絵本作家のアトリエ・平山和子さん
取材依頼の電話をすると、「大した物は用意できませんが、うちでお昼を一緒に食べましょう」とお誘いを受けた。
当日、黒姫駅に着くと、『ぽとんぽとんはなんのおと』など同じく絵本を描いている、お連れ合いの英三さんが、助手の方と一緒に車で迎えに来てくれていた。
新緑がきれいな山々を車窓から見ながら十分ほど行くと、林の中に、自宅兼アトリエが見えてきた。
木で組んだ二階建ての家。
鳥の鳴き声が聞こえ、庭のあちこちに花が植えられている。
食卓を囲みながら
「遠いところいらしてくださって、ありがたおうございます」。
玄関の外で出迎えてくれた平山さんの後について、まずは家の中を案内してもらってから、お昼ご飯になった。
みんなで食卓を囲みながら、話題は自然と食べ物と絵本のことに。
――『おにぎり』だけは、和子さんじゃなくて、英三さんが文章を書いていらっしゃるんですね。
「ええ、あの絵本はもともと、当時平山(英三さんのこと)が”子ども技術史”という発想で考えていた絵本の一つでした。
それで文章が彼になっているんです。
子どもが生きていくために獲得していく技術、身近に見る技術とは何だろうと、二人でよく話してまして、”手を使う”ことを表現したいと思ったのです。
それから、締切間際になって、私が猫に手を噛まれて絵を仕上げるのに苦労したのも思い出しますね。
彼には『聞き手を噛まれるとは、プロ意識が足りないね』と言われました。古い話ですね(笑)」。
英三さんも笑っている――。
昼食後、あらためて平山さんご自身にじっくり話を伺うことにした。
「私、要領よくお話しできなくて、いつも枝葉のふにいっちゃうの(笑)。
だから、どんどん質問してくださいね」。
土になじんで
平山和子さんが生まれたのは、1943年、東京・杉並の郊外。中央線が通り、バス通りも舗装されていたが、それ以外は砂利道で、畑や森などの緑も多く残っていた。
そんな中を、二つ上の兄にくっついて男の子たちと森や原っぱ、川ばたで遊んでいたのが5,6歳ころの記憶だという。
「箱庭を作るのも好きだったんです。
空き箱に土をしいて、それを定着させるための苔を入れ、山に見せるために木を植えるの。
それから、瓦をうまく利用して水を流し、めだかやおたまじゃくしを放して、いかにも川みたいにして。
自分の思い通りの世界を作って楽しんでいました」。
小学生のとき、戦争で食糧事情が次第に悪化していった。
戦後、母親は庭や道ばたに畑を作り、カボチャなどを植える。
そんな母親を手伝ううちに、平山さんは植物の世話をすることに楽しみを見つけていった。
*この続きは、本誌でどうぞ。
(写真・長島有里枝)
9月 6, 2011 今月の“立ち読み” | Permalink
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