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2011年8月 5日 (金)

絵本作家のアトリエ・佐藤忠良さんの仕事

Photo_3 9月号の「絵本作家のアトリエ」は、今年3月に98歳で逝去された彫刻家、佐藤忠良さんの仕事を振り返る、番外編です。

佐藤さんは、日本を代表する彫刻家であり、美術界で多くの後進を育てた優れた教育者であり、そして何より子どもたちに愛されつづける『おおきなかぶ』などたくさんの絵本を生み出した方でした。

その足跡には、今、子どもを育てるすべての人に触れていただきたい珠玉の言葉がいっぱいです。

Photo_4 貧しさのなかで
「うんとこしょ、どっこいしょ」。
かけ声とともに巨大なかぶを引き抜こうとがんばるおじいさんたち。
何度も何度も失敗するけれど、くじけず挑戦し続け、ついに……。

絵本『おおきなかぶ』は訳者、内田莉莎子さんのリズム感あふれる文章と、横長の画面を見事に活かした力強い絵で刊行から半世紀を経た今も子どもたちに愛されている。
その絵を手がけたのが、佐藤忠良さんだ。

佐藤さんは1912年、宮城県に生まれた。
しかし、6歳のときに農学校の教師をしていた父を亡くし、母の郷里である北海道、夕張に移る。

小学校では、絵を描くことに夢中になった。
”画家”という職業があることも知らなかったそうだが、図工の時間が楽しみだった。
教師も佐藤さんの画力を認め、算数の授業中にひとりだけ絵を描いていてもしかることはなかった。
さらに作品を札幌の展覧会に送ってくれたという。
その結果は見事、入賞。
佐藤さんは次第に美術の道へ進むことにあこがれを抱き始める。

暮らし向きは決して楽ではなかった。
佐藤さんも「小学校を出たら、丁稚奉公でも行くよりほかしかたないかと思っていた」*Aほど家計は苦しかった。
しかし、母親は中学への進学を勧める。
当時のことを佐藤さんは後にこう書いている。
「母は、毎夜、3時間か4時間ぐらいしか、寝なかったかもしれない。ちかくの坑夫長屋の娘さんたちを相手に裁縫を教えながら、夜は遅くまで針仕事」*B
「(中学に通うため)私も弟も、母と別れて札幌へでた。夜なべしながら運ぶ母のはり目を、一つずつ、かいなく抜いてゆくようなせつなさがふっと少年の日の私を襲うことがあった。それにもかかわらず、私はもう、美術家になろうという夢を描き始めていたのである。この上また、いつまでも苦労しなければならない娘がかわいそうと気をもむ祖父母に、母は『好きなことをさせます』と、おし通してくれた」*B

Photo_6 ”群馬の人”との出会い
1925年、13歳でひとり札幌に出た佐藤さんが、あるとき植物園の草むらに寝ころんでいると、若い男が話しかけてきた。
不思議と話がはずみ、母が苦労して育ててくれた話をすると、「いっしょに自炊しないか」と言う。
生活費を助けよう、という申し出だ。
生年は佐藤さんの母親に手紙を書いた。
すると「(母が夕張から)4時間かけて会いに来て『お願いします』と頼んでくれた。見ず知らずの人にですよ。度胸のいい人だよね」*C。
その若者は、北海道大学の畜産家に助手として勤めている群馬県出身の人だった。

引用元
A「こどものとも」539号『木』折り込みふろくより
B「母の友」1956年7月号、「『おふくろ』のこと」おり。*仮名づかいを変えています。
C『若き芸術家たちへ ねがいは「普通」』安野光雅との共著、中公文庫

*この続きは、本誌をお読みください。
(写真・山本尚明)

8月 5, 2011 今月の“立ち読み” |

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