今回の特集の案内人、岩城範枝さんは、現在60代。
母親の介護をきっかけに、今まで解放されずにきた母親との心の問題に直面している友人をたくさん見てきました。
「母のここがイヤ」と思うことさえ必死に否定して、自分の気持ちを抑え込んだまま精神のバランスを崩したり、ついには老いた母親を虐待してしまったり……。
そこには幼いころから続いてきた母親の影響と、それに抵抗できなかった娘の長い歴史があるのではないか――。
岩城さんはそう語ります。
まずは”怒り”に気づいて
手塚千鶴子
今回まずお話を聞くのは、岩城さんの中学高校時代の同級生であり、自身も母親との葛藤を体験した手塚千鶴子さん。
手塚さんは現在、海外からの留学生たちに日本文化の視点から考える日本人の心理学や異文化コミュニケーションの授業を行っています。
――母親に対するもやもやした気持ちは、どうやら若い世代にもあるようです。
きちんと育ててくれたことに対する感謝の念があるからよけいに、母のここがイヤだと言えない。
そう思う自分に罪悪感を感じてしまうのよね。
臨床心理学的には、そういう罪悪感は”怒り”とつながっているんだと思う。
罪悪感のほうが気づきやすいけれど、その裏側に張り付いている怒りには気づきにくい。
私自身もそうだったから。母に対してネガティブな気持ちをもったり、父を亡くし一人でいる母になかなか会いに行けないことがものすごく大きな罪悪感になっていた。
私もフルタイムで働いていて忙しい。それでも、どうしてきょうだいじゃなく私ばっかり見舞いに行かなくちゃいけないの、という怒りにはならず、行ってあげられない罪悪感のほうが強かった。
自分の中に怒りがあることがわかるようになり、受け入れてからのほうが、罪悪感がなくなっていったという感じがする。
――自分の中に怒りの気持ちがあるということに、まず気づくことが大事なのね。
大事だと思う。
でも気づくのって怖いのよね。イヤなのよ。
気づくと「自分は嫌な娘だなあ」と自分を縛る罪悪感になってしまうから。
全く気づかないでいる人のほうが多いんじゃないかしら。
――手塚さんの研究テーマは「日本人の怒りについて」でしたよね。
そう。それは私自身が怒りに気づけない、怒れない人だったからなの。
自分の怒りを表現したり伝えるすべを知らなかった。
それが留学生を相手に授業をするうちに、これは自分だけでなく多くの日本人の中にあるものなんだ、そして怒るということは意外に大事なんだ、と。
日本人って、怒りや否定的な感情に気づきにくいし、それを表現できない傾向があるでしょう。
留学生の多くが、「なぜ日本人は怒らないんですか?」と不思議がっています。
「怒りも人間の感情で、健康なことじゃないですか」「ニコニコしながら怒っていると、どうしていいかわかりません」って(笑)。
彼らは、意見の食い違いがあってぶつかるからこそ本当の友達になるんじゃないか、それをしないまま別れてしまってはもったいないとも言います。
*この続きは、本誌でお読みください。
てづかちずこ 1946年生まれ。慶應義塾大学日本語・日本文化教育センター非常勤講師。教育心理学博士。専門は多文化間カウンセリング。日本人と留学生が英語で共に学ぶ日本研究講座で、「日本人の心理学」「異文化コミュニケーション」を教える傍ら、留学生や日本人学生のカウンセリングを担当。
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