ねないこは僕だった。
幼い頃、10歳より前。とにかく僕は夜がきらいだった。きらいな理由は恐かったからだ。日が暮れて、家族だんらんの夕飯の時間を過ごして、部屋に布団が用意されると、それまではしゃいでいた気持ちが一気に滅入った。ああ、また眠れない長い夜がやってくる、と思うからだ。おとうさん、おかあさん、僕は夜が恐くて眠れないのです。そんな思いで胸がいっぱいだった。しかし一度も言葉にはできなかった。目をつむりなさい。そうすれば眠れますよ。おかあさんにそういわれて、目をつむって少しすると、必ずまぶたの奥に見えてくるある光景があった。
僕は洞窟の中にいて、目の前に大きな広場があり、そこではたくさんの人が集まり、お祭りをしている。笑ったり踊ったりとにぎやかだ。その光景がどうしてか僕には恐いものとして映った。たくさんの人の中から一人が振り向いて僕を見る。その瞬間、恐さで目が覚める。ねぼけて立ち上がり、わーっと叫びながら玄関や窓へと歩いたこともあった。僕は毎日そんな夢を見ては起きての繰り返しだった。
『ねないこだれだ』という絵本は、近所の児童館の本棚で見つけた一冊だ。僕のように夜眠れない子どもをおばけが連れていってしまう物語。タイトルを見て、自分のことを言われているような気がしてどきどきした。この絵本を読んだ僕は、おばけに連れていかれるなんてウソに決まっている、と物語を端から信じようとはしなかった、しかし、夜になるとなぜかこの本を思い出しては、思わずぞおっとして震えていた。
子どもにとって夜とは、いつも想像力を何倍にも膨らませる時間だと思う。空想の世界への長い旅とでもいおうか。そこには常に恐怖心が螺旋になってつきまとうから、楽しいはずはなく恐い恐いひとときである。僕はここには書ききれないほどたくさんの恐い旅を繰り返した。おそらく15歳くらいまで。
子どもは、恐いもの、気持ちの悪いもの、汚いもの見たさのかたまりである。子どもに一番うける話はうんちの話と恐い話だ。『ねないこだれだ』を幼児に読み聞かせすると、とても興味津々に目をぱちくりさせ、しまいには、その恐さで皆黙りこくる。けれどもまた読んでとせがむから面白い。
大人になってからも、書店などで『ねないこだれだ』を見ると、今でも自分のことを言われているようで背中がむずむずする。そして、思わずページを繰って、そんなのウソに決まっているとつぶやいている。誰かに読み聞かせてもらったことは一度もない。
(まつうら やたろう 「暮しの手帖」編集長)
『ねないこだれだ』
せなけいこ 作・絵
24ページ 17×17cm 1才半から 定価630円
初版年月日:1969年11月10日
こんな時間におきてるのだれだ? ふくろうにどらねこにどろぼう……。そうら、もうおばけの時間なのに。
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