« ~葉っぱでふりかけ遊び~編・その2 | トップページ | 絵本作家のアトリエ・辻村益朗さん »

2011年5月10日 (火)

母と娘のあいだには

わが子はかわいい、でもときに苦しさを感じる瞬間がある……。
その一瞬の苦しさは、もしかしたら自分自身が母親から受け取っていたものと関係があるかもしれません。
「母」として子育てに頑張るあなたは、同時に「娘」でもあるのです。

6月号の特集「母と娘のあいだには」は、そんな微妙な母と娘の関係に、真正面から向き合う試みです。

自分に正直に、見つめ直してみませんか、あなたとお母さんとのこと。

今回の特集の案内人、岩城範枝さんは、現在60代。
母親の介護をきっかけに、今まで解放されずにきた母親との心の問題に直面している友人をたくさん見てきました。
「母のここがイヤ」と思うことさえ必死に否定して、自分の気持ちを抑え込んだまま精神のバランスを崩したり、ついには老いた母親を虐待してしまったり……。
そこには幼いころから続いてきた母親の影響と、それに抵抗できなかった娘の長い歴史があるのではないか――。
岩城さんはそう語ります。

まずは”怒り”に気づいて
手塚千鶴子

今回まずお話を聞くのは、岩城さんの中学高校時代の同級生であり、自身も母親との葛藤を体験した手塚千鶴子さん。
手塚さんは現在、海外からの留学生たちに日本文化の視点から考える日本人の心理学や異文化コミュニケーションの授業を行っています。

――母親に対するもやもやした気持ちは、どうやら若い世代にもあるようです。
きちんと育ててくれたことに対する感謝の念があるからよけいに、母のここがイヤだと言えない。
そう思う自分に罪悪感を感じてしまうのよね。

臨床心理学的には、そういう罪悪感は”怒り”とつながっているんだと思う。
罪悪感のほうが気づきやすいけれど、その裏側に張り付いている怒りには気づきにくい。
私自身もそうだったから。母に対してネガティブな気持ちをもったり、父を亡くし一人でいる母になかなか会いに行けないことがものすごく大きな罪悪感になっていた。
私もフルタイムで働いていて忙しい。それでも、どうしてきょうだいじゃなく私ばっかり見舞いに行かなくちゃいけないの、という怒りにはならず、行ってあげられない罪悪感のほうが強かった。
自分の中に怒りがあることがわかるようになり、受け入れてからのほうが、罪悪感がなくなっていったという感じがする。

――自分の中に怒りの気持ちがあるということに、まず気づくことが大事なのね。

大事だと思う。
でも気づくのって怖いのよね。イヤなのよ。
気づくと「自分は嫌な娘だなあ」と自分を縛る罪悪感になってしまうから。
全く気づかないでいる人のほうが多いんじゃないかしら。

――手塚さんの研究テーマは「日本人の怒りについて」でしたよね。

そう。それは私自身が怒りに気づけない、怒れない人だったからなの。
自分の怒りを表現したり伝えるすべを知らなかった。
それが留学生を相手に授業をするうちに、これは自分だけでなく多くの日本人の中にあるものなんだ、そして怒るということは意外に大事なんだ、と。
日本人って、怒りや否定的な感情に気づきにくいし、それを表現できない傾向があるでしょう。

留学生の多くが、「なぜ日本人は怒らないんですか?」と不思議がっています。
「怒りも人間の感情で、健康なことじゃないですか」「ニコニコしながら怒っていると、どうしていいかわかりません」って(笑)。
彼らは、意見の食い違いがあってぶつかるからこそ本当の友達になるんじゃないか、それをしないまま別れてしまってはもったいないとも言います。

*この続きは、本誌でお読みください。

てづかちずこ 1946年生まれ。慶應義塾大学日本語・日本文化教育センター非常勤講師。教育心理学博士。専門は多文化間カウンセリング。日本人と留学生が英語で共に学ぶ日本研究講座で、「日本人の心理学」「異文化コミュニケーション」を教える傍ら、留学生や日本人学生のカウンセリングを担当。

5月 10, 2011 今月の“立ち読み” |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 母と娘のあいだには:

コメント

記事を興味深く読ませていただきました。皆さんの思いに共通する「私のようになって欲しくない」という母親の期待が、私にも重くのしかかっていたと思います。

今40代です。2年前春、母は他界しました。

子どもの頃、父と母のケンカをよく見ました。最終的に父が大声でどなって、母が黙りこんでいたような。
母は看護婦でした。結婚して父(開業医)の手伝いをしつつ、子育てもして兼業主婦?のような感じでした。
ケンカの後目を真っ赤にはらして「あなたは、仕事を持って自立しなさいよ」と言われたのをよく思い出しました。父の愚痴を言う母に「離婚したら」と子どもが言っても「お父さんはお前たちのために働いてくれているんだから」と。資格を持っているんだからやろうと思えばできたのに、と思うんですが。

私は母に(そして父にも)認められたい一心で、父と同じ職業に就きました。でも、数年たって職場不適応になりました。プー太郎中に元夫に出会って結婚、仕事しながら子育てしましたが、自分の仕事と生活に私と子どもを巻き込む夫に疲れ果て昨年別居、今年離婚が成立。私は自分の人生を自分で切り開くぞ。

投稿: かもめ | 2011年6月13日 (月) 04時16分

コメントをありがとうございました。

お母さんとの関係を、娘の立場から語ってくれる人を探す中で、答えてくださったのが結果的になぜか全員専業主婦の母を持つ方になってしまった、というのが実は正直なところです。本来なら仕事をしている母を持つ娘も探すべきだったのですが、なかなか見つからずタイムリミットになってしまいました。申し訳ありません。というわけで、意図的に専業主婦の母の娘、だけを取り出したわけではありません。(しかしやはり母親の状況によって「間」は違ってくる可能性もある、とのことで、明記しました)
ただ、これらの事例は、各人の環境から分析するというよりは、あくまで「私にも思い当たることがあるかな?」と考えるきっかけにしていただくためのものであることをお含み置きいただければ幸いです。

この特集をヒントに、読者の皆様それぞれの「母と娘の間」についてぜひ、「てがみでこんにちは」欄などにお寄せいただけたらうれしいです。

投稿: 「母の友」編集部 | 2011年5月24日 (火) 18時57分

6月号、特集期待大でした。
が、結局、[実録]私と母のあいだにを読んで質問です。
なぜ、専業主婦の母親をもつ4人の女性にこの質問をされたのですか。
専業主婦と明記するからには何か意味があるのではないかと思いますが、
仕事を持っている(持っていた)母と娘の〝あいだ〟については今回は
着目せず、なんでしょうか。
続編があるとは思えないし、なんか、つまづいた、不完全燃焼・・・。

投稿: しっぽ | 2011年5月22日 (日) 10時04分

この記事へのコメントは終了しました。