌でどうぞ!
(写真・山本尚明)
6月 7, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年6月 1日 (火)
子どものころに観た映画
6月になりました。
夏休み映画の公開も待ち遠しいこの季節、発売になった7月号では、子どものころに観た映画を特集します。
小さいときに観た映画のこと、覚えていますか?
親と一緒に初めて行った映画館でわくわくした思い、悲しいドラマに知らずと涙があふれてきた……映画にまつわる思い出を聞くと、その人の子ども時代の情景も浮かび上がってきます。
各界で活躍中のあの人、この人に、そんな子ども時代に観た映画の思い出を寄せていただきました。
雨で家から出たくない日のビデオ選びにも、きっとお役に立つと思います。
【執筆者】 (掲載順)
酒井駒子(絵本作家)
益田ミリ(イラストレーター)
華恵(文筆家)
根本きこ(フードコーディネーター)
松浦寿輝(詩人、作家)
斎藤惇夫(児童文学作家)
内藤篤(弁護士、映画館館主)
芳賀哲(伝説のマルチパフォーマー)
さとうわきこ(絵本作家)
6月 1, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年5月 6日 (木)
絵本作家のアトリエ・及川賢治さん(100%ORANGE)
6月号の「絵本作家のアトリエ」には、今人気のイラストレーターが登場!
ポスターやCDジャケットなど絵本以外のイラストレーションでも活躍中の100%ORANGEさんです。
じつは100%ORANGEは、及川賢治さんと竹内繭子さんという二人組。
今回は、主に絵を手がける及川さんに、お話をうかがいました。
もじもじしません
「そういえば最近見なくなったよね」と竹内繭子さんが言うと、及川賢治さんが「ああ、言われてみればそうかもね」とうなずいた。
「前はスランプになると必ず開いていたものね」。
なにをですか? と聞いたら、「求人広告です。もうダメだ、仕事変えようと思って」。
ここは東京、中央線沿いにある町のマンションの一室だ。
”100%ORANGE”こと、及川さんと竹内さん夫婦はここに住居兼アトリエを構えている。
メゾネット式で、一階が作業場、二階が居住スペースになっている。
さて、先ほどの話のつづきである。
では、最近はスランプが減ったということなんですね。
及川「いや、そんなことは全然なくて。しょっちゅう落ち込んでますよ。はあ」。
竹内「あれ? 今年から”そういうオレ”を卒業するって言ってなかった?」。
及川「あ、そうだった、生まれ変わろうと思ってたんだった。
いつも元気で前向きに、は無理かもしれないけれど、せめて、もじもじしないようになりたいんです。
これまで幾度となく損をしてきたので」。
竹内(笑顔で)「そう言うけどさあ、これまでは自分で”もじもじ”を演出して、逃げ道を作ってきたところもあるんじゃない?」。
及川「えっと……はい、すみません」。
役割分担
及川さんは1975年3月生まれ、竹内さんは1974年11月生まれ。二人とも千葉県出身で、高校の同級生だった。
及川「とはいえ、そのころは別に仲良くなくて。
大学時代にひょんなことからおつきあいすることになったんです」。
同じ大学だったのですか?
「いや、ぼくは美大で、竹内は洋服の学校でした。
彼女はオシャレにしてましたよ。
ぼくは服装に気をつかわないから、なんだか申し訳なかった」。
100%ORANGE結成のきっかけは、そのころ2人で作り始めた絵はがきだった。
及川「小遣い稼ぎの感覚で始めたんです。
プリントゴッコで絵はがきを作って、それを雑貨屋さんに持ち込んで売ってもらっていました」。
利益はほとんど出なかったが、それを見た出版社から仕事がくるようになった。
さらに広告界からも注目され、ポスターやCDのジャケットも手掛け……気づけば売れっ子のイラストレーターに。
ところで2人は仕事をどう分配しているのだろう。
竹内「基本的に及川がメインで絵を描いています。
私はマネージャー的な立場ですね」。
及川「いや、マネージャーというよりプロデューサーじゃないかな。
舵取りがうまいんですよ。
ぼくはその下でせっせと……」。
竹内「えー! そんなことないよ!(笑)」。
及川「心配ですよ。
いきなりぼくが暴走を始めて、めちゃくちゃになったりするかもしれないし……」。
竹内「そんな心配してないで、今日はちゃんとしゃべってね(笑)。
私、席をはずしてますから」。
*この続きは、本誌をご覧ください。
(写真・かくたみほ)
5月 6, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年5月 1日 (土)
雲にのる方法──身近な「かがく」で遊ぶ
科学、というと難しそう、と思っていませんか?
私たちのまわりには、探れば楽しい「かがく」のもとがいっぱいあります。
6月号は、「かがく」がテーマ。
特集とカラーページの両方で、「かがく」にふれる喜びをご紹介します。
ふしぎをひもとく楽しさを、まずは一番身近でこの時期一番きになるお天気で、感じてみましょう。
雲にのりたいな
5歳になったてんきくんは、「なんで、なんで?」が口癖の知りたがり屋さんです。
ある朝、いつものように幼稚園に向かう、てんきくんとお母さん。ふたりは話しながら歩きだします。
てんき あ、つめたい。雨が顔にあたったよ。
お母さん 本当だ、ふってきたのね。
て ねえねえ、雨ってどんな形をしているの?
母 どうかしら、線になって落ちてきているように見えるけれど……。
それとも、らっきょうみたいなしずむの形かしら。
しずくの絵本があったでしょう。
雨のつぶは、いったいどんな形をして空から落ちてくるのでしょう?
歯の先や水道の蛇口から落ちる水滴の形から、らっきょう型だと想像する人が多いようです。
水は自然な状態では、まるく球の形になろうとします。
じっさい、霧雨など直径1ミリより小さい雨は、球形で落ちてきます。
しかしそれよりも大きな雨は、空気の抵抗を受けて底が平らになり、肉まんのような形で落ちてきます。
雨つぶは、直径が6ミリくらいになると、空気の抵抗でひしゃげて分裂し、小さなつぶになります。
*この続きは、本誌で!
5月 1, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年4月15日 (木)
絵本作家のアトリエ・大友康夫さん
5月号の「絵本作家のアトリエ」には、『どうすればいいのかな?』をはじめとする「くまくんの絵本」シリーズで人気の大友康夫さんの登場です。
幼児の日常をやさしく見つめる、やわらかな作風の大友さんですが、絵本作家になる前は、なんとファッションモデルだったんです!
驚きいっぱいのお話をお届けします。
格別に寒い日だった。
一月のある晴れた午後。
東京都内某所、団地の一室にある自宅兼アトリエに向かう道には霜柱が立っていた。
玄関の扉が開き、部屋から流れ出た空気に、思わず笑みがこぼれる。暖かい、そしてほんのり甘くて香ばしいにおいだ。
「ようこそ。今、焼き上がったところなんですよ」。
大友康夫さんとお連れ合いの絵本作家、なとりちづさんが笑顔で出迎えてくれた。
すらりと背が高く、笑顔が少年のようにさわやかだ。
「”お父さんのアップルパイ”です。これしかできないんだ、ぼくは」。
リビングダイニングのテーブルにあったパイを見て、思わず目をこする。
絵本から出てきたみたいに、大きい。
リンゴ6個分よ、と言いながらなとりさんが切り分けてくれた一切れがこれまた大きくて恐縮していると、大友さんが追い打ちをかけた。
「そうだ、アイスクリームを忘れずに」。
こうして完成した「お父さんのアップルパイ・バニラアイスクリーム添え」を前にして、インタビューは始まった。
子ども大好き
大友康夫さんの本といえば、『どうすればいいのかな?』などの「くまくん」シリーズや『ざりがにのおうさま まっかちん』といった絵童話を思い浮かべる人が多いだろう。
幼児に日常をやさしく見つめるまなざしが魅了的だ。
壁委一面に飾られた、たくさんの子どもの写真を見ながら、子ども好きな人なんだな、と思った。
4人いるわが子のものかと思えば、担当編集者の子など、明らかに他人の子どもと思える写真も多い。
*この続きは、本誌でどうぞ!
(写真・徐美姫)
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2010年4月10日 (土)
「いまどきのお母さん」と呼ばないで 石川幸枝
「いまどきの親」とひとくくりにされがちな、これまでとは少し違う雰囲気の親たち。実際のところはどうなのでしょう?
5月号では、広島県・私立高陽なかよし保育園園長の石川幸枝さんにこの質問を投げかけてみました。
親たちとの信頼関係を大切にしてきたベテラン保育者のお話は、深いあたたかみにあふれています。
親とのつきあいに戸惑う保育者や、入園前に不安をかかえた保護者、すべての方に読んでいただきたいメッセージです。
「いまどきの親」と呼ばないで
石川幸枝
確かに違ってきています
あくまで私の印象ですが、15年くらい前から親の雰囲気が少しずつ変わってきたと感じていました。
ちょうど携帯電話が普及しはじめたころからだと思います。たとえば携帯電話で話ながら園に来て、そのまま片手で子どもに指図をして、先生にあいさつさせ、自分は電話をかけたまま園を出ていく親もいましたね。
十年くらい前、メールのやりとりが増えてころからは、保護者と先生とのコミュニケーションがうまくいかないということも出てきました。
園では、集団で保育をしますので、遊んでいて軽いケガをしてしまうなど、友達同士のちょっとしたトラブルはよくあります。
そんなときは、担任が事情を説明するつもりで親のお迎えを待っていると、最近は親のほうはすでに知っていて、すっかり感情的になっていたりすることが多いんですね。
どうしてそうなるのかと言えば、早めに迎えに来ていた別の親が「あなたのところの子ども、ケガしているわよ」と、事情もわからないまま先にメールで知らせてしまうからなんです。
そうすると本人の気持ちは迎えにきた時点で担任の話を聞くどころではなくなっていて、担任との関係がとてもぎくしゃくしてしまう。
こうしたケースを見ていて感じるのは、相手と話し合って直接コミュニケーションをとるのが苦手な、むしろ面倒くさいと感じている人が増えているのではないかということです。
*この続きは、本誌をご覧ください。
4月 10, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年3月18日 (木)
絵本作家の書斎・角野栄子さん
4月号の「絵本作家の書斎」は、角野栄子さん。
このたび24年にわたって続いた「魔女の宅急便」シリーズの最終巻を上梓した角野さんに、児童文学作家になるまで、そして魔女のキキへの秘められた思いをお聞きしました。
その人生は、物語に負けないくらいドラマチックなのです!
角野栄子さんのお宅は、神奈川県・鎌倉にある。呼び鈴を鳴らすと、ピンク色(!)の扉から、「はあい」と出迎えてくれたのは、上品な白髪に、ピンク色の眼鏡をかけた、本当に”魔女”のような人だった。
『魔女の宅急便』第一巻。13歳で独り立ちという魔女のしきたりに従い、新しい世界に飛び出していく主人公キキは、旅立ちの前にこうつぶやいた。
「贈り物のふたをあけるときみたいにわくわくしてるわ」。
「私もいつもそんな気持ちです。それが物語を書くものとになっているのね。だからいつもわくわく、そして、少しおっちょこちょい」と。角野さんは笑った。
失われた母の記憶
角野さんは、1935年東京・深川生まれ。幼い頃の記憶の中に、はっきりと浮かぶ情景がある。それは、5歳のときのこと。
「母は病院に入院していたのですが、『危篤』ということで、夜半、迎えに来たおじと一緒に来るまでかけつけたときには、すでに亡くなっていました。
その記憶があまりにも強烈で、それ以前の母との思い出は消えてしまったのでしょう。憶えていないのです」。
この哀しい出来事が、角野さんに与えた影響は大きかった。医者にも、いつも強い存在であった父にも、母の死を防ぐことはできなかった。
「この世には人の力ではどうすることもできない、大きな力があるのだ」。
幼い心には死への不安と同時に、その大きな力に対する畏敬の念も残った。その気持ちは今でも消えることはないという。
*この続きは、本誌をお読み下さい。
(写真・石川直樹)
3月 18, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年3月11日 (木)
わかって安心! 子どものからだ
冬の寒さと小春日和の繰り返しが続きますが、こうして春に近づいていくのだと思うと、気分もなんだか華やいできます。
さて、「母の友」は現在発売中の4月号から、新年度を迎えました!
新たなスタートにふさわしく、4月号は超強力企画満載でお届けします。
まずは特集「わかって安心! 子どものからだ」のご紹介から。
「約束をすぐ忘れちゃう」「おねしょはいつまで続くの?」「寝相の悪さ、どうにかならないかしら?」──
そんな思いをお子さんに抱いたことはありませんか? 実は、これらは子どもの成長という点からすれば、すべて理にかなったことなのです。
子どもなりの成長の順番とペースを知れば、イライラせずに毎日わが子と接することができるかも。子どもと一緒に暮らすすべての人、必読の特集です!
子どもなりの発達がある
榊原洋一(お茶の水女子大学人間発達教育センター教授)
私は子どもと大人の違いをわかりやすく確認できるのが、子どもの「成長」と「発達」だと考えています。遺伝子に基づいて体の臓器や体全体を大きくするのが「成長」で、その機能を高めたり、さらには他者から学んで社会性を身に付けていくことが「発達」です。
早期教育についての本は、「子どもがこうやったらこんなに伸びた」といった個人的な体験を一般化した内容のものが多いのですが、ここでは科学的に実証された事実を中心にお話ししたいと思います。
まずは子どもと大人の違いについて、例をあげてお話ししていきましょう。
子どものからだはおもしろい1
臓器の成長には優先順位がある
まず、子どもというのは、大人をそのまま小さくしたものではなく、臓器の機能も大人と全く同じように働いているわけではないことを知っておいてください。
子どもの臓器は、その働きによって成長のスピードが違います。私たちの体は、大雑把に次のような体系(システム)に分けられます。それは下のようなものです。
神経系(脳、脊髄)、呼吸循環器系(心臓、肺)、消化器系(胃腸、肝臓)、血液系(骨髄、赤血球、白血球、リンパ球)、骨格系(骨格筋、骨)、免疫系(リンパ節、胸腺)、内分泌系(甲状腺、副腎、脳下垂体)、泌尿生殖器系(腎臓、膀胱、精巣、卵巣)です。
この中で胎児のころ、最も早く活動を始めるのが神経系です。生後すぐ呼吸をし、体温調節ができるのは、神経系が働くからです。心臓も自律神経によって動きますので、神経系は全体を統合するために必要な臓器といえます。体の中で最初にできあがるのはそのためです。
その次が呼吸循環器系。三番目に栄養をエネルギーに替えて体を大きくしたり、老廃物を出す腎臓などの消化器系と泌尿系が成長していきます。
*この続きは、本誌をご覧下さい。
3月 11, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年2月15日 (月)
絵本作家のアトリエ・はたこうしろうさん
3月号の「絵本作家のアトリエ」には、『ゆらゆらばしのうえで』や『あかちゃんがやってきた』などの絵本や、「母の友」2002~03年の表紙でもおなじみの、はたこうしろうさんが登場です。
あざやかであたたかな色彩の絵本を生み出すはたさんですが、その美しい色の背後には、知られざるドラマがあったのです。
「は たくん! ちょっと来て!」。
1987年の春。あたたかな陽が射し込む文房具メーカーのデザイン室に、怒気をはらんだ声が響いた。
社会人になったばかりのはたこうしろうさんは恐縮しながら、先輩のもとへと向かう。
目の前にさしだされたのは、先ほどその先輩から頼まれて作成したレイアウト用紙だ。
「君さ、ぼくが灰色に指定した部分を、なんで勝手に緑色に変えたの?」。
はたさんの額から汗が吹き出した。
ああ、やっちまった……。
「アホでした」
東京、新宿から電車で西へ30分、大きな大学のキャンパスがある落ち着いた町に、はたさんのアトリエはある。
すぐそばには鉄道の研究施設があり、試作車がゆっくり静かに走っていた。
仕事場は一軒家だった。一階が打ち合わせスペースになっていて、過去の著作や、資料となる本が並んでいる。
絵は二階で描く。
インタビューが始まると、はたさんは、あっはっはっと笑いながらこう言った。
「しかし、ぼくの若いころの話なんかしても意味あるのかなあ。
アホでしたからねえ」。
はたさんは1963年、兵庫県の西宮市生まれ。
小学校三年生まで、テストのたびに0点を取っていたそうだ。
比喩ではなく、『ドラえもん』ののび太がとるような、本物の0点である。
「ぼくね、三年生まで、学校が勉強する場所だと気づいてなかったんです。友だちと遊ぶ場所だと本気で思ってた」。
両親は”勉強は子どもまかせ”がモットーで、特に4人きょうだいの末っ子だったはたさんは何も注意されずに育った。
子どものころは7歳上の兄に圧倒的な影響を受けていた。
兄は絵が上手で手先も器用、はたさんのためにボール紙を使って、手製の車や電車を作ってくれた。
「ぼくの趣味、昆虫採集も兄の影響なんです。
小学校にあがる前から、夏になると、お弁当を持って1日がかりで兄と虫採りに行っていました。
だいたい帰り道で、ぼくが疲れて泣くんですが、兄はおんぶをして家まで運んでくれた。やさしかったなあ……」。
*この続きは、本誌でお読み下さい。
写真・山本尚明
2月 15, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年2月 8日 (月)
手紙で逢いましょう
3月号の特集は、手紙です。
伝えたいことがあれば、携帯だってメールだってある時代。手を使って手紙を書くことが少なくなりました。
でも、自らの手で記した言葉だからこそ、伝わる思いもあるのではないでしょうか。
別れと出逢いの季節を前に、手紙について考えてみませんか。
読売新聞の文芸担当記者として、多くの作家とやりとりを重ねてきた尾崎真理子さんには、文章のプロ・作家がどんな手紙を書いてきたのか、うかがいました。
忘れられる手紙の時代
尾崎真理子
手紙の時代
手紙でのコミュニケーションは、1990年代の後半を境に、がっくり減りましたね。
年賀状もメールで済ます時代、一方でコミュニケーションの頻度、密度は濃くなったという調査結果もあるみたいですが、本当かな? と思ってしまいます。
昔の作家は筆まめでした。
今でも70代以上の、手紙が通信の手段として最も一般的だった時代を過ごした方にインタビューしたり、書評の記事を送りますと、丁寧なお礼状をいただきます。
50歳以下の作家の場合は、メールが多いですね。
最近、89歳になられる瀬戸内寂聴さんへの聞き書きをまとめた本を出したのですが、瀬戸内さんも、手紙、それから手記をたくさん書いた時代の作家です。
瀬戸内さんには多くの評伝作品がありますが、「本人の手紙は何と言っても一級の資料ですよ」と、よく話されます。
作家には、今も昔も味わい深い字を書く方が多く、だから生原稿が発見されると話題にもなるのですが、その筆跡の文化も消滅していきつつあります。
肉筆で原稿を書き、毎日のように手紙をやりとりしていた時代は、あきらかに人と人との関係が濃密だったと思います。
手紙が届くまでの時差も、さまざまなドラマを生んだ。
メールでのやりとりは、簡単に出せるだけに相手の遅れを許さず、どこか脅迫的な感じはしませんか。
もちろん、時代や世代は一般論で、30代でも、たとえば小澤征良さんのように筆まめな方もいます。
彼女は、メールも打つし、手紙も書く。
声で伝えたいときには電話を選ぶ。
細かく手段を使い分けられるのが今の時代なんですね。
その上で、ちゃんと気持ちを伝えたいときには、やはり、手紙ではないでしょうか。
*この続きは、本誌で。
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2010年1月18日 (月)
ふろく絵巻・たべものかいどう
2月号の巻末付録「絵巻・たべものかいどう」、もうお試しになりましたか?
92ページの作り方を参考に、ぜひ作ってみてくださいね。
右の写真は、この絵巻の作者、井上洋介さん(左)と、編集部T(右)による制作例です。
←こちらは、井上洋介さんの作品。
さすが洋介さん、なんと美しく和紙で裏打ちをしたうえに、麻紐でとめるという職人技。筆で手書きした題字もカッコイイ!
絵巻の終わりには、選び抜かれた丸い木の棒を使用。両端が丸く面取りしてあります。
←一方こちらは、編集部Tの素人作。
限りなく本誌の「作り方」に忠実に作りました。
ひもは肉用のたこ糸を、絵巻の終わりには、割り箸を使用。
それだけだと味気ないな、と思い、たこ糸の先と割り箸におしゃれメンディングテープを巻きました。
どうでしょう? ぐっとかわいくなったでしょう?
最近は、色々な柄のかわいらしいテープが市販されていて、店で見かけると、つい手にとってしまうのですが、こんなところで役に立つとは思いませんでした。
みなさまも、ぜひお試し下さい!(T)
1月 18, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年1月15日 (金)
絵本作家のアトリエ・タイガー立石さん
2月号の「絵本作家のアトリエ」には、現代美術家としても著名な、故・タイガー立石さんが登場です。
『とらのゆめ』や『すてきにへんな家』など、異次元へ誘うふしぎな画面で子どもたちを魅了した異色の作家、タイガーさんの足跡をたどります。
なお、長らく品切れになっていた『すてきにへんな家』が、「たくさんのふしぎ」300号を記念して限定復刊されます! 発売は2月。
詳しい情報は、またこのブログでもご紹介します。お楽しみに。
タイガー立石(本名・立石鉱一)さんの遺した作品を数えると、その量と多様さに、本当にこれが一人の人間のなした技か、と驚愕する。
人物が居眠りする間に天地が逆さになるなど、空間のトリックを駆使して、見る者をもうひとつのふしぎな世界へ誘い込む絵画。
昭和の時代の風俗と人物が、次元を越えて交錯する曼荼羅のような大きな絵画。
ゴッホやピカソのモチーフを、ひとつの立体の中に閉じこめた陶器や、動物たちの土偶。
そして絵本においては、絵画だけでなく立体を使ったものもある。
作品を作るたびに、私たちを驚かせ楽しませてくれたタイガーさん。
56年の短い生涯を全速力で駆け抜けた、その足跡をたどる。
少年時代
福岡県小倉から日田彦山線の列車に揺られること数十分。
右手に、石灰岩採掘のため山肌を削られた異形の山(香春岳)が見えてくる。
飽かず眺めていると、やがて列車は田川市に入る。
タイガー立石さんは、かつて炭坑で栄えたこの町で生まれ育った。
父親は炭鉱労働者だった。
タイガーさんが生まれたのは1941年、太平洋戦争が始まった年。
幼いころから絵を描くのが好きだったが、戦中戦後のことで紙はなく、ガラスに鉛筆で描き、雑巾で消しては描き続けたという。
戦後の復興で賑わった町には、映画館が20軒も建ち、タイガーさんも母親や親戚に連れられて、お涙ものからディズニーまで「何でも観た」そうだ。
杉浦茂などの漫画もよく読み、漫画雑誌に投稿するほどに。
中学生になると、町の図書館に通いつめる。
「ぼくは近代美術が大すきで、書庫の画集のたなをかたっぱしから読んで(見て)まわり、画家の名前と絵を記憶した」(絵本『顔の美術館』作者の言葉より)。
将来の夢は「図案家か画家か漫画家になること」。
立石少年は、やがてこの夢を全て実現することになる。
*この続きは、本誌でどうぞ!
1月 15, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2010年1月12日 (火)
におい─どうしてこんなに気になるの?
ふと過ぎる香りに過去を思い出したり、お香でリラックスしたり、「加齢臭」が気になったり……良くも悪くも私たちの心にダイレクトに影響を与えるにおい。
発売中の2月号は、ずばり「におい」を大特集!
嗅覚のひみつから消臭ブームまで、かぐわしきにおいのはなしをお楽しみください。
まずは、目からウロコ、一生を通した「においコミュニケーション」のはなしから。
くさいなんて言わないで!
においでつながる家族のはなし
篠原一之(長崎大学大学院医歯薬学総合研究か教授)
においは心に直接作用する
遠い記憶を呼び起こしたり、おなかがすいたり……においって不思議ですよね。頭でわかる前に感じてしまう。それは実は、嗅覚が視覚や聴覚とは脳内の作用順序が違って、本能や感情に直接作用するからなんです。
視覚、聴覚の情報は、大脳新皮質で意識され、認識されてから、その後、感情を司る扁桃体や、睡眠、食事、性行動など本能を司る視床下部に到達します。
一方、においの情報は、大脳新皮質に送られる前に、視床下部と扁桃体を通過します。
においを家具と、無意識のうちに感情がわき起こったり、食欲が増したり、性的衝動が高まったり、ホルモン分泌が変化したりするのはそのためです。
そして本能と情動を司る領域のごく近くに、記憶を司る海馬というところがあるため、記憶にも結びつきやすい、というわけです。
そして、においは人と人とのコミュニケーションにおいても、重要な役割を果たしていると、私は考えています。においを介したコミュニケーションは、胎児期、新生児期、乳児期の子どもと母親との関係、おばあちゃんと子どもとの関係、そして思春期におけるお父さんとの関係、思春期を過ぎた男女の関係──と変化しつつ、一生を通して続いていきます。
胎児もにおいを嗅いでいる
順を追って、まずは胎児期からお話ししていきましょう。
妊娠七カ月目になると、お腹の中の赤ちゃんの嗅覚と味覚は、大人並みに発達します。
そして母親が食事をすると、食べたもののにおいと味が、血液を通して子宮内の羊水に入ってきます。
最近は、体内の様子を動画ではっきり観察することができるのですが、お母さんが食べ物を食べて五分もしないうちに、赤ちゃんは口をもぐもぐ動かして食べる仕草をするんです。においと味がすると、もう反射的、本能的に口を動かします。
*この続きは、本誌をご覧ください。
1月 12, 2010 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年12月 7日 (月)
絵本作家のアトリエ・松居直×安野光雅
1月号の「絵本作家のアトリエ」は、番外編。4月号からの連載「私のことば体験」で自身のこれまでの歩みと出会ってきたことばについて語っている小社相談役の松居直と、同じ連載に挿絵を描いてくださっている画家の安野光雅さんに、絵本、そしてことばについて話し合っていただきました。
実はこのお2人、同じ1926年生まれです。
そして、安野さんにとって、松居は担当編集者。松居にとって安野さんは、著者であるとともに、わが子の小学校の恩師でもあるのです。
舞台は、2人の出会いを意識して、とある小学校の教室。
撮影は、『浅田家』で話題の写真家、浅田政志さん。
さまざまな意味で新春にふさわしい、スペシャル対談です! ぜひお楽しみ下さい。
安野 松居さんは「ハナ ハト マメ マス」でした?
松居 ぼくは「サイタ サイタ サクラガサイタ」でした。安野先生が先輩ですね。
安野 今だれも知らないよねえ(笑)。
小学校に入って一番初めに習う教科書の書き出しですよ。
私は三月生まれだから、学年は一つ上なんだな。
この連載を読んでいると、年が近いからか、ああ、あの頃はこうだったなあと思ったり、松居さんもそうだったのか、と驚いたりね。
松居 毎月描いていただいているスケッチは本当にいいですねえ。
見せようというんじゃなくて、おのずから感じられ、語りかけられる絵なんですよ、安野先生の絵は。
安野 基本的には絵は絵、文は文。
そもそも文学に絵は関係ないと思っているの。
説明する絵というのはあるけれども、それは図であって絵じゃない。
だからこの連載でも、絵が文章の説明をする必要は本当はないですよね。
絵を観てそういうことが書いてあると思って読んだら、全然違ってだまされた! というのもいいんだけど(笑)。
松居 これは、絵のほうが断然いい(笑)。
安野 いやいやいや。
松居 独特の語りがありますよね。
安野 まあ締切に間に合わなきゃいけないな、という感じでやってますけど(笑)。
教師×教え子の保護者?
安野 松居さんはうまいことほめてくれるから、ついのっちゃってねえ。
だいたい普通、絵本を描きたい人は、自分から売り込まなきゃいけないんだ。
私はそれをやらなくてすんだんだよね。
なんというハッピーな人生かと思う。
松居さんが絵本描きませんかと言ってくれたから。
松居 息子2人と娘が小学校で教えていただいてお世話になっていましたからね。
当時ぼくは新しい絵本の作り手を探していて、安野先生の授業は機会があれば積極的に見学するようにしていたんです。
それがとっても印象に残っていた。
*この続きは、本誌でご覧下さい。
(写真・浅田政志)
12月 7, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年11月 9日 (月)
絵本作家のアトリエ・U.G.サトーさん
好評連載「絵本作家のアトリエ」も、12月号で35回目を迎えました。
今月訪れたのは、グラフィック・デザイナーで絵本の世界でも活躍する、U.G.サトーさんです。最近では、『あめかな!』など、鮮やかな色彩とのびやかなアイデアの赤ちゃん絵本が人気を博しています。
都会のど真ん中にあるおしゃれなアトリエで、お話を伺いました。
東京・神楽坂。大正時代に栄えた花街の名残か、都心にありながら今も昔ながらの和の風情と粋な雰囲気が残る。
商店街から路地をすすむと、ほどなくタイルで飾られたコンクリートの家が現れた。
球根から伸びた4本の鉛筆は「デザイン・ファーム」のシンボルマークだ。ここは事務所兼アトリエ件自宅。
インタビュー前に3階のアトリエ内を撮影するため、ベルを鳴らした。
********
「やあ、お待たせしてしまって」。
1時間後、そう言って現れたひとは、大きくゆったりとしていた。
その瞬間、アトリエの空気がたしかに変わった。
それまで撮影しながら眺めていた静かな室内が、まるで主を取り戻して息を吹き返した魔法の城のように、生き生きと動き出したのだ。
自らデザインしたシャツがよく似合うこのアトリエの主、U.G.サトーさんは、グラフィックデザイナーだ。
シンプルでユーモアあふれるイラストレーションの名手で、国際的なポスター展での受賞歴も多い。
アトリエの壁一面にはポスター作品が飾られ、飾り棚には陶器や石の置物、人形などが所狭しと並んでいた。
「めちゃくちゃでしょ(笑)。いろんな場所に行ってつい買ってしまったんですよね。
『どうしてこんなもの思いついたんだろう』とか、作った人の気持ちを察すると、うれしくなってしまうんですよ」。
世界各国で集めたというそれらのオブジェは一見支離滅裂、しかしよく見るとじつに似ている。
形や色が洗練されていながら親しみやすく、そしてどこかくすり、と笑ってしまう。
まさにU.G.サトーの世界なのだ。
原点は、自然と平和
U.G.サトーさんは、1935年神楽坂生まれ。両親と4人の妹とともに、アトリエがあるこのあたりで幼少期を過ごした。
しかし間もなく日本は第二次世界大戦に突入。
戦況が悪化した小学3年生のとき、たった1人(翌年にすぐ下の妹も加わった)、家族と離れて栃木県の農村に集団疎開をする。
50人ほどの子どもたちとのお寺での合宿生活。そこでの経験が、いわば”原点”となった、と語る。
「当時はつらかったんだけど、今になって自分はいったい何者だっていう問いをするとき、あの経験がやっぱりすごくよかったなと思う」。
*この続きは、本誌でどうぞ!
(写真・岡田敦)
11月 9, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年11月 6日 (金)
ウイルスって、ナニモノ?
新型インフルエンザが依然、猛威をふるっているようです。
社内でも、「子どもが学級閉鎖になった!」という話をたびたび聞くようになりました。
これから寒くなると、新型はもちろん、季節性インフルエンザ、風邪、ロタなど、ますます心配ですが、これらの病気はみんな「ウイルス」のしわざ。
12月号では、そんな身近な存在にもかかわらず、意外と知られていない「ウイルス」の実態を大特集します。
病気だけではない、ウイルスの真の姿を知れば、対処の仕方もおのずと見えてきます。
ウイルスは、「生命」を考える手がかり
岡田吉美
どこにでもいる、ウイルス
ウイルスは、何も人間に病気をもたらす、それだけの存在ではありません。
ウイルスには数多くの種類があり、それぞれ固有の生物に感染します。
その対象となる生物(宿主)は、植物、細菌、そして動物においても魚や昆虫までと幅広く、つまりウイルスはいたるところにいるのです。
また、ウイルスはその性質から、遺伝子と深い関わりがあります。
ウイルスの研究を通じて、DNAや細胞の活動の詳細について、解明されてきたことがたくさんあるのです。
生きている分子
ではいったい、ウイルスとはどんなものなのでしょう?
ウイルスの構造は、核酸とタンパク質からできた単純な化学物質の複合体です。
そして電子顕微鏡でなければ見えないくらい、小さなものです。
「化学物質」と言うと、ただの「モノ」であって、生きていないように聞こえます。
ウイルスは生物ではないのでしょうか?
実はここが、ウイルスの説明で一番難しいところです。
ウイルスは宿主の細胞に入り込んでいない限りは、本当にただの物質なのです。
それだけでは何の活動もしないし、試験管の中で何十年もそのまま保管しておくこともできます。
しかしウイルスがふつうの化学物質と違うのは、感染性をもっていること。
ひとたび宿主の細胞に入り込むと、自分の複製を次々と増やし、ほかの細胞に移っていきます。
物質でありながら、「自分の複製を増やす」という生物としての性質を持っているのです。
*この続きは、本誌をご覧ください。
11月 6, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年10月 5日 (月)
11月号は、豪華特別号!
今年もやってきました、この季節が!
先週末発売になった11月号は、毎年恒例物語の世界にどっぷり浸れる特別号です。
幼い子どもには、プロの作家による作品と公募作品、合計30編からなる超豪華童話集「こどもに聞かせる一日一話」を。
大人のみなさんには、「大人だって聞きたい! 4人の作家による物語」を袋とじで(村田喜代子、谷川俊太郎、古川日出男、小池昌代の各氏による短篇小説集)。
そして、巻頭特集「瀬田貞二の遺したもの」では、没後30年を迎えた児童文学者、瀬田貞二さんの仕事を振り返り、子どもの本とは何か、子どもの本をつくるとはどういうことなのか、瀬田さんの歩みを語る中で考えます。
とにかく出血大サービスの豪華特大号! 子どもにかかわる人はもちろん、物語や絵が好きな方、夫婦の時間を取り戻したい方、秋の読書のお伴を探している方……すべての人に読んでいただきたい11月号です。お読み逃しなく!
10月 5, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年9月14日 (月)
絵本作家の書斎・神沢利子さん
絵本や物語の作家を訪ねてその素顔に迫る連載「絵本作家の書斎」。
6月号に続いて今月10月号に掲載した第2回目は、神沢利子さんです。
日本に本格的なファンタジーをもたらした作家、神沢さんの原点は、子ども時代に過ごした樺太でした。
雪におおわれた大地の「音」を静かに描いた絵本『ぽとんぽとんはなんのおと』、「なぜ? どんな?」と知りたがる子どもが主人公の童話『くまの子ウーフ』、動物たちの国の壮絶な戦いを叙した長編『銀のほのおの国』。
神沢利子さんは、子どもたちに様々な世界を見せてくれる作家です。
東京近郊の静かな住宅地にあるご自宅を訪ねると、玄関で小柄な神沢さんが穏やかに微笑んでいました。
その静かさに、なんだか映画のワンシーンを観ているような錯覚を覚えます。
取材を始め、写真を撮りだしたカメラマンの吉原さんが、「絵になる方ですね……」と、つぶやきます。
樺太の自然の中で見たもの
一緒に紅茶を飲みながら、神沢さんは子どものころのことから話しはじめてくださいました。
神沢さんは1924年、福岡県で生まれました。炭坑技師だった父に従い、家族とともに東京、札幌と転居、5歳のときに樺太(現在のサハリン)に渡り、そこで子ども時代を過ごします。
そこはきらきら光る川が流れ、草原が広がる地でした。
「何もなくて、自然だけがある、そんなところで育ちました。今はそのことをとても感謝しています。
冬、雪がすっかり大地をおおいかくしてしまって何も見えなくなる。
それが春になって、雪が消えてしまい、また大地が現れるということが、大きなふしぎでした。
なくしていたものがそこから出てきたりするんです。
大地が出てくるのも喜びだけど、さらなる驚きは、その大地の下、見えないところから草や木が萌えてくること。
二重にかくれているという驚きでした。
川が凍ると、『あんなに流れていた水はどうしたのだろう?』と思うんです。
でも、凍った川に穴をあけると、冷たい風が吹き上げてきて、その下には水がどんどん流れている。
上の方だけ凍って、下は流れているのだとわかるんです」。
*この続きは、本書をご覧ください。
(写真・吉原朱美)
9月 14, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年9月 5日 (土)
どうして写真を撮るのだろう
夏の終わりを感じる9月を迎えました。
この夏、どんな写真を撮りましたか?
子どもや家族、料理、日常のささいな出来事……デジタルカメラの普及とともに、だれもが気軽に写真を撮るようになりました。でも、そもそも人はどうして写真を撮るのでしょう?
芸術の秋を目前にした10月号では、私たちの奥深くに眠る欲求を解きあかしながら、もっと楽しく撮るための「ハハトモ流」写真ガイドを特集します。
残したい、持ちたい、伝えたい、
人は写真になにを求めてきたか。
小林美香
芸術家でもジャーナリストでもない私たち、一般市民はなぜ写真を撮ったり見たりすることに夢中になってきたのか。
小林美香さんは、写真の歴史を「芸術以外の側面」からも研究しています。
その流れをうかがう中で、今、とても大きな変化を迎えていることがわかりました。
時の流れにあらがって
19世紀に写真が誕生し、普及する中で、一般の人々がまず抱いた欲望は「自分や家族のポートレート」を撮ってもらいたい、「残したい」ということでした。
かつて自分の肖像画を残せるのは王侯貴族や富裕層だけでしたし、写真が誕生する直前の時期には「ミニアチュール(細密画)」という肖像画がヨーロッパで流行していたのですが、そえrを画家に依頼することができるのも富裕層に限定されていました。
ということは、「自分の姿を残したい」という欲望自体は、カメラが発明される随分前からあったわけですね。西洋社会では、支配階級が邸宅を持ち、壁を絵で飾ることで、「自分こそがこの家の持ち主なのだ」ということを示してきました。肖像画は自分の存在や財産、功績を誇示する手だてだったわけです。
また、人間は変わりゆく、そしていずれは消えゆく存在ですから、それをなんとかとどめたい、という気持ちもあったのだと思います。例えば、若く美しい自分の姿を残したい、あるいは、家族の幸せな時期の姿を残しておきたい。そうした「時間を止めたい」という、人間ならではの欲求も背景にあるように思います。
見せたい、持ちたい、つながりたい
そういう強い気持ちから手に入れた自分や家族の写真を、人に「見せたい」と思うのは自然な流れですね。家族のアルバムを木製の立派な箱にいれて、装飾品のようにしつらえ、訪ねて来た人たちに見せることもあったようです。
19世紀半ばに流行した「カルト・ド・ヴィジット」という安価な肖像写真は、知り合った相手に名刺のように配るものでした。ひょっとしたら、現在の若者たちにおける「プリクラ」のようなもの、と言えるかもしれませんね。そこには写真をだれかに見せることで「人とつながりたい」という気持ちがあるように思います。
*この続きは、本誌をご覧下さい!
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2009年8月10日 (月)
絵本作家のアトリエ・小西英子さん
9月号の「絵本作家のアトリエ」に登場するのは、小西英子さん。
『サンドイッチ・サンドイッチ』『みやこのいちにち』など、多彩なテーマの絵本を生み出す画家を、大阪のアトリエに訪ね、絵本に込めた思いをうかがいました。
キーワードは、「謎の三角形」です。
謎の三角形
平日の午前中。
大阪へ向かう新幹線の座席は、スーツ姿の男たちで埋まっていた。
薄曇りの空の下、富士山がかすんで三重、窓枠から消えていく。視線を落とし、手に持った紙を見つめる。
そこには小西英子さんの著作のタイトルが並んでいた。
数日前、ぼんやり眺めているとき、作品が大きく三つのジャンルに分類できることに気がついた。
ひとつは「日本の昔話」、そして「イタリアを舞台にした物語」、最後が「食べ物」。
それぞれのテーマごとに画風もまったく異なる。
一見関連がなさそうな三つの分野の絵本を、なぜ手がけることになったのだろう?
ペンで、その三つの項目を結び三角形を描いてみた。
おそらくこの形の中に、小西さんが、いる。
イタリアの香り
大阪城のほど近く、背の高いビルが立ち並び、多くの人々が行き交う町の中に、自宅兼アトリエはあった。
高層マンションの入口で自動ドアをくぐり、エレベーターに乗る。
静かな廊下をたどり、チャイムを鳴らすと、勢いよくドアが開いた。
「ようこそおいでくださいました!」。
曇り空を吹き飛ばすような、明るい笑顔で迎えてくれたのは、小西さんご本人だった。
案内されたリビングルームの窓からは、大阪の町並みが見える。
室内を見渡すと、陶器でできた天使立ちの像、クラシックのCD、イタリアの旅行ガイド。
”三角形”の一点、「イタリア」の気配を強く感じる。
*この続きは、本誌で!
(写真・宮本武)
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2009年8月 6日 (木)
[対談]だから子どもの言葉はおもしろい
幼い子どもがふともらす、宝石のようなことばたち。読者のみなさんから寄せられる子どものつぶやきを掲載する人気連載「こどものひろば」は、今年でなんと50周年を迎えました。
9月号では、50周年を記念して、現在の選者、詩人の工藤直子さんと、かつての選者、元小学校校長の亀村五郎さんに、「こどものひろば」の魅力を存分に語り合っていただきました。
鶴見俊輔さん、穂村弘さん、梅佳代さんによる、記念メッセージも必読です!!
[対談]だから子どもの言葉はおもしろい
工藤直子×亀村五郎
(前略)
亀村 ぼくは投稿作品を選考しながら、こんな子どもがいるのかと思って泣いたりしました。もちろん、大笑いもしましたけどね。
工藤 泣いたというのはどういうときですか。
亀村 子どものつぶやきを読んでいると、その子がどういう環境にいるのかが、見えてくるときがあるんです。
その子が母親を恋しがっているのに、それがかなわない状況にあるということがわかると、やっぱりぐっときます。
工藤 切ないものもありますよね。そういえば「ゆうがた」という詩。これは、切なくておかしいですよね。
ゆうがた
(まつもとけんじ・2歳 1972年2月号掲載)
おとうちゃん
またきたん
よくくるねぇ
亀村 そうなんですよ。子どもが仕事人間の父親とふだん会っていないということですよ。
そんな家庭が高度成長時代にはたくさんあった。もう悲しくてね。
工藤 「バイバイ」も印象的でしたね。
私はこうした子どものつぶやきが大好きだから、もっと世間に広めたくて、以前、ある新聞紙上で「子どものつぶやき」というコラムをやりました。
この欄に敬意を表してね(笑)。
バイバイ
(ひらいかつえ・2歳 1967年4月号掲載)
うんこ バイバイ
おかあちゃんにいったんじゃないんだよ
うんこに いったんだよ
うんこ バイバイ
*この続きは、本誌でどうぞ!
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2009年7月13日 (月)
haha no tomo? 片山健さん
8月号は、もうご覧になりましたか?
手にとってぱらぱら、とめくっていただくと、鮮やかな一枚の絵が目に飛び込んでくるかと思います。
何のまえぶれもなく、突然に。
このページは、一体何!? 不思議に思われた方へ、ちょっと種明かしを。
目次をご覧いただくとわかるのですが、これはhaha no tomo?という、れっきとした連載ページです。
ハハノトモから連想する世界を、さまざまな分野の作家の方に、1見開き2ページで自由に表現していただくもので、今回は2009年2月号の太田大八さんに続いて2回目となります。
掲載は不定期なので、いつどんな方のhaha no tomo?が登場するかは、手に取ってみてのお楽しみ。
驚いたり、ほっとしたり、じっくり眺めたり。
作家の世界を心ゆくまでお楽しみください。
今月の片山健さんのhaha no tomo?は、まさに夏にぴったりの美しい絵。
たとえばこのページを開いて机にぽんと置いてみてください。まるで1枚の絵を飾っているような、ぜいたくな気分になるのです。
編集部でも今壁にかけて、ときおりひまわり畑からの風を感じつつ、仕事をしています。
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2009年7月10日 (金)
絵本作家のアトリエ・秋野亥左牟さん
『プンクマインチャ』という絵本をご存じでしょうか?
ネパールに伝わる民話です。
8月号の「絵本作家のアトリエ」に登場の秋野亥左牟さんは、この代表作をはじめとして、チベットやカナダ、アメリカ、沖縄など、大地とともに生きる人々に語り継がれる物語を力強いタッチの絵で描いてきました。
インタビューでは、秋野さんがなぜ異国の民話を描くのか、その深い理由も明らかになりました。
鮮やかな色彩で、ときに黒一色で描かれるその絵は、力強くて少し怖い。
そして、遠い国の見知らぬ話のはずなのに、どこかとても懐かしい──。
秋野亥左牟さんの絵本は、まるで荒々しくも気高い自然のようだ、と思っていました。
期待を胸に、自宅とアトリエのある兵庫県・上郡へと向かいます。
上郡駅の改札で、後ろから呼び止められました。
「よかった、一緒の電車だったのね」。
秋野さんの次女、群星さんでした。
駅の外では、長女香貫花さんが車で迎えてくれます。
「一番下の妹は、青っていうのよ」。
静かな田園地帯は広い空と穏やかな空気が気持ちよく、車を降りて、思わず深呼吸します。
土間のある平屋建てが自宅、その隣の倉のような建物がアトリエだと教えられました。
アトリエのドアをがたがた引いていると、「どうぞー、上がってきてー」と声がします。
作品の保管庫になっている一階からはしごを上ると、長い白髪に長い髭、真っ赤なセーターのひとがこちらを向いて笑っていました。
せ、仙人……!
物語が息づいて、動き出す
「福音館から来るというので、がんばって2枚描いたの」
仙人、もとい画家がにこにこ指さしたのは、今手がけている「こどものとも」の絵本原画。和紙を水貼りしたボード10枚にびっしり描かれたアンデスの絵は、衣装の模様や岩の表現など気が遠くなるほど細かく、それでいて大胆な地からに満ちています。
「力の込めすぎ(笑)。しんどかったー。考えすぎて」。
*この続きは、本誌でぜひ!
(写真・石川直樹)
**インタビューを行ったのは3月下旬。その後、絵本制作の打ち合わせに秋野さんのアトリエを訪れた「こどものとも」編集部の担当者によると、新作の準備は着々と進んでいる模様。誌面でお伝えしたときよりずっとたくさんの原画が、並んでいたとか。新作が見られるのも、そう遠くないかもしれません。
←新たに描き加えられた「こどものとも」のための絵を持つ夏の秋野さん。
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2009年7月 3日 (金)
平和をつくる?
8月号が発売になりました。
「母の友」では毎年この時期、戦争のこと、平和のこと、子どもたちの生きていく世界にかかわる大切なことについて、考えてきました。
昨年は特集「体験を受け継ぐ」ということで、自分が体験していないことを、どうやって受けとめ、子どもたちに伝えていったらいいのか、座談会や体験談などを通して考えました。
今年は、そこからもう一歩進んでみたい、と思いました。
戦後64年。私たちはこの64年間、当たり前のように「平和」を受け取ってきました。でも、今でも世界の各地では、内戦や紛争など、争いがつきることはありません。
そして日本国内でも、北朝鮮問題や海上自衛隊のソマリア派遣など、今までとは違った空気が流れ始めています。
そんな中、「平和構築学」という学問で、「平和」をみずからつくりだそうとしている人たちに出会いました。
平和をつくるってどういうこと?
私たちに、今なにができるの?
「あの日」を繰り返さないために、ともに考えてみませんか。
学んでいます、「平和のつくりかた」。
平和はつくれるものなのか?
その問いの手がかりを求め、まず向かった先は「平和構築・紛争予防」講座があるという、東京外国語大学。
講義はすべて英語で行われ、学生のほとんどが紛争当事国出身、国費留学生も多いのだとか。
いったいどんなことをどんな思いで学んでいるのか──
留学生3名に話を聞きました。
平和構築学とは、人間の暴力的な行動や社会における衝突がどのようにして起きるのか、その仕組みを科学的に分析することで、紛争の回避を目指す学問だ。欧米では60年代から研究が進んでいたが、日本では2004年、東京外国大学大学院に初めて「平和構築・紛争予防講座(Peace and Conflict Studies:PCS)が設立された。
在籍者は、平和構築論など社会科学の基礎を講義で学んだうえで、世界各地の紛争事例を分析、解決策を討論し、フィールドワークなどもあわせて論文に仕上げていく。
中でも白熱するのが、討論の授業だ。イラク、アフガニスタン、カンボジア、レバノン、コロンビア……様々な紛争当事国から来た学生が、”敵”とは誰か、戦争の遺恨について和解は可能なのかなど、同じ課題について議論する。博士課程一年のマヤ・ボドピヴェッツさんは非常に白熱するというその様子を楽しそうに話してくれた。
「私、お互いに仲間の理論をことごとくやっつけるものね(笑)。戦争や紛争って、ある部分ではとても具体的だけど、ある部分は普遍的だから、批評することができるんです」。
教授でコース長の伊勢崎賢治さんは、そこにこの講座の意味があると言う。
「イラクやアフガニスタンなど閉講して同じようなケースに直面している国もあれば、カンボジアなど、ポル・ポト派の悲劇を乗り越える時期の国もある。お互いを見ることによって見識が広まり、客観的な立場で自国の問題を考え、紛争予防に役立てていくんです」。
マヤさんの同級生、モハメド・アブディンさんも、出身国の紛争実態を他の地域の事例と比較するうちに、自国政府の政策に疑問を持ち、自然と分析しようとするようになった、と満足げだ。
*この続きは、本誌で!
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2009年6月17日 (水)
絵本作家のアトリエ・小野かおるさん
7月号の「絵本作家のアトリエ」でおたずねしたのは、画家の小野かおるさんのアトリエです。
小野さんの絵本には、実にたくさんの動物が登場します。
ねこ、かえる、ぶた、にわとり、水牛……。
どの動物もどこか飄々としておかしさがにじみ、眺めていて心をかき立てられるーーそんな絵本をつくりだす、小野さんの世界をのぞいてみましょう。
小野さんの絵本を読むときの、このわくわくした気持ちはいったいどこからくるのだろう。
それを確かめたくて、新宿から多摩方面へと向かう電車に乗って、駅前に建つ大きなマンションの一室に小野さんを訪ねた。
玄関の扉を開けて出迎えてくれた小野さんは、初対面にもかかわらず構えたところがなく、こちらの緊張をすぐにときほぐしてしまう。
しかし、仕事場を兼ねたご自宅に足を踏み入れると、その印象がまた違って見えてくる。
廊下の壁には、どうしても欲しくて「清水の舞台から飛びおりるつもりで買った」というメキシコの前衛画家ルフィーノ・タマヨの版画が飾られ、本棚にはアルスの児童百科や大量の画集、美術書などがずらりと並び、美術館か図書館のようだ。
絵を描くためのテーブルの周りには、たくさんの画材や立体の制作物がひしめき合っていて、主の旺盛な研究心、創作欲を感じさせる。
「何でもきいてくださいね。でないと、私、何をしゃべったらいいかわかんないわ」。
そういって気さくに笑う小野さんに、まずは幼いころのことからうかがった。
小野かおるさんは、1930年に東京市杉並町(当時)の阿佐ヶ谷で生まれた。
「杉並と言っても、まだ田舎だったのよ。”杉並村”なんて呼ばれて、今、住宅地になっているところが全部田んぼだったの。よく近所の子どもたちで遠出をしたわね。れんげの花が一面ピンクに咲いて、鬼ごっこや探検ごっこ、なわとびなんかして遊んでいたわ」。
最新作『くまさんくまさんおはいんなさい』(「こどものとも年中向き」2009年5月号)は、そのころの思い出がもとになっているそうだ。
*この続きは、本誌でお読みください。
(写真・山本尚明)
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2009年6月12日 (金)
夏休みなんてこわくない!
6月も半ばになりました。
紫陽花の美しい季節ですね。
福音館書店の近くにある都立庭園・六義園でも、紫陽花が見頃を迎えています。
さて、あと1ヵ月もすると、やってくるのが夏休み。
「せっかくの休みだから、どこかへ連れていかなくちゃ」
「子どもが一日中そばにいるから、世話が大変だなあ」
「規則正しい生活をさせなくちゃ」
……つい気持ちは焦ってしまいますよね。
でも夏休みは本当に何か特別なことをしなくてはいけないのでしょうか?
7月号の特集では、子どもにとっての夏休みとは何か、丁寧に考えます。
休み明けの子どもは、おうちの匂いがする
浅井典子(元園長)
集団生活から解放され、その家庭らしい過ごし方ができる
日本の夏は蒸し暑いですから、夏休みは「心身を休める」ということが第一ですね。
大人も子どもも休息は必要ではないかと思います。園では、ある一定のリズムの中で、子どもたちは集団生活してます。
ですから数年前までは、親御さんに対して「お休みのときでも、一日のリズムを崩さないでください」などとお願いをしたものです。
しかし、私は「夏休みが長くても短くても、子どもたちと過ごす日々は、その家庭なりの生活スタイルがあればいい」と思っています。
のんびりだったり、早起きでもいい、その家なりの一定のリズムで過ごせばいいのです。
でも乳児期はできるだけそのリズムを崩さないようにしてほしいですね。
と言いますのも乳児は、それほど体力もないので、いろいろなところに連れて行くと生活リズムの乱れから、体調を崩すことも多いからです。
もともと体力が落ち気味な夏は、無理してどこかへ出かけなくても構わないんじゃないでしょうか。
テラスでシャボン玉をしたり、安全に気をつけながらお風呂場に置いたミニプールで遊ぶといったすごし方も、また良いことですよ。
夏休みから少し離れますが、以前、保育園を平日に休んだ子どもがいました。
翌日、その子が「昨日はのんびり家で過ごしたの」ってうれしそうに言うんですよ。
私はそれを聞いて「何ていい言葉だろう」と思いました。
おそらくお母さんが、「今日はのんびりしようね」と言って休暇を取り、子どもと一緒に過ごしたのでしょう。
幼くてものんびり過ごすという意味はわかっていて、その子は何をしたわけでもないのに幸せを感じていましたし、親も一緒にゆっくりできるっていいなと感じました。
そのとき、私は「お休みってこれだ」と思いました。
*この続きは、本誌でぜひ!
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2009年5月18日 (月)
絵本作家の書斎・中川李枝子さん
4年目を迎えた好評連載「絵本作家のアトリエ」。これまでアトリエを訪ねてお話をうかがってきた画家の方々は、なんと32名にのぼります(海外編・番外編を含めると、36名!)。
でも、絵本や子どもの本の作り手は、「画家」だけではありません。絵本にとって、なんといっても一番大切なのは、子どもの心をつかむ物語です。
というわけで、今年から1年間に2、3回のペースで、物語の作家の仕事場をお訪ねする姉妹シリーズが始まります!
題して、「絵本作家の書斎」。
記念すべき第1回は、『ぐりとぐら』『いやいやえん』など、子どもたちに愛され続ける世界を生み出した、中川李枝子さんです。
幼き日の自分と今の子どもたちをしっかりと見つめつづける、その思いとは――。子どものためのお話を書きたいと思っている人や保育に携わる方にも、ぜひ読んでいただきたいお話です。
「書こうとして書くのではない。あるとき、ぐりとぐらがひとりでに動き出す。それを私は書くのです」。
以前、中川李枝子さんが口にされたその考えを、もっと詳しく伺いたいと感じました。作りごとではない、地に足のついた物語というものを考えるとき、その本質を語っている言葉だと思ったからです。
主人公が動き出す、中川さんの心の大地を支えているのは、保母として子どもたちと関わった、豊かな経験のようです。
雪のアイスクリーム
東京都内の静かな住宅街。緑豊かな学校の前に建つ、窓の多いお家に中川さんを訪ねました。
「近くにいい喫茶店があったのだけど、なくなってしまって。だから今は、この部屋で打ち合わせをすることが多いの」。
白が基調のかわいらしい部屋に入ると、中川さんはそう言いながら紅茶を淹れてくださいました。なんだか、ぐりとぐらのお茶会におよばれした気分です。ゆったりとした空気のなか、子ども時代のことからお聞きしました。
中川さんは北海道の札幌で生まれ、4歳まで過ごしました。家事に忙しい母親よりも、大学に勤めていた父親が、中川さんや姉、弟たちの相手をしてくれたそうです。
「冬になると、雪で冷やして作ったアイスクリームを食べさせてくれたの。容器にアイスクリームの材料を入れて冷やしていたのだけれど、最初はそれがわからなくて、雪がアイスクリームになるのだと思ってびっくり。
父はスケッチブックを持っていて、よく私たち子どもをスケッチしてkるえた。でも、描いたのを見ると全然かわいくないの。だから『私はもうちょっとかわいいのに』と、ちっともうれしくなかった」。
*この続きは、本誌でお読み下さい。
(写真・吉原朱美)
5月 18, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年5月13日 (水)
下ごしらえで、おいしい
毎日の食事作り。なんとなく、いつも適当に作っていたりしませんか?
「食材をおいしく食べるためには、料理の前に一手間かけることが必要」と料理研究家・池上保子さんに言われて、どきりとしました。そういえば、好評連載「おいしい和食の定番料理」の”作り方の手順”でも、一番文字数を割いているのが、じつは下ごしらえ部分だったりします。
というわけで、今月は、今さら聞けない下ごしらえの基本の「き」を徹底解説! 「おいしい和食の定番料理」のレシピとあわせて、ぜひご活用ください。
5月 13, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年4月30日 (木)
絵本作家のアトリエ・柚木沙弥郎さん
5月号の連載「絵本作家のアトリエ」に登場するのは、『つきよのおんがくかい』など、あたたかみのある絵本を多く手がける柚木沙弥郎さん。
染色家としても活躍を続ける柚木さんを、東京・渋谷のアトリエに訪ねました。
柚木沙弥郎さんは「染色」の大家であり、日本工芸美術界の重鎮だ。1922年生まれ。今年、87歳。女子美術大学の学長も長年にわたって勤めた。
そんな人が、昨年の秋、突如、「新人」になってしまった。
フランス、パリのギャラリー街で、初の海外個展を展開したのである。それも染色作品を「工芸品としてでなく、アートとして見せたい」という意欲的な試み。
80歳を越えてからの挑戦は準備も含め大変なことも多かったはずだ。
しかしなぜ、東京でなく、パリだったのか。
「だって、あの町では、ぼくのことなんかだれも知らないもん」と柚木さんは言う。
「だから、作品そのものを自由に見てくれると思った。日本だと、作品よりも、それを作った人のほうに目が行きがちでしょ。長年やってるみたいだからモノもちゃんとしてんだろうとかさ。いくらキャリアが長くたって、今、作っているものがつまんなきゃしょうがないのにね」。
「今」への強い意識。まるで若者のような発言だな、と思う。
若いのは魂だけではない。東京、渋谷区にある、柚木さんの自宅兼アトリエは3階建て。奥さん亡き後、一人暮らしを続けている。階段を上り下りするその足取りは軽妙だ。
「娘たちが心配するんだけど、一人は自由で気分がいいからね。でも、足腰は鍛えなくちゃいかんと思って、週に2回、ジムに通ってます」。
*この続きは、本誌でお読み下さい。
(写真・山本尚明)
4月 30, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年4月 2日 (木)
大人の時間 こどものじかん
5月号が、発売になりました!
子どものころ、永遠にあるものと思っていた「時間」。今はどうしてこんなに速く過ぎ去ってしまうのでしょう。気がつけば時間に追われて、つい子どもに「さっさとしなさい」「はやく来なさい」と、せかしてしまっている……。
5月号では、「大人の時間 こどものじかん」と題して、そんな「時間」を特集します。どうやら、大人と子どもでは、「時間」の感じ方が全く違うようなのです。
まずは、「時間はとても多様性をもつもの」という、千葉大学文学部の一川誠さんのお話から。
人はそれぞれ、別の時間を生きています 一川 誠
人の時間は伸び縮みします
時計の時間のように、一様に過ぎる物理的時間に対し、私たちが感じる時間を心的時間と呼びます。いわば、それぞれの人が心の中にもつ時計ですね。
たとえば、時計で1時間たったのに、その人の心の中の時計(心的時間)がゆっくりと進み、45分しかたっていなかったとします。このとき1時間たったと聞かされると、「もう1時間なの!?」と驚くことになります。
この心的時間の進み方は、身体の代謝や心的な活性度に適応していると考えられています。身体や心が活性化しているときは、心的時間は速く進み、そうでないときはゆっくりと進みます。
よく言われる、「年をとると時間がたつのが速くなる」ということも、身体的代謝が大きな要因と考えられます(子どもには新鮮なできごとが多いということも関係していますが)。加齢によって代謝が落ちると、それにともなって心的時間の進み方も遅くなります。そのため、時計の1分、1時間、1日、1年は、心的時間よりも速く進ので、時間がたつのが速いように思うのです。
また、1日のうちでは朝方よりも午後、小さな部屋よりも大きな部屋にいるとき、小さな音よりも大きな音が聞こえるときの方が、心的時間は速く進み、同じ時間でも長く感じます。「時間の経過への注意」も大事な要因。時間を気にしていると長く感じます。
また、難しい課題に取り組んでいるときには、時間を短く感じます(心的時間はゆっくり進む)。ですから試験のとkに、「えっ、もうおしまい!?」ということが起こります。
このように人間にとっての時間は、長くなったり短くなったりしているのです。
*この続きは、本誌をご覧ください!
いちかわまこと 1965年宮崎県に生まれ、大阪府で育つ。千葉大学文学部行動科学科準教授。実験的手法を用いて、人間の知覚認知過程や感性の特性について研究している。著書に『大人の時間はなぜ短いのか』(集英社新書)など。
4月 2, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年3月16日 (月)
絵本作家のアトリエ・甲斐信枝さん
ご好評をいただいている連載「絵本作家のアトリエ」は、2009年度も続きます。今年も絵本作りから人生まで、ベテラン作家の方の素顔をご紹介いたしますので、ご期待ください!
さて、4月号で訪ねたのは甲斐信枝さん。『ざっそう』『つくし』『雑草のくらし』など、身近な草花や昆虫を見つめ続けてきた、科学絵本の作家です。
昨年秋、紅葉の美しい京都でうかがったお話には、科学絵本の真髄が詰まっていました。
『雑草のくらし』を読んだときの衝撃は、今も鮮明に覚えている。一区画の更地で雑草たちが繰り広げる営みを描いた科学絵本。様々な種対の草が、栄え、滅び、次代へ命をつないでいく。物言わぬ彼らの栄枯盛衰のドラマにしばし呆然とし、次に驚きの対象は「その事実を伝えようとした人」へと変わった。自ら畑あとを借り、5年もの間観察を続けたというのだ。静かなタッチの絵に客観を貫く文章。この本の著者、甲斐信枝さんとは、一帯どんな人なのだろう。
電話での取材依頼では快諾を得たものの、参考にと見本誌を送ったところ、すぐに電話がかかってきた。
「とてもじゃないけど、私には無理ですよ」。
数度のやりとりの後、ようやく取材は許された。やりとりの中で甲斐さんがもらした「限りなく謙虚であれ、限りなく傲慢であれ」「ちゃんとした仕事はしてきていない」という言葉が耳に残った。会ってその真意を確かめたい。絵本とは、観察とは、仕事とは何か──会えば手がかりがつかめるかもしれない、そんな予感もあったのだ。
紅葉シーズン真っ盛りの京都・大覚寺。待ち合わせ場所のバス停前に、約束の30分前に着くと、すでに甲斐さんはいた。緑のスカーフの上の笑顔がチャーミング。
まずは、「縄張り」を案内してくれる。大覚寺脇の小道をゆくと、まもなく田園が広がった。ゆるやかな傾斜と周りを囲む山々が美しい。甲斐さんが常に草花を観察、写生しているフィールドだ。
「新聞紙を敷いて土手にあぐらをかいて座り込むことも多いですね。目線を低くすると、いろんなものが見つかるのよ」。
*この続きは、本誌でどうぞ!
(写真・石川直樹)
3月 16, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年3月 5日 (木)
心配ご無用! はじめての園生活
3月になりました。あと1カ月で新年度のスタートです。
「母の友」の2009年度は、入園を控えたお母さんにぴったりの特集でスタートします。その名も、「心配ご無用! はじめての園生活」。
「子どもが園で集団生活をちゃんと送れるだろうか」
「園の先生といい関係を築けるかしら」
「お母さん友達(ママ友)とうまくつきあっていけるかな」
……だれもが抱える人づきあいの悩みを解消すべく、とある新米お母さん、エイコさんが、人づきあいの達人たちを訪ね、その極意をうかがいました。まずは、連載「今月の子ども」が人気の柴田愛子さん。
エイコ 私、心配なんです……。
柴田 ちょっとちょっと何が心配なの
エイコ 子どもがみんなと仲良くできるだろうか、ママ友たくさんつくれるかしら、それに……。
柴田 まあ、落ち着いて。そうね、最近は子育ての情報があふれているから、いろいろ考えてしまうと思う。なんでも先回りして考えなくちゃダメ、という傾向もありますしね。
でも、心配は実際になにか起こったときにすればいいの。なにも起こる前から心配していたら、疲れてしまいますよ。はじめての園生活、心配になる気持ちはわかるけれど、心配は不安を生むんです。そして不安を抱えると今度は自身をなくしてしまう。ダメだと思っていると、本当にダメになる。反対に大丈夫! と思っていればなんとかなるものなんですよ、不思議とね。
エイコ うーん……。とはいえ、なかなかそう思えないんですよ。園で送り迎えのときに見かけるほかのお母さんたちは不安そうな気配が全然ないのに……私、ダメだなあ、って。
柴田 みんなが落ちついて見えるのは「外」だからですよ(笑)。きっと、内面では多かれ少なかれ不安だと思います。大切なわが子を他人に預けるなんて、人生で最初の経験なんだもの。ドキドキして当然です。でも、そこは腹をくくらなくちゃ。そして、預けた以上は、相手を信頼する。これが大事です。「この人に預けて大丈夫かしら……」と思っても、子どもは実際に毎日通うんですからね。それに、相手を信頼することは、今後あなたが相談するときにもよいほうに働くと思いますよ。
*この続きは、本誌で!
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2009年2月18日 (水)
絵本作家のアトリエ・田島征三さん
空気は冷たくても、陽射しに春の気配が感じられるようになってきました。
3月号の「絵本作家のアトリエ」は、『ふるやのもり』など大胆で自由な筆遣いの絵本で知られる、田島征三さんです。
現在、『ガオ』から始めた木の実のコラージュによる作品作りに取り組んでいるという田島さんに、これまでのこと、そしてこれからのこと、たくさんのお話をうかがいました。
田島征三さんのご自宅兼アトリエは、静岡県、伊豆高原駅から車で約10分のところにあります。海に近く、あたり一帯は緑に囲まれ、思わず深呼吸したくなるような場所。呼び鈴を鳴らすと、ほどなく、田島さんが笑顔で迎えてくれました。玄関をくぐると、ふわりと木の温かみが伝わってきます。一階がアトリエになっており、階段を上って2階の居間に案内してもらいました。
窓際に積まれた、たくさんの木の実がひときわ目を引きます。
「拾ってきた木の実を、こうして干しているの。これは、バルセロナのミロ美術館で拾ってきたやつ、こっちは、ユリノキの実。こっちはタイザンボク。落ちている木の実しか拾わないんだよ」。
見せてもらった木の実は、色がきれいだったり、形がユーモラスだったり、どれも個性的です。
田島さんの21世紀の代表作とも言える絵本『ガオ』も、木の実のコラージュで制作されました。一匹のヤマイヌがヘビや巨大な鳥、カエルなどに次々に変化していく、魂を揺さぶるような作品です。
「木の実で絵本を作る」作家は、どのようにして誕生したのでしょうか。
絵の美しさに感動
田島さんは1940年、大阪の堺市に生まれました。小さいころから、体があまり丈夫ではありませんでしたが、行動力にあふれていました。
「木に登るのは得意だったんだよね。よちよち歩きのときに、松の木に登っちゃって。そしたら、大人たちがとんできて、はしごをかけて下ろされた。そのときの大人たちの慌てた様子をよく覚えているよ」。
*この続きは、ぜひ本誌で!
(写真・山本尚明)
2月 18, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年2月 2日 (月)
みみよりな耳のはなし
風邪が流行っていますね。みなさんは、大丈夫ですか?
本日発売の3月号は、「耳」特集です。耳は、音を聞くことで危険を感じ取り、言葉を聞いてコミュニケーションをはかる、生き物としてなくてはならない器官です。さらに、耳は声や物語の入り口でもあります。古来より、さまざまなイメージを喚起する、ミステリアスな存在でもありつづけてきました。
3月3日の「耳の日」にちなみ、今月はそのしくみと働きから気になる病気、聴覚のふしぎまで、耳にまつわるさまざまなふしぎをたっぷりお届けします!
特集 みみよりな耳のはなし
[エッセイ] 耳の思い出 蜂飼耳
耳のしくみと働き 石井正則
中耳炎は、子どもに多い病気です 加納章子
「音」は見ることができる――ダイアログ・イン・ザ・ダークの実践から 志村季世恵
2月 2, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年1月12日 (月)
絵本作家のアトリエ・飯野和好さん
2月号の「絵本作家のアトリエ」は、「ねぎぼうずのあさたろう」や「くろずみ小太郎旅日記」シリーズが大人気の、飯野和好さんです。
一昨年は朝日新聞朝刊の連載小説「宿神」(夢枕獏・作)の挿絵で新境地を開き、昨年秋からはアニメ版「あさたろう」が始まるなど、活躍の場を広げつづける飯野さんのアトリエを、鎌倉に訪ねました。
三味線弾いたり、刀をふったり。サービス精神満点の飯野さんのお話は、「あさたろう」の旅と重なって、これがまた、泣かせるったら。ぜひお楽しみください!
一歩入ると空気がひんやりしていた。少し暗い玄関は広く、漆喰の壁と焦げ茶色の柱や梁がどこか懐かしい。これはそうだ、三和土というんだっけ。
「早くも古い感じなんですけど、まだ新築だよ」。着物姿の飯野さんが、草履を脱ぎながら笑った。
35年間暮らした東京の福生から、神奈川県・鎌倉に居を移したのは2年前。会津の古民家の木材を取り寄せ、5年がかりで完成させたこだわりの自宅兼仕事場だ。2階のアトリエからは、山が見える。
「ここは四季折々の山のにおいがいいんだ。山からの風が来ると、うわーいいなーたまりませんって感じで」。
窓の横には、昨年10月から始まったアニメ版「ねぎぼうずのあさたろう」の特大ポスターがあった。
「ものすごいうれしいいんだ」と飯野さんは目を細める。子どものころからのチャンバラ、時代劇ファン。清水次郎長、鞍馬天狗など全盛期の東映映画を見て育った。
「毎年、学校の庭とかお寺や神社の裏でやる映画会を見に行ったね。新撰組とか、ガマに乗った自来也とかも大好きで」。
その東映による代表作のアニメ化。なるほどうれしいわけだ。あのときそう納得しかけたのが今はちょっと恥ずかしい。だって飯野さんの「うれしい理由」は、そんな浅いものじゃなかったのだ。
旅人の血
てんけてけてけてけ~
おや、どこからともなく三線の音が……。と思ったら、飯野さん、沖縄のカンカラ三線を片手に歌い出した。
よーおっ たびゆけば~ とうかいどうに あきのかぜ~
七五調の節回しといい、堂に入った和服姿といい、なんとも心地よい。目の前に旅人行き交う畦道がのびる。これぞ、浪曲旅人絵本の世界! そしてそれは、飯野さん自信の幼少期の記憶なしには生まれなかった世界である。
*このつづきは、本誌でぜひ!!
(写真・浅田政志)
1月 12, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2009年1月 4日 (日)
もっと聞きたい本音のはなし③
2月号が発売になりました! 今月号の特集は、いよいよ最終回を迎えた座談会「もっと聞きたい本音のはなし」、保育園の保護者編です。
保育園に子どもを通わせているお母さん4名に集まっていただきました。司会は、4回にわたる本座談会を通してみてこられた、恵泉女学園大学大学院教授の大日向雅美さんです。
仕事を持ちながら、子育ても家事にも励む、大忙しのお母さんたち。でもその心の奥には、「仕事も子育ても中途半端にしかできていないのでは?」「母として、子育てがおろそかになっているのではないかと自分を責めてしまう」など、フクザツな気持ちが渦巻いているようで……。
【座談会】保育園の保護者編 「仕事も子育ても中途半端?」
大日向雅美(司会) みなさんはお子さんを保育園に通わせていますね。その点では私もみなさんの先輩。仕事を持ちながら子育てができたのも保育園のお陰と、心から感謝しています。ただ、それでも保育園に問題を感じたこともありました。
今日は保育園を糾弾するということではなく、現状の問題点を出し合いながら、よりよい保育の環境、安心して子どもを預け、働けることができるような保育園とはどういうものだろうということを語り合っていきたいと思います。
まず、みなさんと保育園との出合いについてお聞きします。自然なお気持ちで保育園に子どもを預けることができましたか?
川藤(仮名) 上の子を保育園に預けはじめたときに、田舎の母親から、「ゼロ歳から保育園に預けるのか、そんなことをしたらどんな子になるか」といわれました。夫の両親の目にも冷たいものがあって、結構悩んだのですが、結果的にはやっぱり入れてよかった。
どちらの両親とも離れて住んでいる中で、保育園の先生という、一緒に子育てにかかわる人がそばにいることは、私の中ですごく助けになったなと思っています。
遠井(仮名) 義母は自分の息子、つまり私の夫を保育園に預けていたんです。それなのに、孫が生まれたときに、「保育園に預けて働くことは、子どもにとって決してよいことではない」と言ったので、すごくびっくりしちゃって。逆に夫は、「そんなことないよ。保育園は楽しいところだよ」と言ってくれたのですが。
大日向 保育園で育った子どもが、あなたの夫。おかしいですね。お義母さんの言われることは(笑)。
遠井 子育てというのはそれぐらいわからないことなんだと思いました。経験を積んだ女性でも、自分の子育てがよかったどうか答えが出ていないんだと。
岡田(仮名) 出産して仕事をやめる選択肢を、全然考えていませんでした。会社の福利厚生が整い、職場の理解もあったので、産休、育休をとって仕事に復帰し、子どもを保育園に入れることは、私には自然なことでした。実家の母親は、仕事をやめて子どもと一緒にいてくれたらいいと思っていたようですが。私は葛藤なく入園させたのですが、逆に入園後に、これでよかったのかしらと思うこともあります。
*この続きは、本誌でどうぞ!
1月 4, 2009 今月の“立ち読み” | Permalink
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2008年12月18日 (木)
絵本作家のアトリエ・織茂恭子さん
好評連載「絵本作家のアトリエ」1月号は、織茂恭子さんです。
『おかえし』や『ててちゃん』など、きびきびした線で、子どもの姿を生き生きと、そしてユニークに描き出す織茂さん。
本当に楽しく、笑いのたえないインタビューとなりました。ぜひお読みください!
取材依頼の電話への織茂恭子さんの答えは、こうでした。
「うん、いいよ。でもうち、とってもちっちゃい、ウサギ小屋っていうよりネズミ小屋みたいな家だけど、大丈夫?」
「あ、もちろんです」。受話器から伝わってくる声の明るさと朗らかな様子に、なんだかこちらまでうきうきしてくる。
九月初旬の取材当日、東京・高円寺の駅から懐かしさの残る商店街を抜けて、静かな住宅地をしばらく歩くと、黄色と白の壁がかわいらしい家が見えた。これかな? メモには「呼び鈴使えず。ガムテープ。トントンとノック」とある。やっぱりここだ。階段の上が玄関だね、と写真家と話していると、織茂さんが扉を開けて出てきてくれた。
「いらっしゃい。声が聞こえたから」。
思わず息を呑む。だって、そこにいたのはまさに絵本そのままのひとだったのだ。
****
中に入ると、仕事スペースとキッチン、ダイニングが一つの空間にこじんまり、でもすっきりとまとまっていた。アトリエ側の壁には、たくさんの絵がかかっている。
「秋に個展をしたいと思って作っているところなの」。
水をテーマに、豊かな色彩が自由に躍る。絵筆は画面を飛び出して、ダンボールで手作りした額縁にまで及んでいる。
最近はアクリル絵の具やクレヨン、色鉛筆等を使い、切ったり貼ったりして描くことが多いという織茂さん。
「こうやって、紙に好きな色を塗ってためておくの。思ったときに即、使えるでしょ。もちろん包み紙とか、素材になるようなものはみんな使っちゃう。そうやるほうが、今はおもしろい」。
東京芸術大学油絵科卒。その経歴から、きっとずっと絵一筋で来た人なのだろうと思っていた。どうして絵本の世界に入ったのですか、と聞くと、驚く答えが返ってきた。
「私、絵本は社会人になって初めて見たの」。
*この続きは、本誌でどうぞ!
(写真・ARIKO)
12月 18, 2008 今月の“立ち読み” | Permalink
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2008年12月 8日 (月)
もっと聞きたい本音のはなし③
9月号、10月号と保育者編をお送りしてきた、「本音座談会」。1月号からは2ヵ月連続で、保護者編です。まずは幼稚園の保護者編を。司会は引き続き、大日向雅美さんです。
幼稚園に子どもを通わせているお母さん3名にお集まりいただき、園での人間関係、保育への赤裸々な思いを語っていただくと……つぎつぎと衝撃的な言葉が。
「専業主婦はいつもヒマ?」
「幼稚園で自己実現をしようなんて甘いんだよ、と言われた」
「お弁当が手作りかどうか、毎回チェックされます」 ……などなど。
貴重なメッセージも満載です。保育者の方も保護者の方も、ぜひお読み下さい!
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【座談会】幼稚園の保護者編 「専業主婦はいつもヒマ?」
大日向雅美 今回3人の方にお集まりいただきましたが、皆さんの共通点は幼稚園児を持つお母さんということですね。まず最初に一言ずつ自己紹介していただきましょうか。
渡辺(仮名) 私は3人子どもがおりまして、小学生、年長児、未就学児です。2人目まではアメリカで出産しました。一番上の子が、現地の幼稚園に1年ほど通ってから帰国したものですから、年中の途中から日本の幼稚園に通うことになりました。3人ともとにかくエネルギーにあふれているので、こちらも体力勝負でやてちます。
小林(仮名) 私は子どもが2人です。私立幼稚園にも通った経験がありますが、現在は公立幼稚園に通っています。
加藤(仮名) 私は主人の転勤のために、しばらく地方で生活していました。長男は、地方で私立の幼稚園を経験し、東京に戻ってからは公立幼稚園に通いました。その後で引っ越しをしましたので、下の子は上の子とは別の公立幼稚園に通っています。
大日向 みなさん、入園前は、緊張しましたか?
小林 私は親にすら子どもを預けたことがなかったので、幼稚園に送り出すのが初めての子離れ経験でした。最初の一カ月間は園から帰ってくるまですごく心配でした。子どもは園バスにすぐ乗ろうとするのですが、私は寂しくてなりません。送り出した後も帰ってくるまでは、不安で一杯でした。
大日向 お子さんと離れたことがない専業主婦にとって、入園は子離れの第一歩。不安も強いのでしょうね。
小林 そうなんです。朝、バスに乗せてドアが閉まった瞬間から「途中でバスが交通事故にあわないかしら」と、今思えば取り越し苦労なんですけど、当時は本気で考えていました。
*この続きは、本誌で。
12月 8, 2008 今月の“立ち読み” | Permalink
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2008年12月 1日 (月)
絵本作家のアトリエ・和田誠さん
今日から師走なんですね……ここのところ忙しさのビッグウェーブが次々到来、 ブログの更新がすっかり滞っていました ごめんなさい。あっという間に1月号の発売日です。
12月号の内容、きっともう皆さん読んでくださっていることと思いますが、超特急でご紹介していきます!
絵本作家のアトリエには、人気イラストレーターの和田誠さんの登場です。グラフィックデザイナー、映画監督としても活躍する和田さんの、「絵本作家」の側面をたっぷりうかがいました。
プロローグ:60年代、銀座
いきなりですが、皆さん、頭の中に1960年代初頭の東京、銀座の町並みを思い浮かべてください。終戦から15年が経過し、かつての焼け野原には真新しいビルが並んでいます。オリンピック直前ですから、町のいたるところから工事の音が聞こえてくる。高度経済成長期の只中でもあり、町は、「なにかやってやろう」という前向きなエネルギーで満ちています。
町を歩く男性は仕立てたスーツを着込み、髪型はびしっと七三分け。おや、そんな中、ジーンズにゴムゾウリという出で立ちですたすた歩いている若者がいるぞ。あれは、もしや……。
「だって、ラクだったんだもん」と和田誠さんは笑う。2008年の今もラフな格好は変わらない。「夏は、足の裏にケント紙をはりつけて、うろうろしていたこともあったな。さすがに会社の中だけだけどね。だれも何も言わなかったけど、ひんしゅくを買っていたのかもね」。
勤めていたのはデザイン会社、ライトパブリシティ。和田さんは1959年から68年まえの9年間、ここで働いた。同僚は田中一光や細谷巌ら、時代の最先端をいくグラフィックデザイナーたち。写真家、篠山紀信も同僚だった。「父の友」の挿絵でおなじみ佐藤直行もライトの出身。佐藤の入社は60年代の後半で、「ぼくが入社したころ、和田さんはすでに『スター』でしたよ。輝いて見えたものです」とのこと。
タバコ「ハイライト」のパッケージデザイン、キヤノンなど大手企業の新聞広告、映画やジャズの公演ポスター……。まだ20代だというのに、和田さんは話題の仕事を次々手がけていた。
若いが、性格はなかなかに頑固。一度言ったことは簡単には曲げない。大手広告クライアントとの交渉でも、自分の主張を簡単にひるがえしたりはしなかった。それは仕事だけにとどまらず、「エレベーターの内装が気に入らない」と一度口にしたことから、会社(ビルの8階にあった)まで毎朝毎晩、階段で上り下りしていたそうだ。
「そんな風だったからね、生意気なやつと思われていたらしいよ(笑)」。
*この続きは、本誌で!
(写真・山本尚明)
12月 1, 2008 今月の“立ち読み” | Permalink
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2008年11月 5日 (水)
読者手記 子どもの声に、耳をすませば
秋が深まってきました あっという間に日が暮れて、秋の夜長を実感する日々。11月号の「こどもに聞かせる一日一話」、そして袋とじの小説集は、ご活用いただいていますでしょうか? お子さんと楽しまれた様子、また作品へのご感想は、「てがみでこんにちは」係までぜひお寄せ下さい。お待ちしております!
さて、発売になったばかりの12月号の特集は、読者手記です。
みなさんにお寄せいただいた多くの手記の中から、今回は「子どもたちの声に耳をすませた」2人の読者の体験をご紹介します。
子どもはときに、思いがけない言葉を発しては、大人たちを驚かせたり喜ばせたり、はっと気づかせたりするものです。何気ない日常の子どもの言葉の中にも、きらめきや解決のヒントがひそんでいるかもしれません。
子ども五行歌のたのしみ
『南京玉』への憧れ
江崎理絵(奈良県奈良市)
「なんきんだまは、七色だ。一つ一つが愛らしい、尊いものでないけれど、それを糸につなぐのは、私にはたのしい。この子の言葉もそのやうに、一つ一つが愛らしい。人にはなんでもないけれど、それを書いてゆくことは、私には、何ものにもかへがたい、たのしさだ。」
これは、金子みすずの『南京玉』(JULA出版局刊)の冒頭に記された文章である。『南京玉』は、みすずが娘の三歳の時の言葉を記録して残したものである。彼女の思いに共感する人も多いのではないだろうか。
娘の言葉について、みすずは「創作」と書いているが、私には喋り始めの息子の発する言葉は「歌」と感じられた。大人が会話として使用する言葉とも違う、心の動きに自然に乗って表れてくる子どもの言葉には、歌としかいいようのない独特の響きがあると思う。
結婚して子を得、その子が、二歳を過ぎたころ、自分と自分の世界を言葉で表現し始めた。全く親ばかだけれど、そのカタコト言葉に心が震えた。彼の一生懸命な呟きも、語りかけも、叫びも、私には歌と感じられた。
そんなころ、昔「恋の五行歌」という公募で知った、「五行歌」という新しい形の歌のことを思い出した。
*この続きは、本誌でどうぞ。
11月 5, 2008 今月の“立ち読み” | Permalink
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2008年10月 6日 (月)
子どもが本と出あうとき
お彼岸も過ぎ、日ごとに夜の訪れが早くなってきました。読書の秋の到来です! 最新の11月号は、恒例の超保存版!「本特集」です。
今年は「本とのであい」の不思議な世界をのぞきます。
お待ちかね、1日にひとつ、1ヵ月分の短いお話を集めた童話集「こどもに聞かせる一日一話」と、昨年より始めた大人のための読み聞かせ袋とじ小説集もお届けします。
まずは、特集より、子どもの頃の本の記憶の意味について。「子どもに絵本を読んでやったって、そのうち忘れてしまうのでは?」とちょっとでも思ったことのある方、必読! 子どもと絵本のかかわりが、いかに強くて深いものか、びっくりするかもしれません。
その子らしさの素 山口雅子
どうせ忘れちゃう?
子どもに絵本を読んでやるのは楽しいし、子どもも喜んでいるようだけど……「果たして、大きくなるまで、絵本のことを覚えているだろうか?」、「読んでもらったことだって、いつか忘れてしまうのでは?」などと、ふと考えたことはありませんか?
お母さんたちの集まる絵本講座では、時々こうした質問が出ることがあります。そんなとき、私は「子どもと絵本のかかわりは、大人が思っている以上に強いもの。大きくなって、絵本のことなど忘れているように見えても、心の中には、小さいときに楽しんだ絵本がしっかりと根づいていますよ」と答えています。
私がそんなふうに、少しでも自信をもって言えるようになったのは、大学や専門学校で、一緒に絵本の勉強をしてきた学生たちが、小さいとき好きだった絵本の記憶を、鮮やかに甦らせ、語ってくれているからです。学生たちが「思い出の絵本」について書いたレポートは、以前「母の友」でも一部紹介しましたが(連載「子どもが絵本と出会うとき」1999年4~9月号)、今も、授業中に『ぐりとぐら』や『ひとまねこざる』を見て、「あー、これ、好きだった……」、「むかし、母に読んでもらった本です」と、幸せな子どものままの表情をうかべる学生たちが、大勢います。その顔は、どんなことばより雄弁に、幼いころ出あった、絵本との強い絆を物語っているように思えます。
やまぐちまさこ 1946年神奈川県生まれ。松岡享子主宰の松の実文庫で、子どもの本にかかわり、東京子ども図書館設立時に職員として参加。子どもと本の橋渡し役として活動を続けている。現在、学習院女子大学ほかで非常勤講師を務める。
*この続きは、本誌でどうぞ!
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2008年9月 8日 (月)
絵本作家のアトリエ・たむらしげるさん
好評連載「絵本作家のアトリエ」も、25回を迎えました。10月号でおたずねしたのは、たむらしげるさん。
コンピューターグラフィックスをはじめ、様々な画法を駆使して作品を生み出すたむらさんは、絵本のみならず、漫画やアニメーションの世界でも活躍しています。
多彩な一方で、静かで同じ香りの空気に満ちたたむら作品の秘密を、さぐりました。
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ドアを開けて部屋の中に入ったとき、すっと世界の色が変わったような気がした。その日降っていた雨のせいだろうか。あるいは、アトリエの主の穏やかで落ち着いた声の効果だろうか。少しだけ青みが増したような感じがした。その青さは、先ほど通り抜けた駅前の喧噪を忘れさせ、取材を前にざわざわと音を立てていた心を静める。
たむらさんのアトリエは、二階建ての一軒家だ(かつては自宅でもあった)。玄関から見えるのは、たくさんの本、そして、たむらさんが大好きな帽子。一階には大きなアップル社製のコンピューターが置いてあった。CG(コンピューターグラフィックス)作品はここで作成する。脇に本が積まれた階段を上ると、絵本作家スズキコージの「作品」が目に入る。二階はひと部屋。両脇に本棚が並ぶ。たむらさんがやはり大好きな水晶も置いてある。部屋の中には壁と柱の間にカラフルな”ロープ”がかかっていて、それは休憩用のハンモックだった。
この部屋の奥のほうに、色鉛筆や水彩で絵を描くときのための机がある。たむらさんはその机の前に腰かけ、ほほえみを浮かべながら、話をしてくれた。
緑と光と闇
1949年、たむらさんは東京の下町、蒲田で生まれた。最初の記憶である汽笛の音はそのころに聞いたものだ。兄と線路で遊んでいたら、電車を止めてしまい、運転手にしかられた思い出もある。しかし、小学校に上がる前に、生活は一変した。突如、引っ越し用の小さなトラックがやってきて、たむら少年を連れ去ったのだ。向かった先は八王子。「やけに緑ばかりのところに来ちゃったなあ、と思ったよ」。
*この続きは、本誌でどうぞ!
(写真・水野聖二)
9月 8, 2008 今月の“立ち読み” | Permalink
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2008年9月 2日 (火)
もっと聞きたい本音のはなし②
ふだんなかなかじっくり語り合うことができないけれど、お互いの気持ちをもう少しわかりあいたい――そんな思いで試みる、全4回の「本音で語る匿名座談会」。10月号、2回目は保育園の保育者編です。司会は同じく、大日向雅美さん。
匿名だからこそ、赤裸々に語られる保育者たちの思い。年々多様化する親や行政からの要望に、苦慮する保育者の実態が浮き彫りになっていきます。
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【座談会】保育園の保育者編:「保育園はサービス業?」
大日向雅美 近年、保育園の仕事の中で、保護者への対応が大きな比重を占めるようになりました。また「地域の子育て支援」ということで、園児の保護者だけではなく、地域の保護者と接する機会も今まで以上に増えてきていると思います。
保育園の役割が大きく転換している今、改めて保護者との関係づくりが、保育士の大切な役割・課題となっていると思います。
保護者と力を合わせて子どもを育てていこうという思いは、皆さん共通だと思います。そのためにも、今、皆さんが直面している課題から話し合いたい。例えば、最近のお母さん、困ったな、昔と変わったなということがありますか。そのあたりから、話を始めたいと思います。いかがでしょうか。
村山(仮名) 直接会話をするのが苦手な方が増えたように感じます。担任と会える人でも、連絡帳には苦情や要望を書いてくるのに、会ったときには言わない。保育者にメールでのやりとりを求めるお母さんも増えました。
一方で、朝と登園して駐車場で一時間ぐらい話をしていたり、迎えに来ても子どもを園庭で遊ばせているようなことが、ここ数年多くなってきています。
中田(仮名) うちも親御さんが朝も夕方も、園にいつまでもいます。やはり駐車場にいるんです。駐車場での怪我やトラブルも知らないうちに起きていることが多く、びっくりすることがあります。
古沢(仮名) 心を病んで自分の話を聞いてもらいたいというお母さんが増え、個人面談を年に一回ぐらいですがやっています。日中に電話をかけてくるお母さんもいて、そういう方は子どもにわっとぶつけてしまったりすることもあるので、2年前から、気になる方には園全体での対応をとっています。お母さんが心を病んでいるという理由で子どもを入園させることもあります。
山本(仮名) うちの園では以前、保護者が保育についての要望、クレームを保育園外の路上で話す姿が見られ、まずは親対応、親と信頼関係を築くことから始めるのが園の基本という時期があったそうです。
最近特徴的なのはやはりメールです。メールがもとになった親同士のトラブルの仲裁を、保育園がやらなければいけないということも起きています。
*この続きは、本誌でどうぞ。
9月 2, 2008 今月の“立ち読み” | Permalink
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2008年8月 8日 (金)
絵本作家のアトリエ・ユリー・シュルヴィッツさん
絵本作家のアトリエ、海外編の第2弾は、ユリー・シュルヴィッツさんです。
『よあけ』に代表される、静かで東洋的な作風が印象的なアメリカを代表する作家の1人を、ニューヨーク、グリニッチ・ヴィレッジに訪ねました。
精力的に新作を次々と発表するシュルヴィッツさんですが、日本でその素顔はほとんど知られていません。
本邦初ともいえる本インタビューには、東洋への関心、幼い頃の難民生活など、深い余韻を残すエピソード満載です。
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グリニッチ・ヴィレッジ、午後5時。かつて名だたる芸術家が集まり、今も小劇場やレストランが軒を連ねる地区。ジャズクラブの名門ブルーノートの隣、アトリエがあるというレンガ造りのビルの最上階を仰ぎながら、「どうかうまくいきますように」と念じる。
極端にシャイな人だとは聞いていた。作品は静謐で哲学的。取材決定後も、インタビュー場所は二転三転した。アトリエから出版社のオフィス、そして最終的には友人のアパートで。いやおうなしに緊張は高まる。エレベーターの中で人という字を何度も飲み込み、部屋のドアをノックする。
「ようこそ、はじめまして!」。
にこやかにドアを開けたのは、本人だった。黒のセーターにジーンズ姿。今年73歳とは思えない、若々しさだ。
「今新作に取りかかっていて、アトリエがひどい有様なんだ。本当に申し訳ない」。
そう言って頭をかいている。やわらかな笑顔。
「ウーリー(ユリーは正しくはこう発音します)と呼んでください」。
緊張が嘘のように消えて、なぜかまるで古くからの友人を訪ねたように懐かしい気持ちになる。とても不思議。でも、その謎はじきに解けた。
老子と太極拳
「棟方志功を知っている?」
テーブルに着くなり、ウーリーがそう言ったのだ。棟方といえば、厚い眼鏡がトレードマークの20世紀日本を代表する木版画家。
「本当にチャーミングですばらしい人だ」。
アメリカでの講演会で会ったことがあるという棟方のほかにも、北斎、歌麿、雪舟……日本や中国の画家の名前が次々と挙がる。一番好きな思想家は老子で、太極拳歴はなんと30年以上という東洋通。しかし、日本はもちろん中国にも行ったことはない。
*この続きは、本誌でどうぞ。
(写真・太田康男)
8月 8, 2008 今月の“立ち読み” | Permalink
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2008年8月 3日 (日)
もっと聞きたい本音のはなし①
「いったん、全部出してみよう」、と思いました。
保育者と母親。子どもを通してのお付き合いだからこそ、大切にしたい関係ですが、立場が違えば面と向かっては言いにくいこともあって、なかなか難しい。
お互い、本音ではどう思っているのでしょう? 心の中に抱えている気持ちがわかれば、もっと率直なコミュニケーションがとれるようになるかもしれません。
というわけで、「母の友」では9月号より4回にわたり、保育者と保護者それぞれが本音で語る匿名座談会を開催します。
母性問題を研究している大日向雅美さんを司会に迎え、まず1回目は幼稚園の保育者4人に集まっていただきました。
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[座談会] 幼稚園の保育者編:「今どきのお母さんは……?」
大日向雅美 まずはじめに、「今どきのお母さん」という言葉について、現場で感じていることをお互いに出し合いましょうか。
鈴木(仮名) お母さんが、子どもの言うことに流されることが多くなりました。「夕べ38度の熱があったんですが、今朝は下がっていて37度台になりました。子どもがどうしても幼稚園に行きたいというのでつれてきました」と言う方が一人や二人ではありません。子どもは、ひどい熱でなければ幼稚園に行きたいと言うものですが、登園してつらくなるのはお子さんですし、その後も長引きます。すぐそばで「熱があるんだったら休ませるのが当たり前だろう」と何気なくアドバイスをしてくれる人が周りにいないお母さんが多くなった気がしますね。
田中(仮名) 確かに咳き込んだ子を園に連れてくるような、十年前には考えられなかったようなお母さんもいます。しかし特別親が代わったとか”モンスターペアレント”が増えたという印象は持ちません。
最近の特徴だと思うのは、けじめをつけられないことです。また、子どもの気持ちを大事にすることを、少し勘違いしているようにも思います。子どもの気持ちを大事にするとは、子どもの言いなりになることではありません。幼い子どもが自分で健康管理ができるはずがないし、社会的なルールを知っているわけでもないからです。そこは親が大人の判断で「したくなくても、やらなければならないことがある」と子どもを指導する必要があるわけです。これがなかなかできない親が増えましたね。
佐藤(仮名) 同感です。お母さんたちは、この場でしかっていいものかどうかが判断できないところがあります。また、子どもの言動に流されてしまいがちです。一例ですが、入園したばかりの子どもたちが、帰りがけに園の若木を揺すっていました。子どもたちのそばにはお母さんたちが立ってみているのです。「そばにいるのに、なぜ止めないのかな」と思いながら、私が「木が枯れたりするからだめよ」と言って近づいていくと、お母さんたちが「さっきから言っているんですけど、やめてくれないんです」と訴えてきました。おそらくお母さんは、わが子だけだったらしかったかもしれません。でも友達がいると、そこまで言えないのです。けじめのつけられないお母さんが、すごく増えています。
*続きは、本誌で!
8月 3, 2008 今月の“立ち読み” | Permalink
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2008年7月 8日 (火)
絵本作家のアトリエ・赤羽末吉さん
『スーホの白い馬』や『つるにょうぼう』『かさじぞう』など、数々の昔話絵本の傑作を生み出した赤羽末吉さん。
惜しくも1990年に亡くなった赤羽さんの足跡を、ご遺族、また仕事をともにした編集者の話と赤羽さんが残した貴重な写真をもとに、たどります。
古いモノクロ写真の束。馬上の男が家畜を追う。家の前で子どもたちが笑い、祭りでは村人たちが生き生きと踊っている。
これらは64年前、中国とモンゴルの国境付近で撮られた。写る人々も、大半は亡くなっているだろう。
だが、ここに写し取られた風景と人々は、絵本『スーホの白い馬』の中で生き続け、世界じゅうの子どもたちに親しまれている。
この60数枚におよぶ写真は、絵本作家、赤羽末吉が撮影し、終戦時の混乱の中、命がけで日本に持ち帰ったものなのだ。
芸能にふれた幼年時代
赤羽末吉さんは、1910年に生まれ、1990年に亡くなった。現在は孫が住むアトリエ兼住居は、古都鎌倉の一角、丘の上に広がる静かな住宅地に立つ。
アトリエで、赤羽茂乃さんにお話を聞いた。茂乃さんは、赤羽さんの三男、研三さんと結婚、近所に住んだり同居したりと、十余年にわたり、赤羽さんの日々の暮らしを間近に見てきた人。茂乃さんの話を中心に、赤羽さんの生涯と絵本作りをたどる。
赤羽さんは東京の神田で生まれた。そのときの姓は「青田」。芝居や芸事の好きな一家で、幼いころから映画に連れていかれた。中学一年生で観た「ジークフリート」(1924年、ドイツ)の「けぶるような美しさ」に心を奪われ、そのことが大人になって絵本を描く間接的なきっかきになったと、後に語っている。
日本画家に師事したり、劇場に通いつめたりし、将来は画家か舞台装置家、あるいは小説家になろうと考えていた。
赤羽さんはなぜか両親については人に語らず、特に母親についてはだれにも話したことがない。茂乃さんは「逆に父は母親への想いを強く持ち続けていたのではないかと思うのです」と言う。絵本に描いた大地や雪のあたたかさ、美しさ、そして恐ろしさは、母親のイメージではなかったかと、茂乃さん、研三さんは推測する。
(写真下・西森聡)
*この続きは、本誌で!
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2008年7月 3日 (木)
あの日のこと、聞かせてください
8月号の特集は、「体験を受け継ぐ」ということ。
戦後63年。ますます薄れゆく戦争の記憶。自らは体験していないことにも、たしかに伝えていきたいことはあります。親として、私たちは何を、どのようにして受け継ぎ、わが子に伝えていけるのか──。
今月は、4つの記事を通して、このテーマについて考えます。
[座談会]子どもに「戦争」、伝えられますか
[あの日のこと、聞かせてください]お目にかかれる場所は靖国だけと思っていました
[新連載]戦争は知らないけれど① 落合由利子
[インタビュー]ぼくが「受けとった」もの──映画「火垂るの墓」を監督して 日向寺太郎
ブログでは、の小栗竹子さんの語る、戦争体験をちょっとだけご紹介します。
[あの日のこと、聞かせてください]
お目にかかれる場所は靖国だけと思っていました 小栗竹子(1919年生まれ)
戦争は、戦地に行った人ばかりでなく、残された家族にも深い傷跡を残します。小栗竹子さんの夫は、まだ見ぬ子を残して出征し、帰らぬ人となりました。
小栗竹子さんは、兄と弟にはさまれた六人きょうだいの真ん中に生まれ、東京都文京区駒込にある庭園「六義園」にほど近い場所で育った。
竹子さんが、東京府立第二高等女学校(現在の都立竹早高校)に在学中の1937(昭和12)年、近衛文麿(第一次)内閣が成立し、7月には蘆溝橋事件が勃発。日中戦争(支那事変)が始まっている。その翌年4月には国家総動員法が公布され、戦争に向けた態勢が確立した。そうした社会情勢の中、竹子さんは、どのような女学校生活を送ったのだろうか。
「高等女学校では、英語、国語、歴史、道徳、理科に加え、和裁などの時間もありました。女学校の上に2年間の補修科があり、そこではお料理などもしました。女学校を卒業すると、多くの人がお稽古事をして嫁に行くというのが普通でした。卒業後は、お裁縫、お琴、お茶、お花、お料理教室、女学校時代から続けている短歌を作って過ごしていました」。
当時の竹子さんは社会情勢への関心はあったものの、伝えられる情報の偏りには気がつかなかったという。
「兄がいたので、家に本がたくさんあり私は本を読みましたが、姉妹だけの人は、あまり新聞や本を読んでいないみたいでした。女性には参政権もありませんし、政治について語るようなことはありませんでした。日中戦争が始まって、多少きな臭い気はしていましたが、まだ国内は割合に穏やかでした。
太平洋戦争が始まる少し前までは、内地に暮らす人々は、映画を見たり食事をしたりというゆとりはあったのです。
映画を見に行くと、始まる前には必ず国策的なニュースが放映され、そこで少し戦争の雰囲気を味わうくらいでした。もちろん、日中戦争のために中国へ出征していった人もいたのですが、それほど多くはなかったです。近所の方が、一度召集されて除隊したんですが、また召集されて中国へ行ったぐらいです」。
*この続きは、本誌をどうぞ。
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2008年6月 5日 (木)
絵本作家のアトリエ・カズコ・G・ストーンさん
『サラダとまほうのおみせ』をはじめとする「やなぎむらのおはなし」シリーズで、子どもに大人気のカズコ・G・ストーンさん。
色鉛筆の繊細なタッチは、日本的……でも、登場する虫たちの名前は、どこか異国の香りがします。
そうなのです、カズコさんが住んでいるのはアメリカ・ニューヨーク!
7月号の「絵本作家のアトリエ」では、うっとり見とれるほどすてきなニューヨークのアトリエにお邪魔しました。
お名前から外国に住んでいる方とは想像していたけれど、てっきり自然の豊かな田舎町だと思っていました。それが、アメリカはニューヨーク、世界一の大都会、マンハッタンだなんて。
かつてはさびれた倉庫街、今は高級ブティックやレストランのひしめくノーホー地区。アスター・プレイス駅で地下鉄を降り、1階に植木屋さんがある8階建てアパートの最上階を目指します。
古めかしいエレベーターを降りると目の前には巨大な鉄の扉。ベルを押すと、扉が重々しく開きました。
「ようこそ。寒かったでしょう」。
中からさしこんできたやわらかな光と、出迎える主の明るい笑顔が、零下の外気にさらされた体に心地よくしみこみます。カズコ・G・ストーンさんは、ここに34年間暮らしているのです。
思わず仰ぎ見るほど高い天井と、年代を重ねて趣のある床。かつて芸術家たちが古い倉庫を制作スペースに改造した、ロフトと呼ばれる住宅兼アトリエです。もともとは大きな1つのスペース。縦に長く、玄関からダイニングまで15メートルはありそう。
落ち着いた雰囲気の中にもニューヨーカーらしいセンスが光るリビングダイニングの窓際には、たくさんの植木が並べられ、葉の緑が美しい陰影をつくっています。
「子どもが小さいころは屋上にガーデンがあったから、何でも植えていたのよね。夏にはホタルが来るし、野菜を植えると、どこからともなくすぐイモムシが現れるしね。でも、毎日の水遣りが必須で、どこにもいけなかった。いつも屋上にいて、手入れしていたの」。
*続きは、本誌をどうぞ!
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2008年6月 2日 (月)
「夫婦」は過酷な「鉄人レース」
バラ色の結婚生活も初めのうち。やがて夢はさめ、相手の知らなかった面に気づき、現実にもまれて、夫婦関係は次第に異なる様相を……
ここまで読んで「そう、そうなのよ!」と頷いたアナタ。7月号の特集に、その解決策があります。
題して「『夫婦』は過酷な『鉄人レース』」!!
一人の相手を一生愛し続けるということは、過酷な道のりであり、それは水泳・自転車・持久走と、体力のいる競技を一度に行う鉄人レース(トライアスロン)にも比すべきもの。これを乗り切るには、今、亭主がかわらねばならない!
そう主張するのが、日本一ゆるい組織「全国亭主関白協会」会長の天野周一さんです。目からうろこの「新・亭主関白宣言」を、ご夫婦そろってどうぞ!
男たちよ、観念しよう――「新! 亭主関白」が考える正しい夫婦のあり方
天野周一
地獄の淵からの生還
全国亭主関白協会とはどんな団体なのでしょう。
天野 いきさつからお話ししましょう。設立は1999年です。要するに私自身が九州男児のはしくれで、「風呂」「飯」「寝る」しかしゃべらない亭主で、まあ、親もそうでしたから、私もそれでいいと考えて、ずっと来たわけですね。
そのころ、私の友人知人が立て続けに4人ほど、妻に三行半をつきつけられて離婚するという現象が起こりました。そして、離婚された理由がわからないと言うわけです。まじめに働いた、お金もきちんと入れた、何もしていないのにと。で、ぼくがそのことを家に帰って妻に話したところ、「次はあなたの番よ」と、こういわれました。そのとき初めて、自分が妻に嫌われているということがわかったわけです。
その前まではおつれあいの気持ちを考えたことはなかったんですか。
天野 もう仕事仕事で追われて、本当に家庭を顧みなかった、恥ずかしながら。だから妻がどういうことを考えているのかなんて考えない。会話というものがなくなっていたし、家庭が冷え冷えとしていました。
それは感じていたんですね?
天野 感じていた。自身をもって言うけれど(笑)。原因はわからない。だってぼくは一生懸命働いていたし。だから妻との夫婦げんかには言い負かして勝とうとしていました。もちろん「ありがとう」の一言も言ったことはないし、「ごめんなさい」も言ったことがなかったんです。
すると、ご著書には割りと軽く書いていらっしゃいますが、かなり深刻な……。
天野 それはもう。”自立ノート”という、パンツは引き出しのどこにあるとか、要するに家庭内のこまごましたことをびっしり書いてある、あなたもいずれ一人で暮らすことになるから、みたいなのを渡されましたから。着々と離婚を準備されていたのに気づかなかったわけですね。
*この続きは、本誌でぜひ!
天野周一(あまのしゅういち)
1952年福岡県生まれ。福岡県内で約70万部を発行する女性向けフリーマガジン「リセット」のプロデューサー、情報誌「福岡モン」編集長、作家。「リセット」に愛妻との日常を切り取ったエッセー「全国亭主関白協会 回覧板」を連載し、人気を呼ぶ。「亭主が変われば日本が変わる!」」と、世の男たちに「カンパニスト宣言(関白+feministの造語)を提唱、様々なメディアで全亭協への入会を呼びかけている。著書に『ごめん、ウソついてた。』『妻害対策危機管理マニュ・あれ?!』(以上、リセット出版刊)、『妻の顔は通知表』(講談社刊)などがある。 全国亭主関白協会 http://www.zenteikyou.com
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2008年5月12日 (月)
絵本作家のアトリエ・中川宗弥さん
『はじめてのゆき』、『ありこのおつかい』など、白地を生かした適確な構図と描写で、子どもの本に独自の世界観を創りだしてきた画家、中川宗弥さん。
6月号の「絵本作家のアトリエ」(改め「美術者の画室」)では、中川さんの「画室」を大公開!
お連れ合い、中川李枝子さんとの出会いはもちろん、独特な画法に隠された思いなど、貴重なエピソードが満載です。
「まあ、まずはこちらで」と、にこやかに居間に案内してくださった中川さん。向かい合って座ると真剣な顔になり、こちらに疑問をぶつけてきました。
「『アトリエ』という言葉はいかがなものでしょうか。僕は『画室』と呼んでいるんです。『アトリエ』というのは西洋での呼称ですよね。
僕は自分を『絵本作家』だとも思っていない。絵本だけに限定されず、とにかく絵を描いてきたという思いがあるので……」。
しかし話が少年時代のことにおよぶと、とたんに子どものような笑顔に。中川さんは1932年、韓国の京城(現在のソウル)で生まれました。韓国が日本に併合されていた時代です。松山出身の両親は、韓国に渡り穀物商をしていました。
京城での日々は、中川少年に様々な自然や科学を体験させてくれたようです。
「京城には、南山という、緑におおわれたとてもきれいな山があるのです。僕はそのふもとで生まれ育ったものだから、小学校に通うかたわら、毎日のように、友達と山で野ネズミに会い、ウサギを追いかけ、高麗キジを捕まえようとして茂みにつっこんだり。
山には20メートルくらいある岩があって、したからこんこんと泉が湧き、そこではいつ行ってもおじいさんが2人、じっと瞑想していた。
南山のふもとには、総督府を改築した科学館があって、そこにもよく行きました。クジラの剥製がぶら下がり、『家の作り方』という展示や自分で歯車を動かせる模型もあったりして、楽しかった。子どもで常連だから入場もただ。ミイラもあったんだけど、そこだけはいつも走って通り抜けました(笑)」。
*この続きは、本誌でどうぞ。
(写真・石川直樹)
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2008年4月29日 (火)
園バスは走る
私立幼稚園を中心に、多くの園で使われている、通園用バス、通称「園バス」。
家の近所の待合所まで送りさえすれば安心して通園させられる、忙しい親にとっては非常に便利なものですが、親が園まで足を運ばなくてもすんでしまうため、コミュニケーション不足を生む可能性も指摘されています。
6月号では、園バス利用の実態を、体験ルポや現場インタビューなどから、徹底解剖します!
園バス通園の舞台裏
園バスは今や、給食・延長保育とともに、園児獲得の”3種の神器”と言われる存在に。でもその利用にあたっては、注意すべき点も、意外な苦労もあるようです。お母さんや園の先生の声から、その実態をのぞいてみましょう。
園バスといえば、私立?
日本における園バス発祥のいきさつは不明ですが、戦後の高度経済成長期以降、交通量の増加、園児数の増加にともなって普及してきました。
現在、私立幼稚園では実に80パーセントが園バス送迎を実施、半数を超える園児が利用しています。対する公立ではバス実施園は約14パーセント、利用園児も10パーセントほど。
6割程度の園児がバスを利用しているある地方の私立幼稚園の先生は、「利用者は時代とともに増えてきた」と言います。少子化とドーナツ化現象で近隣に子どもが減ったことに加え、園選びで距離より保育方針の好みを優先させる人が増えたからです。私立にバス実施園が多いのもそのためです。
「最初に幼稚園ありきでした」というお母さんの声も。徒歩圏内にも公立幼稚園はあるけれど、園バスがあったので保育方針の気に入っている遠方の私立幼稚園に決めたのだとか。園バスの存在は、入園先候補としての園の選択肢を広げてもいるようです。
*この続きは、本誌で!
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2008年4月11日 (金)
現代美術で考える、ぼくらの憲法9条。
5月号には、伊藤真さんのとじ込み付録「『憲法生活』してみませんか」に加えて、もう一つ、憲法関連の注目記事があります。
「現代美術で考える、ぼくらの憲法9条。」
アメリカ・ニューヨーク在住の28歳の日本人キュレーターによる、憲法9条をテーマとした現代美術の展覧会の様子を、現地レポートでご紹介しています。
戦争を知らず、憲法9条や平和を当たり前に享受してきた世代のアーティストたちが、どのように9条をとらえたのか──。一つの挑戦の形が、ここにあります。
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記事の詳しい内容については、本誌をご覧ください。
なお、本展覧会は8月に東京・代官山のヒルサイドフォーラムでの巡回を予定しています。開催に向けて、ボランティアや寄付を募集しています。関心のある方は、実行委員長でキュレーターの渡辺真也さんのホームページをご覧ください。
アトミック・サンシャイン:9条と日本 実行委員会
http://spikyart.org/atomicsunshine/indexj.html
渡辺真也さんのブログ(最新情報が見られます)
http://blog.goo.ne.jp/spikyartshinya
また、ニューヨークで開催された展示のオープニングの模様を映したビデオが、以下のサイトで見られます。ぜひご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=_HnLikFawaQ
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2008年4月 9日 (水)
絵本作家のアトリエ・五味太郎さん
『きんぎょがにげた』『みんなうんち』など、あっと驚く、自由なアイデアで子どもたちに長く愛される絵本を生み出している五味太郎さん。
5月号の「絵本作家のアトリエ」で訪れたアトリエは、シャープでかっこいいスペースでした。そして、そのお話もまさに五味ワールド炸裂!
絵本にこめた「野望」について、たっぷりうかがうことができました。
謙虚で哲学者のような人だ、と思った。
もっとも話を始めた最初のうちは謙虚という言葉はまるで頭に浮かばなかった。初対面なのに「おまえ」で呼ばれるし、ときどき机の上に足を乗せることもある。むしろ、謙虚の反対。また、その風貌も哲学者のイメージからは遠い。が――。
新宿から私鉄に乗って10分ほど。住宅街をうねるように延びる道を進むと、五味太郎さんの自宅兼アトリエが現れた。ドアをあけるとモダンな室内が広がる。階段脇には海外の写真集や絵画の作品集がずらりと並んでいた。
午後の3時過ぎ。ねぼけまなこの五味さんが迎えてくれる。「わるいね、いつも寝るのが朝だから、これくらいの時間に起きるんだ」。低くて渋みのある声だ。
アトリエは整然としていて、まるで、デザイナーのオフィスのようだった。オーディオからは五味さんの好きなジャズが流れている。本棚に並ぶ膨大の自作の絵本群は圧巻だ。
自身でコーヒーをいれ、出してくれた。その温かさが心地よい。一口のんで、思わず「ああ」とため息をもらすと「おまえ、いきなりくつろいでんじゃねえよ」。
*この続きは、本誌で!
(写真・山本尚明)
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2008年4月 6日 (日)
おねしょ、しちゃった!
トイレに行った夢を見て、まさか……! と目覚めたらやっぱり……。遠い昔、そんな苦い思い出をお持ちの方も多いのでは?
5月号の特集は、「おねしょ」です。わが子のおねしょ、気になりますね。新学期が始まったばかりとはいえ、「夏にはお泊まり保育もあるから、なんとかしなくちゃ」と気をもむ気持ちもわかります。でも、5歳でも、20パーセントくらいの子が、ときどきおねしょをするそうですし、坂本龍馬は12歳まで、斉藤茂吉は中学生までしていたのだとか。
おねしょって、いったいどうして起こるのでしょう? 特集ではしくみから対処法まで、わかりやすくお伝えします!
「おねしょ博士」帆足英一さんに聞く
子どものおねしょは、珍しいものではありません。今では、体の発達と関係があるということも、かなりの人が知っているようです。でも、体の発達って、どのようなことなのでしょうか。そもそも、どうしておねしょをするのでしょう? そんな疑問をおねしょ博士と呼ばれる帆足英一さん(ほあし子どものこころクリニック院長)にぶつけてみました。
どうしておねしょをしてしまうのですか
それを説明する前に、まずは、おしっこの仕組みからお話ししましょう。人は、食べ物や酸素を体に取り入れて、いつも新陳代謝をくり返しています。食べ物や飲み物から得た水分のうち余分なものは、腎臓に集められて尿となり、膀胱へと運ばれていきます。膀胱におしっこがたまってくると、その情報が脊髄神経を通って延髄、そして大脳皮質に伝わり、おしっこがしたいという尿意を感じるのです。
幼いうちは、尿意を感じる力が弱いので、気がついたときにはすでに膀胱が一杯になっていて、お漏らししてしまうこともよくあります。
人の体の中では、尿は24時間作り続けられていますので、寝ている間も作られているわけです。
*この続きは、本誌でどうぞ。
4月 6, 2008 今月の“立ち読み” | Permalink
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2008年3月28日 (金)
「憲法生活」してみませんか
東京では今、桜が満開です! 子どもと一緒にお散歩するのがうれしい季節になりました。
「母の友」では、早くも5月号の見本が出来上がりました。書店店頭には、4月3日ごろ並ぶ予定です。
4月号に引き続き、5月号にも特別付録がついています。この付録が、スゴイんです!
その名も[とじ込み付録] 「憲法生活」してみませんかーー伊藤真が語る、憲法の使い方」。
昨年度反響を呼んだ、連載「KENPO TIMES」の伊藤真さんのお話全11回を再録し、新たに行った伊藤さんインタビュー「ぼくが憲法を好きになったわけ」とともにまとめた、切り離し式の小冊子です。
日本国憲法の根底に流れる精神をわかりやすくといた伊藤さんの話は、何度読んでも感動を覚えます。
5月といえば、憲法記念日(5月3日)。本誌と切り離せばコンパクトに持ち歩けます。各種勉強会でも役立つこと間違いなし!
ぜひ多くの方に手にとっていただきたいと思います。
「憲法生活」してみませんか
ーー伊藤真が語る、憲法の使い方
2007年度の連載「KENPO TIMES 伊藤真さんに聞く」の再掲載に、新たなインタビューを加えたものです。
目 次
その1 憲法を使いこなそう!
その2 多数決でもまちがう?
その3 憲法と法律は、役割がちがう
その4 明治憲法は「上からの」憲法
その5 「おしつけ」は立場のちがい?
その6 人はみな同じ、人はみなちがう
その7 戦争し続ける国から戦争しない国へ
その8 愛される政治をすればいい
その9 日本国憲法は根本治療型
その10 軍隊は国民を守らない
その11 憲法は理想だから意味がある
伊藤真さんインタビュー ぼくが憲法を好きになったわけ(語りおろし)
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2008年3月12日 (水)
絵本作家のアトリエ・広野多珂子さん
好評連載「絵本作家のアトリエ」は、08年度も続きます。ページ数も1ページ増、今年も充実のラインナップ! どうぞご期待ください。
さて、今年度のトップバッターは、「こどものとも」でおなじみの「ねぼすけスーザ」シリーズや美しい草花の本が人気の、広野多珂子さん。「かがくのとも」4月号『ハートのはっぱ かたばみ』の著者でもあります。
「バラの咲いている季節にぜひどうぞ」と言われて、千葉県にある自宅兼アトリエを訪ねたのですが、庭→リビング(お茶とケーキ付き)→仕事場→散歩道と、広野さんの日常体験ツアーのような不思議な取材となりました。
ブログでは、冒頭の「庭編」をちょっとだけご紹介します。
あれは夢だったのかな。広野多珂子さんを訪ねた日のことを思い出すと、なぜかそんな思いにとらわれる。
京成線の最寄り駅からタクシーに乗り、指定された場所で降りると、エプロン姿の広野さんが満面の笑みで手を振っていた。
まず案内してくれたのは、玄関前に広がる庭。特別広くはないけれど、細かなところまで手入れが行き届いていて、素朴ですがすがしい。よく見ると、明らかに植木とわかるものと、そうでない草が混在している。
「かわいそうだから、雑草もそのまま育てているんです。きれいでしょう」。
チカラシバやクローバー、あ、カタバミも。春から夏には植木も雑草も花盛り。鮮やかな色を見せるという。
「前に住んでいた方がきれいにしてくださっていたから、それを利用して、自分なりにあっち入れたりこっちを植え替えたり。長い間、コンクリートのお家に住んでいたから、こういうところで幸せです」。
*この続きは、本誌で。
(写真・石川直樹)
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2008年3月 6日 (木)
子どもの食事はむずかしくない
なんといっても、まずは食べること。
4月号の特集「子どもの食事はむずかしくない」では、動物としての人間が本来持っているシンプルな力に立ち返って、「食事」について考えます。
・子どもの野菜嫌い、どうしたらなおるかしら
・栄養のバランスを考えるのが大変
・朝は時間がないのでパン食です
・子どもの食が細くて心配
・ご飯よりおかずをしっかり食べなくちゃ
こんな思いをひとつでも抱いているあなたに、目からウロコのお話です!
お子さんをお持ちのお母さんはもちろん、不規則な生活になりがちな独身女性(私のことですが)も要チェック、ですぞ。
子どもの姿を見てみよう
かつて、日本の母親は、食事を作るのに、料理本を読んだり、わざわざ子ども用に作り分けたりしなかったではないか──と言うのは、1995年、『粗食のすすめ』(新潮文庫)を著し、大きな反響を呼んだ管理栄養士の幕内秀夫さん。子どもに何を、どう食べさせたらよいのか。幕内さんは、子どものありのままの姿が教えてくれると語ります。
「野菜ぎらい」は偏食ではない 幕内秀夫
子どもはピーマンがきらいですね。幼児なら、おそらく90パーセント以上の子どもがきらいと言うでしょう。ニンジンやホウレン草もきらい。おとなはこれを偏食であると考え、何とか食べさせようと、細かく刻んで肉に混ぜ込んだり、いろいろな調理法を工夫します。
しかし、考えてみてください。ある食べ物を、10人のうち9人がきらいであるとき、きらいでない1人が正常で、9人は「偏食」なのでしょうか?
子どもの好みをずうっと見ていくと、実はそれぞれ特徴があります。
きらいなのは、ピーマン、セロリ、ネギ、パセリ、ナス……など、青いもの、においの強いものです。赤や黄色や白でにおいの少ないカボチャやサツマイモ、ジャガイモは好きですね。
動物が何かを食べるときに、一番大事なのは安全なものであることですが、最大の目的は空腹を満たして必要な栄養をとることです。子どもはそれを知っています。そして、生きるために優先すべきものから選んで食べる、それを自分の目と鼻と口で確認しているのです。
*この続きは、本誌でどうぞ。
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2008年2月 8日 (金)
絵本作家のアトリエ・あべ弘士さん
㋐マークの前掛けの持ち主、誰だかわかりましたか? そうです、『どうぶつえんガイド』や『あらしのよるに』で、生きた動物のおもしろさを伸びやかに描く あべ弘士さんです!
3月号の「絵本作家のアトリエ」では、北海道旭川市にあるあべさんのアトリエを訪ね、お話をうかがいました。
異色の経歴を持つあべさんの、笑いと驚きのつまった人間ドラマです。
北海道・旭川空港に到着し、地図を探していると、「動物園ですか?」と尋ねられた。そうなのだ、今旭川といえば、全国屈指の人気スポットとなった旭山動物園。しかしその創成期に、一人の人気絵本作家がかかわっていたことは以外と知られていない。
旭川市中心部から車で十分ほどのところに、あべ弘士さんのアトリエはあった。一歩入ると、思わず息をのむ光景が広がる。ログハウス調の室内正面には大きな窓。外には美しい林と草むらとオサラッペ川。
「すばらしいでしょう。アイヌ語で、河口に葦の茂れる川というんだけど。これがまた、冬には真っ白になって。完璧な白。エゾリスとかキタキツネとかクロテンとかちょろちょろするんだ」。
振り向けば、ストーブ。
「自然の暖かさがわーっと来ていいんだよね。鋳物そのものが温かいから、火を消してもずっと暖かい」。
静かな北海道の時間がゆったりと流れる。
土台づくり
しかし、1948年生まれのあべ弘士さん、生粋の旭川っ子とはいえ、最初からこんな生活をしていたわけでは、もちろんない。幼いころから絵が好きで、「絵描きはあこがれだった」というのに、浪人生活を経て21歳で就職したのは、親戚のおじさんの鉄工所だった。
(この続きは、本誌でどうぞ。)
写真・吉原朱美
2月 8, 2008 今月の“立ち読み” | Permalink
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2008年2月 5日 (火)
「七歳」の不思議
朝、集団登校をする小学生の列に出会って、驚くことがあります。それは、先頭 を歩く高学年生と、後に続く低学年の子どもの体の大きさの違い。ランドセルに背 負われているみたいな1年生を見るにつけ、「この子と年長さんとの間にはいった いどんな違いが?」と、なんだか心配になってしまいます。
でも調べてみると、古今東西小学校への入学は6、7歳が定番。「学校に入る」 ということは、この時期の子どもに必要かつ適切なステップのようなのです。
なぜ「7歳」なのか? そして子どもはどのようにして新しい環境を受け入れていくのでしょう。
3月号の特集は「七歳」の不思議。発達上の変化と、現場の先生たちのまなざしから、親として、この時期のわが子を見守るヒントが見えてきます。
卒園を控えたお子さんをお持ちの方はもちろん、園や小学校の先生にも役立つポイントがたくさん詰まっています!
2月 5, 2008 今月の“立ち読み” | Permalink
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2008年1月22日 (火)
次回の「絵本作家のアトリエ」はーー
好評連載、「絵本作家のアトリエ」。
次号に登場するのは、この人です! →→→→→
「これをしめると仕事モードに入る」という人気画家のもとを訪ね、楽しいお話をたくさんうかがいました。
ちょっと気が早いですが、2月1日発行の3月号を、お楽しみに。
1月 22, 2008 今月の“立ち読み” | Permalink
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2007年12月27日 (木)
絵本作家のアトリエ・松岡達英さん
2月号の「絵本作家のアトリエ」は、『あまがえるりょこうしゃ』や『かぶとむしはどこ?』など、虫や動物、自然の風景を透明感のある絵で描く松岡達英さん。
新潟県中越地震の爪痕残る、新潟県川口町にあるアトリエを訪ね、さまざまなお話をうかがいました。
待ち合わせ場所は駅だった。平日午後の越後川口駅に人気は少ない。
改札を抜けると、「やあ、どうも」と松岡さんがあいさつしてくれる。「ここから車でね、ちょっと、あるんだ」。
駐車場へ向かい、自動車の扉を開けた松岡さんが、突然、線路沿いの草むらのほうへ歩き出した。む? なんだなんだ?
「ほら、おっきなクモがいる」。
本当だ。
まったく気づかなかった。
「おお、こんなに立派な巣を作ってるよ」。
駅前の商店街をすぎ、車は山道を登っていく。
初秋の光に照らされた川口町の風景は穏やかだ。
3年前、ここで巨大な地震(新潟県中越地震)があったなんて……。
「一見、信じられないでしょ?」。
同乗していたお連れあいの紀さんが言う。
「でも、忘れないでください。傷は癒えてはいないんですよ」。
小学校の周りには今も仮設住宅がある。自宅をなくした人たちの暮らしは依然厳しい。
ふと見ると、今走っている道路のアスファルトが真新しいことに気づいた。
地震の後に張り替えられたものだという。
木の質感が美しい松岡さんのアトリエが見えてきた。実は松岡さんの自宅は神奈川県の鎌倉にある。
だが、七年前から、4月から11月まで、ここで暮らすようになった。
故郷にも近く、自然に囲まれたこの町は、自然科学の絵本を得意とする松岡さんにとって、理想的な環境なのだ。
(続きは、本誌で!)
写真・野川かさね
12月 27, 2007 今月の“立ち読み” | Permalink
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2007年12月24日 (月)
答えは子どもの中、お母さんの中に
世はちょっとした「子育てブーム」。育児雑誌やインターネットなど、情報があふれる時代になりました。それなのに、子育ての悩みや不安は減るどころか、追い詰められている人が増えているような気がします。
「母の友」では、ことあるごとに子育ての本当の楽しさ、子どもが幼いときだからこその親子の成長を考えたいと、さまざまな方にお話をうかがってきました。
2月号の特集でお届けする「答えは子どもの中、お母さんの中に」も、子育てまっさかりのお母さん方にぜひ読んでいただきたいインタビューです。
渡辺範子さんは、大阪府河内長野市で長年子どもたちを見てきた、保育園のベテラン園長です。
最近、特に落ち着きのない子どもが増えたと感じるといいます。それは、大人たちに余裕がなくなり、子どもを十把一絡げに扱う情報に追い詰められているからではないかーー。
「お母さんたちを、ほっとさせてあげたい」というのが一番の願い、という渡辺さんのお話、ゆったり落ち着いた気持ちでぜひ読んでください。
答えは子どもの中、お母さんの中に 渡辺範子
まずは、子どもを見て
今のお母さんたちは、「この子を遅れさせてはならない」とか「私は完璧な親にならなければ」とか、いろいろなものに縛られているように思います。
そしていつの間にか「ハヤク」「モット」「自分にとって都合のいい子」が、考えの中心になっている。
もっと、子どもと一緒にいることを楽しんで欲しいんです。
私は、「子どもは素晴らしい」ということを語り出したら止まらない。
子どもたちと接していると毎日、そう感じさせてくれる発見があります。
お母さんも、子どもと一緒にいるときは、携帯電話をやめて子どもを見守って欲しい。
必ず、何か発見できます。
子育てに行きづまり、様々に思い悩んでどうしたらいいかわからなくなっても、まずは落ち着いて、子どもを見てください。
どうしたらいいのか、その答えは全て、子どもの中、そしてお母さんの中にあります。
(この続きは、本誌でどうぞ!)
写真・HIRAROCK
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2007年12月 8日 (土)
学ぼう!江戸の「いい加減」
♪てんてけてけてけ……
ええ、毎度ばかばかしいお話でお時間を頂戴いたします。
いやはや、どうにもこうにも、せちがらい世の中になりましたなあ。戦争のあおりで石油だけかと思ったら食品の値段も上がりはじめちゃったし、テレビをつければ暗いニュースばっかり。
それに、なんなんでしょうね、毎日のこのバタバタした感じは。科学は進歩してるってえのに、暮らしはますます忙しくなっている ようじゃありませんか。なんだか、おかしい。昔はこんなじゃなかったのになあ。
うん? 待てよ、でも、昔はどんなふうに暮らしてたんだ?
というわけで、1月号の特集は、ずばり「江戸」でございます。世はちょっとした江戸ブーム。江戸の庶民がどんな暮らしをしていたか、それがまあ、調べてみたらびっくり。みんな、なんとも「いい加減」なもんで。
え? なに? いい加減だなんて、不謹慎な? いや、ちょっと待ってくださいよ。いい加減って、もともとは良い意味の言葉なんでございますよ。加減がいい。つまりは、ちょうどよいくらい、ということで。
現代の私たちこそ学びたい、肩がこらないのに考えさせられる、江戸の知恵をご紹介します。
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2007年11月 8日 (木)
アニメと絵本のだいじな話・高畑勲さんインタビュー
子どもには絵本、と言うけれど、アニメだって優れた作品がたくさんあるのに、一体何が違うのかしら? と思っている方は多いことと思います。とくに近年、ファンタジー小説や絵本を原作とした映画が大ヒット。ますます両者が近づいているような。
12月号では、スタジオジブリのアニメーション映画監督、高畑勲さんへのロングインタビューを敢行しました。日本はもちろん、世界のアニメーションをリードするスタジオジブリの監督として、「火垂るの墓」や「おもひでぽろぽろ」、「平成狸合戦ぽんぽこ」などの名作を生み出してきた高畑さんが、今抱く問題点とは? ジブリアニメファン必読!!
ブログでは、夏の終わりの取材裏話をご紹介します。
今、何が一番大切なのか。深い経験と洞察から生まれた問題意識を、映画を通して真正面から伝えようとしているひと――それが高畑勲さんの印象でした。
事前にお送りしていた質問事項を眺めて「非常に重要かつ難しい問題ですね」と、言ったかと思うと、一気に話し始められました。日本のアニメーションの成功と問題、絵本とアニメーションの決定的違いなどなど、アニメを観る側、絵本を作る側にいる者として、目からうろこの指摘のオンパレード。一見辛らつと思える批判も、確かな経験と揺ぎない信念に裏打ちされていて、ぐいぐい引き込まれます。「いやあ、とっちらかっちゃってすみません。仕切りなおしますか?」と頭をかく高畑さん。
気がつくとインタビューは3時間を超えています。雑誌の記事にしておくにはもったいないほどの濃密な内容。「本当にまとめられるだろうか?」と一瞬ためらいましたが、なぜか大丈夫だな、と思えたのは、やはりお話の根底にある線が太くてまっすぐだったから。アニメーションを知り尽くした高畑さんだから語れた「アニメと絵本のだいじな話」、12月号をぜひご覧ください!
(写真・石川直樹)
【耳寄り情報】
2008年5月まで、三鷹の森ジブリ美術館(東京都武蔵野市)で、絵本『3びきのくま』をテーマとした特別展示「3びきのくま展」を開催中。
巨大なダイニング、3匹のクマの等身大(?)像に加え、ロシアの森も再現しています。絵本の中に入ったような、体験型展覧会! ロシアのアニメーション作家、ノルシュテインによる『3びきのくま』ロシア語朗読も聴くことができます。
詳しくは、三鷹の森ジブリ美術館(電話・0570-055777 http://www.ghibli-museum.jp/) までどうぞ。
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2007年11月 6日 (火)
絵本作家のアトリエ・垂石眞子さん
12月号に登場するのは、『ぼくびょうきじゃないよ』や『サンタさんからきたてがみ』など、やさしいタッチで描かれる動物たちの絵でおなじみの、垂石眞子さんです。
あたたかな動物の世界を描いている垂石さんですが、20代のころ惹かれていたのは、それとは違った勇ましくも激しい世界だったようです。
アトリエを訪ね、たっぷりお話を伺いました。
「私のアトリエ、とっても小さいし、特におもしろいものもないけど、それでもいいの?」と垂石さんが電話で言うのです。
いやいや、ぜひお邪魔させてください。
「じゃ、まず自宅に来てくれますか? インタビューはそこでしましょう。アトリエは歩いて十五分くらいの場所にあるのだけれど、そこに向かう途中で見せたいものがあるから」。
見せたいもの? なんだろうと思いながら、東京は新宿から電車に乗り込みました。西へ向かうこと約1時間。
駅前でタクシーをひろって、静かな住宅街へと向かいます。
「いらっしゃい!」。
呼び鈴を押すと、垂石さんが元気な声でドアを開けてくれました。
クロヒョウ時代
垂石眞子さんは1952年、神奈川県の寒川町で生まれました。
しかし、2歳のとき、母親のぜんそくが悪化し、療養のために、祖母の住む茅ヶ崎に転居、以来、この地で育つことになりました。
周辺には海も林もある自然に恵まれた環境で、幼いころはずっと外で遊んでいたそうです。
「男の子の友達が多かったから、チャンバラ遊びも随分しましたよ。そのころの私のあだ名がクロヒョウ(笑)。真っ黒に日焼けしてて、目がギラギラしてたもんだから」。
(写真・HIRAROCK)
*この続きは、本誌でどうぞ。
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2007年11月 1日 (木)
海外に暮らす
雑誌の編集とは、つねに先の季節のことを考える仕事。3カ月ほど先の号をつくる毎日に追われていると、一体今が何月なのか、わからなくなってくるものです。今日から11月なのだ、と気がついても、なんだかピンときません。これも職業病と言うのでしょうか。
さて、本日配本になった最新号、12月号の特集は、「海外に暮らす」です。
外国を旅行で訪れたり留学するのと、生活の場をすっかり外国に移すのとでは、自分の気持ちもまわりの受け入れ方もずいぶん違うことでしょう。さまざまないきさつから、日本を遠く離れた海外(スウェーデン、オーストラリア、ケニア)で生活を始め、子育てをしている3人の女性たちによる、現地からのレポートをお届けします。
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2007年10月10日 (水)
絵本作家のアトリエ・マーシャ・ブラウンさん
子どもの心をとらえる絵本に、国境はありません。好評連載「絵本作家のアトリエ」、11月号は初の海外編です!
『三びきのやぎのがらがらどん』でおなじみの、アメリカの絵本画家、マーシャ・ブラウンさん。作品ごとに画風を変え、数々の賞にかがやく作家の素顔とは? 今年88歳のマーシャさんに、アメリカ・カリフォルニアのアトリエでお話をうかがいました。
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3月下旬、アメリカ、カリフォルニア。雲一つない青空に、さわやかな風が吹く。その人は、待ち合わせ場所のレストランの前で、にこやかに手を振っていた。紫で統一されたファッション。「お会いできてうれしいわ」と差し出された手を、思わずじっと見てしまう。
コールデコット賞に3度輝いた、アメリカを代表する絵本作家、マーシャ・ブラウン。作品ごとに全く別の顔を見せつつ、物語を生き生きと描き出す。ひとところに安住せず、常に挑戦を続けているかのような創作姿勢から人物像を想像し、緊張していた。
思い切って手をとり、握手を交わした。「遠くから、本当によく来てくださいました」──そう言われた瞬間、不安は吹き飛んだ。
故郷ニューヨークを離れ、気候のよいカリフォルニアに移り住んで十数年。アトリエは静かなアパート郡の一室にあった。
玄関のドアを開けたとたん、鮮やかな色が目に飛び込んできた。何枚もの大きなボード一面に、作品が貼られている。「眠れない夜は、スケッチをして過ごします。これは昨晩描いたもの」。
そう言って取り出したのは、小さなファイルに詰まったスケッチの数々。鉛筆が、淡いタッチの水彩、濃く塗り込められた抽象画など、そのスタイルは実に多様だ。
「一枚として同じものはないわ、だって同じことを繰り返すなんておもしろくないでしょ」。
*この続きは、本誌でどうぞ。
10月 10, 2007 今月の“立ち読み” | Permalink
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2007年10月 2日 (火)
11月号は、豪華特大号です!
秋の気配とともに始まった10月。朝晩ひんやりした空気に触れたり、日の落ちるのが早いのに気がつくと、ああ、本の季節だな、と思います。秋の夜はしんみり長いのです。
そんな秋の始まりにぴったりな「母の友」11月号が、いよいよ発売になりました。毎年連載の大半を休んで、「こどもに聞かせる1日1話」をはじめ、特別企画をお送りしている11月号。今年のテーマは、「物語を『聞く』よろこび」です。
本は目で読むもの、が大人の常識ですが、子どもにはていねいに絵本や童話を読み聞かせている方も多いことと思います。物語を「聞く」ことには、どんな楽しみがあるのでしょう? 「物語を『聞く』よろこび」が存分に味わえる、3つの特別企画をご用意しました。たくさんの「初めて」の詰まった、超豪華版です!
特別企画1 学校で本を読み聞かせるということ
2001年「子どもの読書活動の推進に関する法律」の施行をきっかけに、小学校でも読み聞かせのボランティアの活用が増え、保護者、とくに母親が小学校で読み聞かせをするようになりました。子どもが絵本や童話をよんでもらう、それ自体は喜ばしいことですが、力量が問われないままのボランティアによる活動は、本当に子どものためになるのか、疑わしい点も多いようです。
昨年1月号の連載「子どもを本好きにするために」で、斎藤惇夫さんが呈した読み聞かせボランティアへの苦言を入り口に、ボランティアで読み聞かせ活動をしているお母さん3名と斎藤さんに、今学校で起きていること、問題点と課題について座談会形式で語り合っていただきました。
また、実際に小学校の現場では、どのような読み聞かせが行われているのか、積極的な取り組みをしている二つの小学校を訪ねたルポ、現場で使われている読み聞かせブックリストなど、お母さんはもちろん、学校の先生や図書館員の方々にも役立つ情報もたっぷりです!
特別企画2 大人だって聞きたい! 4人の作家による物語
物語を「聞く」よろこびは、実際に味わってみるのが一番です。ということで、今回は初の試みとして、大人向けの、耳で聞く短編小説を4編、これまた初めての「袋とじ」(!)にしました。別役実、宮下奈都、中山千夏、多和田葉子──現在活躍中の人気作家4人による競演です。
耳で聞く、がポイントですから、決してご自分で開けてはいけません。誰かにはさみやカッターで切り開いてもらった(写真参照)うえで、声に出して読んでもらってください。2人だけで物語の世界に浸るもよし、仲良しグループで読み合ってもよし。不思議な大人の物語世界をたっぷりお楽しみください。
特別企画3 こどもに聞かせる1日1話
恒例の30編の童話集も、復活して今年で5回目です。たくさんの応募作の中から選りすぐった作品はもちろん、西内ミナミ、垂石眞子、たかどのほうこ、松野正子、征矢清らプロの児童文学作家による作品、さらに穂村弘、天野祐吉といった他分野で活躍する方の作品も。超豪華なラインナップでお届けします。
眠る前のひととき、病院の待合室で、ぜひお子さんに読んであげてくださいね。
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2007年9月22日 (土)
絵本作家のアトリエ[番外編]・渡辺茂男の仕事
10月号の「絵本作家のアトリエ」では、番外編として、昨年惜しくも亡くなった児童文学者の渡辺茂男さんの仕事を振り返ります。
『エルマーのぼうけん』や『どろんこハリー』などの海外のすぐれた絵本・童話を日本に紹介するとともに、『しょうぼうじどうしゃ じぷた』など、作家としても活躍した渡辺さんとは、いったいどんな人だったのでしょう。
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1971年、ニューヨーク。黒人街ハーレムを東洋人の一家が進んでいく。男の子の手をひく先頭の男はひょろりとした風貌。髪をきちんと整え、ふちの厚い眼鏡をかけた紳士だ。この街の景色とは似合わない。
男の子はだんだん不安になる。いったい、どこへ連れていかれるのだろう。たどり着いたのは、ハーレムのど真ん中にあるアパートメントだった。ドアを開けると男を歓迎する声が爆発する。ウェルカム・シゲオ!
そこはナイジェリア出身のミュージシャン、オラトゥンジ一家の部屋だった。彼は黒人差別に立ち向かい、アフリカ文化のすばらしさを伝える活動でも知られた人物で、ジャズ界の巨人、ジョン・コルトレーンの親友でもある。
シゲオと呼ばれた日本人、渡辺茂男はにっこり笑って抱擁を交わした――。
昨年亡くなった渡辺茂男さんは日本の児童文学に巨大な貢献を果たした人だ。翻訳紹介した、あるいは自ら執筆した絵本や童話はゆうに三百冊を超える。しかし、日本の児童文学者とハーレムの黒人ジャズミュージシャンの接点はどこにあったのだろう。
そのときの男の子、茂男さんの長男、鉄太さんは「ぼくも不思議ですよ」と笑う。「父は意外な友達を多く持っていました。特別に社交的ではなかったけれど、人とのつきあいに垣根を設けない人でしたね」。
*この続きは、本誌でどうぞ。
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2007年9月 7日 (金)
食品の「安全」ってなんだろう
食肉の表示偽装やお菓子の賞味期限問題など、このところ食品に関するニュースが世間を騒がせています。「食の安全」が声高に叫ばれていますが、安全な食品とは一体何なのでしょうか?
食品の「安全」について、どのように考え、判断していったらいいのか、10月号の特集では整理しながら考えてみたいと思います。
食品メーカーの事件の背景にある問題、また私たちがとるべき態度について、食品の生産現場から流通までに詳しい徳江倫明さんに、お話を伺いました。
指標となる言葉を見つけてほしい 徳江倫明さんのお話より-------------------
2000年以降、食の安全を揺るがす事件が続き、新しい法律の制定、改正がくり返されてきました。
さまざまな議論を経て「食の安全を達成するためには、フードチェーン(生産、加工、流通、販売)が連携して努力していかなければならない」ということが確認されました。食品の安全は、フードチェーンのそれぞれが責任を果たす、それぞれがしっかりした安全管理項目を作ってきちんと守っていくことしかないと私は思っています。
では、なぜ食品の事件が起きるかといえば、食の「安全」をはずしたところに、利益を生み出す構造が生まれてくるからです。
加工品の世界では「もうけるためには水と空気を入れろ」と言われます。例えばゼリー状にした水を入れて増量したり、空気を混ぜ込んで膨らませたりするのです。そうなると食品としての形を維持するために、さらに何らかの添加物を入れなくてはなりません。作る側からすると、こうした加工は、消費者の好みに合う食感の良い食品を作るための一種の技術革新でもあります。ですから罪悪感はありません。
このとき、必要以上に水や空気を入れて、たとえば一割増量できれば、大変なコストの削減になります。
*続きは、本誌でどうぞ。
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2007年8月 1日 (水)
絵本作家のアトリエ・スズキコージさん
『エンソくんきしゃにのる』『あつさのせい?』など、独特な世界で子どもたちをとりこにするスズキコージさん。
9月号の「絵本作家のアトリエ」では、コージさんのアトリエを訪問、お話を伺いました。ご自身のキャラクター、アトリエの様子も絵本の世界そのものです。
めくるめくコージズキン・ワールドにご案内します。
「僕自身もどうしてこんなふうになったのやら。遠州の七不思議かもね」。そう笑う主のアトリエは、七不思議どころではない賑やかさ。どこもかしこも、ちかちかでくらくらで、楽しい。
鈴木康司さんは、1948年静岡県浜北市の生まれ。終戦直後、体が弱かった母親は母乳が出ず、代わりに父親が毎朝農家からもらってくるヤギの乳で育ったという
「おっかさんのあそこから生まれてきたときに、もうクレヨンを持って、胎盤に絵を描いていた」と自ら言うほど、幼いころから絵が得意な自然児だった。
浜松の高校を「赤点だらけで」卒業後、赤坂の割烹料理屋で住み込みで働きながら暇さえあれば絵を描いていたところ、編集者だった親戚のおじさんが、グラフィック・デザイナーの堀内誠一を店に連れてきてくれた。一目でコージさんの絵を気に入った堀内さんは、「平凡パンチ」女性版創刊号(のちの「アン・アン」)の挿絵を依頼、これが画家としてのデビューとなった。
「独学なんですよね、まるで。もぐりではいろんな学校に行っているんだけどね。美術系の学校にはよくお世話になりましたよ。絵の具も絵を描く場所もふんだんにあるからね。学費は一銭も払ってないけど(笑)」。
*この続きは、本誌でどーぞ。
(写真・吉原朱美)
【耳より情報】故郷・静岡県で、コージさんの大規模な展覧会が開催中です。約100点におよぶ作品の数々で、多彩な活動を紹介しています。ライブ・ペインティングやワークショップなど、コージさんとふれあえるイベントも(詳しくは各美術館のHPへ)。夏休み、お子さんといっしょにぜひおでかけください!
スズキコージズキンの大魔法画展
浜松市美術館 (静岡県浜松市中区松城町100の1)
8月26日(日)まで
9:30〜17:00 (月曜休館)
大人500円、高校生200円、小中学生無料
電話 053ー454ー6801
佐野美術館 (静岡県三島市中田町1の43)
9月1日(土)〜10月1日(月)まで
10:00〜17:00 (木曜休館)
大人900円、小・中・高校生500円 (土曜日は小・中学生無料、9月15、16、17日は小学生無料、9月17日は65歳以上無料)
電話 055ー975ー7278
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親も保育者も疲れてる─「認定こども園」って、なんだろう②
今年の4月から本格的に始まった「認定こども園」。幼稚園と保育園、両方の機能をあわせ持つ万能型の園として注目を集めていますが、実際のところ、いったいどんな施設なのでしょう? 子どもを支える親や保育者の立場から見ても、いろいろと考えるべき問題をはらんでいるようなのですが……。
9月号の特集では、「認定こども園」とは何か、概要をおさらいしたうえで、その問題点について帝京大学の村山祐一さんにお話をうかがいました。
子育ての「根っこ」から考えよう 村山祐一さんのお話より--------------------
認定こども園の制度は、「待機児童」や園の経営難を解消するために急ピッチで作られました。そのため、すべてが大人の都合で作られていて、子どもにとってどうなのか、という視点が欠けています。子育ての観点からすれば、前進どころか、むしろ後退したと私は思っています。
認定こども園は幼稚園の子ども(短時間保育児童)と保育園の子ども(長時間保育児童)を一緒に預かることができ、それがメリットとされています。地域の子どもが分けへだてなく一つの施設に入れるのは平等でよいことだ、とも言われます。でも実はこれが子どもの視点に立っていないのです。
*このつづきは、本誌で。
8月 1, 2007 今月の“立ち読み” | Permalink
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2007年7月 3日 (火)
絵本作家のアトリエ・なかのひろたかさん
『ぞうくんのさんぽ』『3じのおちゃにきてください』『くさる』……子どもの記憶に残る印象的な絵本で人気の、なかのひろたかさん。
8月号では、やんちゃなわんぱく坊主のような笑顔がすてきななかのさんのアトリエを訪ね、子ども時代、絵本論などお話を伺いました。
なかのさんは1942年、青森県で生まれ、石川県で育ちました。その幼い記憶は、必ずしも楽しいことばかりではないようです。
「幼稚園を登校拒否したんだ。前もって道具をもらう日があってね。ところがぼくの順番で、お絵描き帳がなくなってもらえなかった。
係の人が『先生には言っておくから、幼稚園が始まったらもらいなさい』と言うのを、僕はおふくろのそばで聞いていたわけ。
そして最初のお絵描きの時間になってみんながお絵描き帳を出す。僕は戦死がお絵描き帳をくれるものと思っていた。ところが先生は『忘れたの? 今度は忘れないで持ってきなさい』と言って行っちゃった。
それで僕、ぼんやりしちゃったわけだよ。次の日も同じようになって、『また!?』と先生が言う。
それが三度目くらいになると、僕はただ、じーっとうつむくだけ。チラチラまわりを見ると、となりだとか前の子も、僕のことをチラチラ見る。
そうなると頭の中ががちゃがちゃになってきて。だから、お絵描きのときは脱走するわけ。となりのお宮さんに行って遊んで帰ってくる。……」
(写真・吉原朱美)
*この続きは、本誌でどうぞ。
7月 3, 2007 今月の“立ち読み” | Permalink
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憲法のちから
昨年からの連載KENPO TIMES、5月号の「憲法どっち? 委員会」広告企画など、「母の友」ではこれまでも、読者のみなさんとともに日本国憲法について考えてきました。
私たちの生活に息づき、国に歯止めをかける力をもたらしている憲法。戦後生まれの私たちにとっては「空気」のような存在でしたが、近年その憲法を変えようという動きが急速化し、この5月には、改定のための手続き法案があわただしく成立しました。
今月は、あらためて日本国憲法の秘めた「ちから」を見直します。
特集・憲法のちから
目からウロコの情報満載、4本立てでお送りします!
① 「いったん、事あるとき」
ここ数年整備された「有事法制」。戦争が起きたときに、国や国民がどうするのかを定めたこれらの法律は、基本的人権の尊重や戦争放棄をうたった「憲法」とは、かなり相性が悪いようなのですが……。起こりうる事態のシミュレーションで検証します。
② 9条のちから
9条があっては国を守れない? 9条を変えて、もっ積極的に”国際貢献”? もっともらしく聞こえるけど、実際にはどうなのでしょう? なかなか知らない軍事事情や安全保障体制の面から、9条の底力を見直します。
【立ち読み】前田哲男さんのお話ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「九条があっては国を守れない」という意見があるようです。では、九条を変えれば国を守ることができ、私たちは安全になるのでしょうか。
北朝鮮が攻めてくるとしばしば言われますが、私は現実的ではないと思います。まずあの国には海を渡る能力がない。軍艦の数がまったく足りないのです。脅威だといわれるミサイルにしても、航空自衛隊のF2攻撃機が搭載できる爆弾の破壊力のほうがはるかに大きく、しかもその攻撃機を日本は百機以上持っている。
とはいえ「テポドンに核弾頭がついたらどうする? ミサイル防衛で対抗しなければ」と思うかもしれません。しかし武器があるから、必ず戦争になるというものではありません。国家が“通り魔的”に核を使うとは考えられません。戦争には大義名分と目的、結果の予測が必要です。理由もなく他の国を壊滅させても得るところはなにもないのです。
(中略)
では、北朝鮮のミサイルが脅威だとして、それをとりのぞくためにはどうしたらいいのか。そのためにあるのが外交です。武力に頼らず国を守る方法はいろいろとあるのです。しかし昨今は「ミサイル防衛」さえすれば、安全であるかのような、間違った前提に立った議論がまかり通っています。
*この続きは本誌で。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
③ 24条のちから
女性にとって、憲法制定当時最も画期的だった「家庭生活における個人の尊厳と両性の平等」。当たり前と思っている今の生活も、24条がなかったら? 改憲論では、24条も危ないって、本当ですか?
④ 国民投票法が成立した
早くて3年後には改定案が発議され、4、5年後には国民投票が行われるかもしれません。国民投票法ってそもそもどういう法律なの? 私たちはどうかかわったらいいのでしょう。
7月 3, 2007 今月の“立ち読み” | Permalink
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2007年6月13日 (水)
絵本作家のアトリエ・さとうわきこさん
「ばばばあちゃん」シリーズや『せんたくかあちゃん』など、明るく元気でたくましい女性を描いてきた、さとうわきこさん。
7月号の「絵本作家のアトリエ」は、長野県にあるさとうさんのアトリエと「小さな絵本美術館」を訪れ、絵本創作のひみつを伺いました。
さとうわきこさんは、東京都品川区大井町で生まれました。六歳のときに結核を患い、病弱な少女時代を過ごします。
「両親は、私が長生きできるとは思っていなかったと思います」。
父親は、さとうさんをかわいがり、好きなことはなんでもやらせてくれました。作家志望の新聞記者で、詩や落語が大好き、家ではレコードを聴き、洋画を飾るという文化人でした。家のラジオからは、よく落語や漫才が流れていました。
小学校一年生の夏、一家は武蔵野の面影が残る東京都練馬区へ引越します。
この家で、さとうさんは、夏には廊下で父親と一緒に寝転がり、宮沢賢治の童話をよく語ってもらいました。
「父は武蔵野の自然が好きだったので『かしわばやしのよる』という話を、よくしてくれました。『うこんしゃっぽのかんからかんのかあん』とか、賢治の言葉には独特の言い回しがあるでしょう。私はそういう言葉が大好きだったんですよ」。
父親が休みの日には、植物図鑑を持って一緒に武蔵野の野山を散歩するのも恒例でした。
小学校では、病欠することが多く、勉強も遅れがちだったさとうさん。劣等感にさいなまれ、やがて詩を書くことを覚えます。小学校三年生のときには教育実習生に詩をほめられたこともありました。
高校生になると、担任の美術教師の影響で絵描きを志望するようになります。しかし数年前に結核で父親を亡くしたさとう家には、経済的なゆとりはありませんでした。
(写真・吉原朱美)
この続きは、本誌でどうぞ。
【耳寄り情報】小さな絵本美術館・岡谷本館では、7月16日(月)まで、「さとうわきこ絵本原画展」を開催中! 「こどものとも」の人気作品『あめのちはれ せんたくかあちゃん』と『うみのおまつり どどんとせ』の原画が展示されています。お見逃しなく!
6月 13, 2007 今月の“立ち読み” | Permalink
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2007年5月17日 (木)
子どもの「かみつき」をどう考える
6月号の第2特集で取り上げるのは、子育て中の方には身近な「事件」、子どもの「かみつき」についてです。
新学期から1ヵ月。子どもたちもそろそろ園生活に慣れてきたころです。しかし、このころのとくに1、2歳児には、ふとしたはずみで友達をかんでしまう子が出やすくなります。幼い子どもの力なので、それほど大きな傷にはなりませんが、その対応には、園でも頭を悩ませています。かみあとが残ったときに、親が園に不信感を抱いたり、親どうしの感情的な行き違いが生まれやすいためです。
実際、わが子が当事者になったとき、親としてどう受け止めたらよいのでしょう? 近畿地方の保育者を対象に「かみつき」の実態調査をしている、華頂短期大学の西川由紀子さんにたずねました。
起こりやすい状況とは(西川由紀子さんの話)
かみつきの起こりやすい時間帯は、昼食後から昼寝前の時間です。これは保育者が、昼寝の準備や食事の片付けに忙殺されて、人の手が足りない時間帯と重なります。子どもも眠くなってきて、保育者を求めたくなる時間です。それが受け止めてもらえなくてイライラしてかむということが多いようです。
イライラした気持ちが「かみつき」につながるのは、かみつきを起こしてしまう子どもが周囲との「間」が取れないということもあります。この「間」とは、自分の気持ちをだれかに伝えようとしたり、相手の気持ちを受け取ろうとすることです。たとえば転んでしまった子が、自分の傷をじっと見て、ふと保育者の顔を見る。保育者が「痛かったね」と子どもに声をかける。すると子どもが急にワーッと泣き出すという姿があります。
このように何かあったときに、保育者へ自分の気持ちを伝えるサインを出すこと、保育者の言葉から自分の気持ちが伝わっていると分かることが”「間」がある”ということなのです。
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絵本作家のアトリエ・山本忠敬さん
好評連載・絵本作家のアトリエ、6月号の第12回でご紹介するのは、『しょうぼうじどうしゃ じぷた』『ずかん・じどうしゃ』など、数多くの乗り物絵本で子どもたちを楽しませてくれた、山本忠敬さん。
惜しまれながら4年前に亡くなった山本さんの足跡をたどります。残された膨大な資料やノート、描きかけのスケッチや原画には、絵本作りへの情熱があふれています。
20年ほど前、真夏のある日。富山県の自動車博物館で、月刊絵本「たくさんのふしぎ」編集部の時田史郎(現福音館書店顧問)は、暑さからくるめまいに耐えていた。フェーン現象に襲われ外気温は37度。冷房もなく風もはいらない館内は40度近い。
その横で、山本忠敬さんは、汗をぬぐおうともせずにクラシック・カーのスケッチを続けている。絵本『日本の自動車の歴史』の取材であった。二日目、山本さんの体調を気づかった時田は「写真を撮って資料にしませんか?」と提案。山本さんはこう答えた。
「写真では、車の大きさもにおいもわからない。実物があるのだから、スケッチをしていきます」。
その夜、渇きをいやすため地酒「立山」を一升以上あけた山本さんと時田は、翌日の晩、戻った東京でも、また「立山」を飲み続けるという離れ技(?)をしてのける。
お酒と人が好きでとことん飲む。しかし絵本の仕事にあたっては、ゆるぎない誠実さをもって並々ならぬ集中力で臨む。それが絵本作家、山本忠敬さんだった。
この続きは、本誌で。
5月 17, 2007 今月の“立ち読み” | Permalink
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2007年4月16日 (月)
あのお話が30年ぶりに
5月号の「読んであげるお話のページ2」は、「三十年目のお客さん」(田中秀幸さく・え)です。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この作品は約30年前に月刊絵本「こどものとも」として子どもたちに人気のあった『はじめてのおきゃくさん』(「こどものとも」1978年10月号)の続編なのです。
若かったコックさんと彼のレストランの30年後はいったいどうなっているでしょう? そして動物たちは? 子どものころ読んでもらったあのお話の続きを、今度はお子さんと一緒に楽しんでみてください。
4月 16, 2007 今月の“立ち読み” | Permalink
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2007年4月 5日 (木)
子育ては「息をぬいて」
5月号のトップ記事は、東京都多摩市バオバブ保育園の園長、遠山洋一さんのお話です。
子どもへの向かい方、子育てのペースのつかみ方など、わからないと、あせりはつのる一方です。長年、保育園の園長として保育のあり方を考えてきた遠山さんのインタビューには、子育てを楽しむヒントがいっぱい。きっと気持ちが楽になると思います。
その一部をごらんください。
遠山洋一さん(写真・西山悦子)
私が毎月の園だよりに巻頭言を書き始めて、もう十年以上になります。親御さんたちに、バオバブでは保育士たちが何を願い、何を感じ、何を考えて保育しているのかをできる限り伝えていきたいという思いで続けてきました。
その中でずっと言ってきたことの一つは、子どもの力を信じよう、ということです。子どもは本来色々な力を持っています。大人が勝手にいじくりまわして、こういう子どもにしようとか、これをしなくては子どもは育たない、というのではなく、子どもの力を信じて子育てや保育をしましょう。
保育に携わっていると、様々な場面で子どもの力を目の当たりにします。たとえば、先日園で小さな臼をみんなで囲み、小さな杵をもって順番にもちをついていたときのことです。
Mちゃんがつく番になったとき、Mちゃんの弟のK君のところに、クラスメイトのS君が寄っていき、ポンポンとたたいて、「お姉ちゃんだよ」と教えてあげていた。するとK君はお姉ちゃんに向かって、パチパチと手をたたいたのです。
S君は、まだ1歳3カ月くらいの子どもです。そういう子がちゃんと友達のお姉ちゃんを認識して、それを伝え、さらにK君がお姉ちゃんに声援の拍手を送った、というのは本当にすごいことです。最近、心の教育をしなくてはいけないなどとよく言われますが、人のことを思いやる心は、かなり普通に子ども自身が本来持っている力なのだということがよくわかる例だと思います。
この続きは本誌でどうぞ。
4月 5, 2007 今月の“立ち読み” | Permalink
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石井桃子の仕事
5月の記事立ち読み、もう1本は、毎月好評連載の「絵本作家のアトリエ」番外編、「石井桃子の仕事」をごらんください。
石井桃子さんは、ディック・ブルーナの「うさこちゃん」シリーズ(子どもがはじめてであう絵本)や、『クマのプーさん』、『ちいさなおうち』などの、たくさんの子どもの本の翻訳紹介をされた方です。
今年の3月、めでたく100歳を迎えられました。今月はそのお仕事を紹介するほか、石井さんご自身からの読者へのメッセージを掲載しています。
1958年、石井さんは自宅の1室を開放し、かつら文庫を開いた
まだ2月だというのに、春がやってきたかのような暖かな午後だった。東京郊外の閑静な住宅街。光をおさえた部屋の中に、柔和な笑顔で、その人はいた。石井桃子さん、99歳。日本の児童文学にはかりしれない功績を残してきた人。「ようこそ、いらっしゃいました」。しっかりとした声だった。
石井さんが翻訳、紹介した子どもの本は、いったいどれくらいの数になるのだろう。「クマのプーさん」、「ピーター・ラビット」、「うさこちゃん」。ヴァージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』やフィッシャーの『こねこのぴっち』もそうだ。「ドリトル先生」の翻訳を小説家の井伏鱒二に勧めたのも実は石井さんである。自身の創作も多い。1947年に出版された『ノンちゃん雲に乗る』はベストセラーとなり、映画化もされた。
(中略)1907年3月10日、埼玉県の浦和(当時)生まれ。6人きょうだいの末っ子として育った。体はそれほど丈夫ではなかったそうだが、家のまわりの豊かな自然の中で存分に遊んだという。また、同居していた祖父が話してくれた、たくさんの昔話は後年の仕事に大きな影響を与えることになった。
小学校に上がり、文字を覚えると本の世界に熱中する。学級文庫から巌谷小波の「世界お伽話」や「アラビアン・ナイト」などを借りては、わざわざ静かな道を選んで、読みながら帰宅した。
高等女学校から日本女子大学校の英文学部に入学。そのころ出会ったのが、小説家の菊池寛だった。文藝春秋社の初代社長でもあった彼の元で、外国の雑誌や原書を読んでまとめるアルバイトを始め、大学を卒業後、文藝春秋社に入り、雑誌「文藝春秋」や「婦人サロン」編集部に籍を置く。このころに、著名な編集者、そして、芥川龍之介ら文豪との知己を得た。
翻訳家としての最初の仕事が『クマのプーさん』である。それは全く偶然の出合いによるものだったという。
1933年のクリスマス・イブの晩、作家で政治家、犬養健(父親は元首相の犬養毅。この前年、暗殺された)の自宅に招かれたおり、ツリーのそばに英語の本を見つけ、その場で犬養家の子どもたちに請われ、日本語で話し始める。この本こそがミルンの、「The House At Pooh Corner」(邦題『プー横丁にたった家』)だった。
この続きは本誌でどうぞ。
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