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2008年7月 8日 (火)

絵本作家のアトリエ・赤羽末吉さん

Photo_4 『スーホの白い馬』つるにょうぼう』『かさじぞうなど、数々の昔話絵本の傑作を生み出した赤羽末吉さん

惜しくも1990年に亡くなった赤羽さんの足跡を、ご遺族、また仕事をともにした編集者の話と赤羽さんが残した貴重な写真をもとに、たどります。

Photo_5いモノクロ写真の束。馬上の男が家畜を追う。家の前で子どもたちが笑い、祭りでは村人たちが生き生きと踊っている。

これらは64年前、中国とモンゴルの国境付近で撮られた。写る人々も、大半は亡くなっているだろう。

だが、ここに写し取られた風景と人々は、絵本『スーホの白い馬』の中で生き続け、世界じゅうの子どもたちに親しまれている。

この60数枚におよぶ写真は、絵本作家、赤羽末吉が撮影し、終戦時の混乱の中、命がけで日本に持ち帰ったものなのだ。

芸能にふれた幼年時代

赤羽末吉さんは、1910年に生まれ、1990年に亡くなった。現在は孫が住むアトリエ兼住居は、古都鎌倉の一角、丘の上に広がる静かな住宅地に立つ。

アトリエで、赤羽茂乃さんにお話を聞いた。茂乃さんは、赤羽さんの三男、研三さんと結婚、近所に住んだり同居したりと、十余年にわたり、赤羽さんの日々の暮らしを間近に見てきた人。茂乃さんの話を中心に、赤羽さんの生涯と絵本作りをたどる。

Photo_6 赤羽さんは東京の神田で生まれた。そのときの姓は「青田」。芝居や芸事の好きな一家で、幼いころから映画に連れていかれた。中学一年生で観た「ジークフリート」(1924年、ドイツ)の「けぶるような美しさ」に心を奪われ、そのことが大人になって絵本を描く間接的なきっかきになったと、後に語っている。

日本画家に師事したり、劇場に通いつめたりし、将来は画家か舞台装置家、あるいは小説家になろうと考えていた。

赤羽さんはなぜか両親については人に語らず、特に母親についてはだれにも話したことがない。茂乃さんは「逆に父は母親への想いを強く持ち続けていたのではないかと思うのです」と言う。絵本に描いた大地や雪のあたたかさ、美しさ、そして恐ろしさは、母親のイメージではなかったかと、茂乃さん、研三さんは推測する。

(写真下・西森聡)

*この続きは、本誌で!

7月 8, 2008 今月の“立ち読み” |

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