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2011年12月28日 (水)

絵本作家のアトリエ・瀬川康男の仕事

Photo すっかり更新が滞ってしまいました、すみません!

好評連載「絵本作家のアトリエ」。2月号は、2010年2月に惜しまれながら亡くなった、瀬川康男さんの仕事です。

ふしぎなたけのこ』『いないいないばあ』『ことばあそびうた』など、世代を超えて愛される絵本を手がけた瀬川さん。

変容を続ける画風で、孤高の絵師とも呼ばれた画家の足跡を生前の声をもとにたどります。

川康男さんは、1932年愛知県岡崎市に生まれた。

とにかく早熟なひとだった。子どものころから優等生、みなに慕われ、自然とまとめ役を任された。
学校では全校生徒を指揮し、けんかが起きれば仲裁に入る。
家では南画(文人画)を好む父が購読する美術雑誌「南画鑑賞」に幼少期より触れて東西の美術に親しみ、絵を描かせれば父をしのいだが、小学校の写生大会では教師に評価されないという、早熟さゆえの悲哀も味わった。

Photo_2 勉強も得意だった瀬川さんが本気で画家を志したのは、13歳で終戦を迎えたときだ。
理由は、空襲が「病気になるほど」怖かったから。
「爆撃で火事になって、その光景が焼きついちゃったのね。
空襲がこわいってことは、軍国少年にとってはものすごい屈辱的なことだったわけよ。(中略)
おれはこのままでは生きていけないなっていう。
どん底まで追い詰められて、そのときに鼻紙に絵を描きはじめた。(中略)
絵をつかまえて生きようと思ったんだね。うん、そう思う」。

そんな折、町で「門人募集」の看板を目にする。
しわだらけの新聞紙でくるんだするめが、額の中に入っている、と不思議に思って近づくと、それは絵だった。
「すごい腕だと思ってね。即日、入門した」。

入門先は日本画家、山本恵川。
言われるまま描いた絵が激賞され、一年ほど日本画の手ほどきを受けた。
中学一年生のときのことだ。
池大雅、浦上玉堂といった日本画家を尊敬する一方、このころ洋画にも目覚めていく。
「ドーミエの、むちゃくちゃに線を重ねたようなデッサン、あれにいたく感動してね(中略)。
ああいうやつをかきたいなと思って、洋画の勉強をし始めたの。
洋の東西を問わず、そういうふうに、(奥にあるものを)つかみ取って来る人が好きなの」。

こうして南画に始まり日本画、洋画と吸収を続ける瀬川さんの旺盛な好奇心と知識欲は、学制改革により移った新制高校でも衰えることがなく、美術部の仲間たちを刺激し、引っ張っていく。

*この続きは、本誌でお読みください。

(写真・伊藤修)

12月 28, 2011 今月の“立ち読み” |

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